偽・誤情報対策の制度化とその展望

山腰 修三
偽・誤情報対策の制度化とその展望

 1.偽・誤情報対策の本格化
 2.偽・誤情報対策の「深さ」と「広さ」
 3.「ポスト真実」時代の偽・誤情報対策
 4.監視資本主義と偽・誤情報

1.偽・誤情報対策の本格化 

インターネット上の偽情報や誤情報の対策をめぐり、総務省の有識者会議「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」(以下、検討会と表記)の最終提言(※外部サイトに遷移します)が9月に公表された。この会議では、偽・誤情報に代表されるデジタル空間における情報流通をめぐるリスクや問題に関して、一連の情報流通過程に関わる諸アクター(ステークホルダー)に対して求められる役割や責務について検討が行われた。

偽・誤情報対策として、提言では次の二点が強調されている。第一はプラットフォーム事業者のこれまでの取り組みが不十分として、制度的措置も含めた具体的対応を事業者に対し求めている点である(検討会、2024年、85頁)。そして第二は、プラットフォーム事業者と政府だけでなく、伝統メディアやファクトチェック関連団体、広告業界、教育・研究機関、市民社会などを含む多様なステークホルダーの連携・協力体制の制度化の必要性を指摘している点である(検討会、2024年、103頁)。このように、検討会における議論は、偽・誤情報対策をめぐる対症療法的な対応策にとどまらず、デジタル空間における情報流通の「健全性」を実現し、維持していくための中・長期的な展望も視野に収めたものとなっている。

周知のとおり、デジタル化が急速に進む中でメディア環境が激変しつつある。この新たなメディア環境においては、巨大IT企業が主導する形で秩序が形成されてきた。こうした秩序のあり方は巨大IT企業への権力集中をはじめ、多くの問題を生み出している。そして偽・誤情報の活性化はそうした問題の一つの表れともみなしうる。したがって、この状況に対応し、より公正なメディア環境の秩序形成が求められる中、検討会の議論は重要かつ画期的な取り組みだと評価することができる。 

2.偽・誤情報対策の「深さ」と「広さ」

提言の掲げる対策の射程は、偽・誤情報にとどまらず、デジタル空間における情報流通の「健全性」実現を目的とした深さと広がりを持つ。例えば提言では、今日のデジタル空間で生じるリスクや問題を、①表層上、②構造的、③加速化の三つに分類している(検討会、2024年、28頁)。偽・誤情報の拡散が「表層上」のリスクや問題(①)、プラットフォームが形成するエコシステムの弊害が「構造的」なリスクや問題(②)、新たなテクノロジーの発達・普及や情報の認知をめぐる人々のバイアスなどが①・②を「加速化」させるリスクや問題(③)、ということになる。そして今回の提言の射程の「深さ」とはまさに、偽・誤情報対策を、デジタル空間の構造的次元にまで掘り下げて検討している点にある。

この構造的次元を提言は「アテンション・エコノミー」の観点から論じている。情報過多のデジタル空間においては、供給される情報量に比べ、人々が提供可能な注意(アテンション)ないし消費時間が希少となる。その結果、そうした注意や時間が経済的価値をもって市場で流通する。こうした経済モデルがアテンション・エコノミーである(検討会、2024年、33頁)。プラットフォーム事業者は、この力学を活用してユーザー数と収益を急速に拡大させ、デジタル空間そのものの秩序化に主導的な役割を果たしてきた。一方で、偽・誤情報の拡散もまた、この原理によって活性化する。というのも、これらの情報はなるべく多くの人々によってクリックされ、シェアされるように作られているからである。このように、デジタル空間における諸問題、そしてプラットフォーム事業者が果たすべき役割を検討するうえでは、デジタル空間の構造的次元から考えることが重要である。

提言の射程の「広さ」に関わる側面は、デジタル空間における情報流通のリスクや問題解決に取り組むアクターを、伝統メディアを含めた民主主義社会を支えるさまざまな主体にまで拡張している点に関わる。ここで鍵となるのが、提言が掲げる基本理念である(検討会、2024年、5556頁)。この基本理念は、(A)表現の自由と知る権利の実質的保障およびこれらを通じた法の支配と民主主義の実現、(B)安心かつ安全で信頼できる情報流通空間としてのデジタル空間の実現、(C)国内外のマルチステークホルダーによる国際的かつ安定的で継続的な連携・協力の三要素から構成される。つまり、(A)と(B)を共有することで、広範な社会における多様な主体の連携や協力((C))が可能になる、というわけである。

こうした「深さ」と「広さ」は、偽・誤情報対策を民主主義の枠組みに位置づけるうえで有用である。提言の基本的理念では、デジタル空間における個人の自律性、すなわち「個人が自律的な意思決定に基づく言論活動を通じて自己の人格を発展させ(自己実現)、かつ、民主的な政治過程を維持すること(自己統治)」の保障の必要性を指摘している(検討会、2024年、55頁)。この個人の自律性こそが、民主主義社会を可能にする前提条件にほかならない。そしてアテンション・エコノミーのようなデジタル空間の構造的問題が、個人の自律性を掘り崩すリスクを有するがゆえに、情報流通のリスクや問題の解決に向けて、民主主義社会を構成する幅広いアクターを巻き込んだ取り組みが必要になる。このように、提言の議論の射程はデジタル空間において、各アクターが協力する形で民主主義的原理をどのように組み込み、発展させるかという問題にも及んでいる。 

3.「ポスト真実」時代の偽・誤情報対策

あらためて言うまでもなく、偽・誤情報対策は急務である。とくに日本では、「フィルターバブル」「エコーチェンバー」「アテンション・エコノミー」の2023年の認知状況が12割にとどまり、諸外国に比べてもデジタル空間における偽・誤情報の流通や拡散のメカニズムに関する関心が低い(検討会、2024年、118頁)。また、偽・誤情報等を見聞きした上で誤っていると気づいている人は、政治関連では平均1割程度だという(検討会、2024年、118頁)。このように、日本社会は偽・誤情報が潜在的に流通・拡散しやすい状況にある。

こうした状況に対応するうえでは、確かに提言が示したように、プラットフォーム事業者への規制だけでなく、偽・誤情報対策をめぐる社会的な理解や合意の促進のために多様なアクターの連携や協力も不可欠なのは間違いない。とくに提言では、伝統メディアのジャーナリズム機能が偽・誤情報対策として有効であるとし、そうした機能を持続的かつ十全に果たしうる環境整備の重要性を指摘する(検討会、2024年、57頁、125頁)。

だが、果たして今日のジャーナリズムはそうした役割を十全に果たしうるのだろうか。伝統メディアのジャーナリズムは目下、影響力や信頼性の低下という困難に直面している。例えば、調査報道や社会問題に関する報道に代表される伝統的なニュースに関心を持たない、あるいはそれらを積極的に回避する「ニュース離れ」の広がりはよく知られている(Newman 、参考文献2)。問題はジャーナリズムだけではない。政治理論の領域では、民主主義を支えてきた諸制度に対する不信や不満の高まりが民主主義の現代的危機を深刻化させる要因の一つとみなされている(例えばモンク、参考文献3)。

このように、民主主義を支える諸制度が全体として弱体化しているのであれば、偽・誤情報対策はどうあるべきだろうか。マルチステークホルダーによる協力・連携に基づく偽・誤情報対策は、それぞれのアクターの一定の影響力を前提としている。もし、民主主義を支えてきた伝統的諸制度が今後ますます弱体化していくのであれば、巨大な権力を持つようになったプラットフォーム事業者に対する抑止力にはなりえない。あるいはそうした諸制度の弱体化ゆえに、偽・誤情報対策を政府が主導するようになれば、今度は表現の自由の統制や抑圧が懸念されることになる。

偽・誤情報をめぐり、民主主義の今日的な危機に着目するアプローチの一つが「ポスト真実」論である。ポスト真実論は、「事実」に基づく民主主義的コミュニケーションを支えてきたジャーナリズム、司法、教育、科学、選挙などの諸制度の機能不全、あるいはそれらに対する不信や不満の高まりに、偽・誤情報の活性化の要因を見出す(Farkas and Schou 、参考文献4)。つまり、それらの制度の権威や正統性が流動化することで、「事実」を重視する政治文化が衰退し、「信じたいものを信じる」という風潮が生まれてきたのである。

何が民主主義を支える諸制度を弱体化させてきたのかについては、「デジタル化」「新自由主義」から「ポストモダニズム」に至るまで、さまざまな議論があり、理念的・抽象的な色彩の強い議論だとはいえる。とはいえ、このポスト真実論から見えてくるのは、偽・誤情報対策において、プラットフォーム事業者への規制と同時に、民主主義的なコミュニケーションを支えてきた諸制度をどのように再生・再活性化させるかというプロジェクトまで射程を広げることの重要性である。つまり、民放をはじめとする伝統メディアにとって、偽・誤情報対策は「ニュース離れ」に代表されるジャーナリズムの現代的課題との関連において理解されうるのである。 

4.監視資本主義と偽・誤情報

ポスト真実論は、偽・誤情報の流通・活性化の要因を民主主義の危機というマクロな次元から捉えるアプローチである。同様のマクロなアプローチとして、「監視資本主義」の議論もまた、偽・誤情報対策を構造的次元におけるより深い射程で捉える上で示唆に富む。

監視資本主義とは、人々のさまざまな活動や経験、さらには思考や感情、パーソナリティなどを原材料(データ)に変換し、それをもとに高度な計算機能を通じて製造した商品やサービスを市場で売買することで成立する資本主義の新しい論理を指す(ズボフ、参考文献5)。デジタル化の進展に伴い、クリック、検索、投稿、閲覧履歴、位置情報など、人々のネット活動を通じて生み出されるさまざまなデータがターゲティング広告などに活用されるようになった。グーグルをはじめとするIT企業が、市場で優位に立つためにさらなるデータを求めた結果、個人の心理や行動を追跡(=監視)し、社会のあらゆる領域をデータ化する監視資本主義が発達したのである。

この監視資本主義は発達する中で、データの収集・分析を通じて人々の行動を予測するだけでなく、それらを修正する機能も果たすようになる。代表的論者であるショシャナ・ズボフは、こうした監視資本主義の浸透の結果、民主主義を支える上で必要な人々の行為能力や自律性が掘り崩されると批判する(ズボフ、参考文献5)。こうした議論は、今回の提言の懸念とも通底する点で示唆に富む。

本論の観点から重要なのは、第一に、監視資本主義が偽・誤情報の流通・拡散の基盤となるアテンション・エコノミーを維持・強化する原理となりうる、という点である。第二に、プラットフォーム事業者が偽・誤情報対策などの規制に対して強く反発する理由は、この監視資本主義という観点から理解しうる、という点である。つまり、プラットフォーム事業を手がける巨大IT企業は、データの自由な収集とその収益化に関して自らが作り上げてきた原理を外部から干渉されることに反発しているといえる。そして第三に、偽・誤情報も含めた監視資本主義の問題を解決するには、対症療法的な手法にとどまらず、監視資本主義の論理そのものをより公正なものへと是正するような対応が求められる、という点である(ズボフ、参考文献5)。この点において、ジャーナリズムには監視資本主義が引き起こす諸問題に関する報道やそれを通じた世論喚起という役割が期待される。そしてそうした取り組みが偽・誤情報の拡散や流通の抑止に寄与しうるのである。

このように、民主主義を支える諸制度の再生、そして監視資本主義への対応といったマクロなアプローチは、偽・誤情報の対策の視野を広げ、公正なデジタルメディア環境の秩序を構想するうえで役に立つ。そしてこうしたマクロなアプローチに立つことによって、民放をはじめとする伝統メディアのジャーナリズムが一連の問題に対して取り組むべき役割や課題も見えてくるのではないだろうか。


参考文献
1.デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会(2024)『デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会 とりまとめ』総務省。
2.Newman, Nick (2022) "Executive Summary and Key Findings of the 2022 Report", (Routers Institute for the Study of Journalism)https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/digital-news-report/2022/dnr-executive-summary
3.モンク、ヤシャ(2019)『民主主義を救え!』(吉田徹訳)岩波書店。
4.Farkas, Johan and Schou, Jannick2024Post-Truth, Fake News and Democracy: Mapping the Politics of Falsehood (Second Edition), Routledge.
5.ズボフ、ショシャナ(2021)『監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い』(野中香方子訳)東洋経済新報社。

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