ウクライナ国内の報道 戦時下の情報の安全保障と報道の自由は

古川 英治
ウクライナ国内の報道 戦時下の情報の安全保障と報道の自由は

ロシアによる侵略が3年目に入ったウクライナで報道をめぐる議論が高まっている。2022年2月24日のロシアによる軍事侵攻直後からテレビ各局は「テレビマラソン」と称する合同プログラムを実施しており、事実上政府の独占下にある。戦時下での情報の安全保障と報道の自由はどうあるべきか。

各局持ち回りの24時間体制と揺らぐ信頼

ロシア軍は侵攻直後から報道機関を攻撃の標的にした。2022年3月1日、首都キーウのテレビ塔が爆撃を受け、デジタル放送が一時停止した。首都だけではない。北東部に位置するウクライナ第二の都市ハルキウや、東部、中部の町でもテレビ塔など電波インフラが相次ぎ狙われた。主要メディアのウェブサイトも繰り返しサイバー攻撃を受けている。

短期間で首都掌握を目指したロシア軍は、情報・心理戦を展開し、パニックを引き起こそうとした。ソーシャルメディアでは大都市の陥落やウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領が首都を脱出したなどとする偽情報が流布された。テレビ放送をマヒさせることは、そんな情報戦の一環だった。

ロシアの攻撃に際し、ウクライナ公共放送会社Suspilneをはじめとする主要ネットワーク5局は2月25日から「テレビマラソン」を立ち上げて対応した。放送行政を所管する文化・情報政策省が調整し、他の商業テレビ局もこれに加わることになる。各局が持ち回りで5―6時間番組を担当、24時間体制でニュースや政府幹部らのインタビューといったコンテンツをシェアする。これはスタジオが攻撃されたり、電波が遮断されたりした場合の備えでもあった。

ラジオもSuspilneが核となり、テレビマラソンの内容を伝えている。ロシア軍の占領下に置かれた東部や南部の州の住民にとって、ラジオは唯一のウクライナからの情報源となった。マラソンは戦時の戒厳令が解除されるまで継続することになっている。

テレビマラソンに侵攻当初から参加した民放記者によると、記者の多くがキーウにとどまり、休みなしで働いた。空襲警報が鳴り響くなかで、外出制限もあって、スタジオに寝泊まりすることもしばしばあった。多くの市民から感謝の声が寄せられ、使命感や充実感があったという。

ソーシャルメディアが情報源

戦争が長期化するなかで、そうした状況は変わってきた。先の記者は、半年を経過したあたりから、市民のテレビ離れを感じるようになったと話す。侵略者に抗するために市民を鼓舞する内容は当初こそ団結につながったが、次第に政府による"大本営放送"への飽きが生じ、ネガティブなニュースを含めた、より現実的な情報を求める声が増えた。

世論調査にもそれは表れている。「デモクラティツク・イニシアチブ」の調査によれば、2022年5月には69%だったテレビマラソンへの信頼度は2023年12月に43%に低下し、「信頼していない」割合が38%に達した。3分の1の市民は、テレビマラソンは「もはや無意味」と答えている。

ロシアの大規模侵攻の前からすでにテレビに代わってソーシャルメディアがニュース情報源として台頭する傾向にあったが、それは加速しているようだ。

USAID(米国際開発局)などが実施した2023年のニュース情報源を巡る世論調査では、ソーシャルメディアが76%を占めた。かつては80%だったテレビは30%に低下した。

ソーシャルメディアの中でも特に「テレグラム」というメディアが伸びている。政府や軍、主要メディアもニュース配信にこの媒体を使っているところが多く、情報源にしているとの回答は2021年の20%から22年には60%に増えた。さまざまなチャネルが立ち上がっており、真偽不明の情報も飛び交う。

ウクライナ最高会議(国会)の表現の自由委員会の委員長を務める野党「声党」のヤロスラウ・ユルチシン議員はテレビマラソンを継続する必要性を訴える。偽情報がまぎれるソーシャルメディアに対して、政府の正しい情報を伝えるテレビマラソンの役割を指摘する。USAIDの世論調査では、ソーシャルメディアとテレビを組み合わせて情報を得ているとする回答も21%あった。

政権監視の役割が息を吹き返す

ウクライナの独特の事情もある。ロシアの全面侵攻前はオリガルヒと呼ばれる財閥がテレビ局を独占し、政治的な影響力を延ばす手段になっていた面がある。テレビマラソンが終了すれば、オリガルヒの支配が再び始まり、社会の分裂につながりかねないとユルチシンは指摘する。市民のニーズに合わせて放送内容を見直すべきだというのがユルチシンの意見だ。最近は政府関係者だけでなく、前線に立つ兵士の声を届ける番組なども目立っている。

「国境なき記者団」が発表する報道の自由ランクでは、ウクライナは2022年の106位から2023年に79位に順位を上げた。戦時下で順位が大きく上がった理由には、オリガルヒの影響力が低下したことが挙げられている。

それと同時に政権監視というメディアの役割も息を吹き返している。独立系メディアの記者は当初、ジレンマを抱えていた。政権を批判することで市民の結束に打撃を与えかねない報道を自主規制していたところがあった。汚職の問題はその最たるものだろう。

それは2023年1月、国防省が兵士への食糧調達を水増ししていた疑惑をあるネットメディアが報道したことで流れが変わった。記者や反汚職団体が政権の不正に目を光らせるようになり、同年8月にも国防省の不正調達疑惑をネットメディアが告発し、国防相の更迭につながった。

当初は政権批判を控えるべきだといった世論も根強かったが、メディアを含めた市民社会が再起動し始めた。独立系メディアに圧力を加えるような動きもあり、戦時下で権力が集中する政権の監視を求める声はむしろ高まっている。

2月に非政府機関KMISの興味深い世論調査が発表されている。「敵の攻撃を阻止するために、政府がニュースサイトやソーシャルメディアをコントロールすべき」との答えは2022年7月には60%に達していたが、2024年2月には44%に低下した。逆に「政府のコントロールは市民の権利と自由の制限につながる」との意見が30%から49%に増えた。2023年の別の調査では、84%の市民がソーシャルメディアに情報操作が存在していることを意識していること答えている。

情報の安全保障は、国民のメディアリテラシーに負うところが大きい。2014年のロシアによる一方的なクリミア半島の併合から、ウクライナ市民はロシアのプロパガンダへの耐久力を高めてきた面もあるだろう。ソーシャルメディア上では反政府デモを扇動したりする情報もまん延しているが、市民の多くは、混乱がロシアの思うつぼであることを理解している。

日本のメディアリテラシーはどうだろうか。有事に報道機関はどうあるべきなのか。ウクライナの経験は日本にも示唆に富む。

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