【書評】本、気になって(第1回)

石井 彰
【書評】本、気になって(第1回)

今月から書評を毎月連載していきます。放送に携わる人たちに、ぜひ読んでほしい本を取り上げてご紹介します。ラジオ・テレビや広告にとどまらず、幅広く刺激を受け、新たな知見を得られる本――社会の実相を伝えるドキュメントや私たちの常識を覆すような小説や哲学書もあるでしょう。なにより、きっと読んでみたくなる本です。

「放送人は本を読まない」と言われていますが、それは「良い出会いがない」からだと考えています。あなたがお気に入りの書店を久しぶりにふらりとのぞいたとき、偶然出会う未知の本との遭遇のように、この欄が読まれ、しかも放送の仕事や日々の暮らしに、少しでも役に立つ連載となれば幸いです。

タイトルのとおり、気になる本を、本気(ほんき)で取り上げていきます。ではさっそく始めましょう!


気になる本=MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワの日本人(青島顕 著、集英社)

海外旅行などまだ遠い夢だった時代、ラジオは未知の世界への翼でした。ラジオをチューニングしていると、突然聴いたこともない言語による放送が飛び込んできました。

「かつてソ連と呼ばれた国から日本語のラジオ放送が流れていた。受信機のダイヤルを合わせると、雑音混じりに少しいかめしい声が聞こえてきたものだ。
『こちらはモスクワ放送局です』」

モスクワ放送とは、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の海外向けラジオ放送で、日本語放送も行っていました。

本書は、毎日新聞記者である筆者が、東西冷戦下のソ連から海を越えて、日本にラジオ放送を届けた日本人たちを訪ね歩いたドキュメントで、第21回開高健ノンフィクション賞受賞作。書名の「MOCT(モスト)」は、ロシア語で「橋」「架け橋」のことです。著者は高校時代にモスクワ放送と出会い、男性アナウンサーが楽しそうに語る「ロシア語講座」にテキストを請求します。モスクワの名所らしい絵はがきとともに薄い2冊の初級ロシア語講座のテキストが送られてきました。「本を鼻に近づけると、強烈な匂いがした。大人になってそれはソ連が製本に使っていた接着剤、にかわによるものだと教えてくれる人がいた」と記します。読んでいるとその姿が思い浮かび、にかわのツーンとした匂いが立ち上ってくるようです。優れた新聞記者らしい五感をとぎすまさせる文章が、ページを進めさせます。

「高校生活はそれなりに忙しく、ロシア語の勉強も三日坊主で終わったのだろう」。そして40年近くの月日が流れます。ソ連は崩壊してロシアになり、2017年「日本海を越えて届けられてきた人の声は途絶えた。それから5年後ロシアはウクライナに攻め込み、まるであのころのソ連のように西側を中心とした国際社会からつまはじきにされた」

その年、いったいどんな人が、どうしてモスクワ放送を作っていたのか、という謎を解く鍵が少しずつ、著者のまわりで見つかり始めます。ここから記者特有の探求心が発揮され、モスクワ放送を作った日本人たちへの旅が始まっていきます。本書に最初に登場するのは、1973年に東京からモスクワに向かい、モスクワ放送で約10年間アナウンサーとして働いた西野肇さん(75歳)。入局して半年後、西野さんは上司から初めて20分ほどのラジオ番組の制作を任されます。

「オープニングとエンディングには何かインパクトのある曲がいい」と彼が選んだのは、日本からレコードを持ち込んだビートルズの「バック・イン・ザ・ U.S.S.R.」(ソ連に帰還)でした。「ウクライナ娘にノックアウト。西側の娘なんて目じゃないさ」とポール・マッカートニーが歌う曲です。そのころソ連では「西側のロックは御法度」でした。また当時のモスクワ放送は生放送ではなく、厳しい検閲下に(今も)置かれていました。

「日本語のわかるソ連人の検閲官が立ち会い、話している日本語が元原稿のロシア語と相違がないかチェックしながら事前に収録し、後で放送していた。この番組も検閲官が立ち会い、チェックののち予定通りオンエアされた」

しかし放送後、「これはまずいんじゃないでしょうか」とやってきたのは、日本語が堪能なリップマン・レービン日本課長。西野さんは「シベリア送りでも日本への強制送還でも、仕方ないかな」と覚悟したといいます。ただ「結果は、大事に至らずに済んだ」。その理由は、日本課長が「胸の中にとどめてくれて、上層部に知られずに済んだのではないか」と、西野さんは振り返ります。

そしてもうひとつ「助かった理由」がありました。ソ連の放送局からビートルズが流れたことで、日本から反響や激励の手紙が次々に届いたからでした。やがて西野さんはモスクワ放送に新風をふかせ、売れっ子アナとなります。日本語放送に届く手紙は、当時放送されていた外国語放送70ほどのうち、人口6億のインド(当時)に次いで2位になるほど人気を集めます。

埋もれていたモスクワ放送の歴史も少しずつ明かされていきます。「モスクワ放送日本課は第二次世界大戦後にソ連領になった南樺太(サハリン)から連れてこられた日本の民間人や、シベリアで抑留された後、ソ連国籍を取得して現地に残った日本軍兵士らが中心になって番組作りをしていた」

そして治安維持法などによって日本に自由がなくなっていった1938年に樺太を経由してソ連へ亡命した俳優の岡田嘉子さん。スターリンの大粛清時代に逮捕され自由を剥奪された彼女は、1947年に釈放され、翌年からモスクワ放送のアナウンサーとなります。モスクワで食生活に困った西野さんに電気釜を差し入れてくれたのは、岡田さんでした。

このほかにもモスクワ放送を作った無名の日本人たちの軌跡が綴られていきます。それは輝かしきソ連に魅入られた人々の夢と、その夢が崩れていく現実の歴史のおりなす綾です。そこに本書の醍醐味が生まれ、それはラジオというメディアを駆けた人々の記録になりました。

日本でラジオが始まって、来年で100年を迎えます。ラジオの歴史に少なからぬ影響を与えてきた外国からの放送の事実は、私たちに何を伝えてくれるでしょうか? それはどんなに制約があっても、国境を越えて届くラジオの、温もりのある人の声で伝わってくる真実ではないでしょうか。モスクワ放送だけでなく、あらゆるラジオ番組は未知のリスナーへの「架け橋」であってほしい、と思わせた好著です。

★書影○MOCT_カバー+オビ.jpg

MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワの日本人
青島 顕 著 集英社 2023年11月24日発売 1,980円(税込)
四六判/264ページ ISBN:978-4-08-781747-8

最新記事