【新放送人に向けて2024④ 阿久津友紀・北海道テレビ放送東京支社編成業務部長】取材者から当事者に それでもワクワクする方へ

阿久津 友紀
【新放送人に向けて2024④ 阿久津友紀・北海道テレビ放送東京支社編成業務部長】取材者から当事者に それでもワクワクする方へ

放送業界で働くことを選んでくださったみなさん、ようこそ。入社おめでとうございます。さて、今どんな気持ちですか。不安? ドキドキ? それともワクワク?

いずれにしても落ち着かないことと思います。私もそうでした。大阪府生まれで千葉県出身。だけどローカル局である北海道テレビに滑り込んで30年弱。当時とずいぶん違いますから......というツッコミが入りそうですが、時代の変化と自分自身に起きたライフイベントで山あり、谷ありのテレビ局人生、参考になるのかならないのか? 少しだけお付き合いください。

何もできない私

晴れて、スポーツや深夜番組の制作現場に配属されたものの、女性はほぼいない職場。何をしたらいいのかわからず、何を聞けばいいのかわからず、たぶん、受け入れる側も私にどう声をかけていいのかわからず、途方に暮れる日々。スキージャンプ中継でカメラケーブルをひっかけて、雪山を転げ落ちる。またある日は高校野球中継でお弁当をもったまま、球場の階段を転げ落ちる......何もできない私。まったく戦力にならない、と言われながらも、入社年目でキー局のお昼のワイドショーに出向。ご迷惑をおかけしつつも、ロールモデルともいえる系列各局から来た先輩女性の方々に出会い、ひとりじゃないよ、と思わせてもらったことが今も心の支えです。

とはいえ、日々のプレッシャーに弱かった私。バセドウ病と診断されて、カ月会社を休んだり、モノづくりに正直向いてないんじゃないかと悩んだこともありました。それでも30歳で念願の報道記者となり、ひとりの取材対象者と出会ったことが転機となりました。

きっかけは突然に

"要再検査"......健康診断でひっかかり、訪れた乳腺外科クリニック。待合室で出会ったのは21歳で乳がんに罹患した女性でした。隣に座り、病について彼女から聞いていくうちにこれは報道記者として取材するべきだと思いました。後日、最初のインタビューでの彼女の一言目は「乳がん患者は生きづらい」。

がん患者がヒールを履いて、笑いながら買い物したり、お茶したらダメなのか。温泉に入ったらダメなのか。バイトをしたらダメなのか。ひとつひとつが突き刺さります。彼女と彼女がつながってきた女性たちの生き方を年もの間、追いかけ続けたドキュメンタリーを何本も制作。私にとって「ピンクリボン運動」、乳がん啓発だけでなく、患者の思いを知ってもらう活動がライフワークになりました。さらに毎年10月に放送やイベントを重ねていくこと15年超......今度は自分が乳がんと診断されたのです。

まさかの......取材者から当事者に

 「乳がん患者は生きづらい」

がん告知を受けた瞬間、この言葉が最初に私の頭をかすめました。父を胃がんで亡くし、母も乳がん。会社に、家族に、友人に罹患したことが言えない。仕事は続けられるのか、せっかくなった管理職もあきらめねばならないのか。子どもはもう持てない、オットも別れるというのでは? 食べられない、寝られない、自分は生きられるのか、検索してはため息の日々。

勇気を出して、言ったとしてもリアクションがない、気まずくなる。一見、善意であろう配慮がマイクロアグレッション(自覚なき差別)で襲ってくる......。本当の意味で最初に出会った彼女の言葉を理解できたのは、罹患してからかもしれません。

 一方で、これまで私が取材をしてきた女性たちに私は間違ったアプローチをしていたのではないか、傷つけていたのではないか。その立場になって考えられていたのかどうか。悩みが深くなりました。

でも私が隠れてしまったら、これまで取材を受けてくださった女性たちの思いを無にしてしまうことになるのでは......。撮影しておかないとその瞬間は二度と来ない。覚悟を決めて「次の誰かのために」自らを被写体に撮影を始めました。ありがたいことにこれまで取材をしてきた患者さん、そして、取材を共にしてきた仲間たちがやるべきだ、と背中を押してくれました。

手術前日まで働いて入院、手術後1カ月の休職。復帰したタイミングが当社のウェブメディア(SODANE)の立ち上げと重なりました。地上波だけでは表現できなかった私自身の体験をコラムで言葉にしていたら、全国からメールが来るようになりました。その後、手術前後の体験をまとめた最初の放送はYouTubeでの再生回数が80万回を超え、それが長尺のドキュメンタリーになり、本となり、新聞記事ともなり。多くの方の目に留まり、賞もいただき、全国・海外からも応援してくださる方が増えました。ローカル局が一度放送したドキュメンタリーだけでは到底起こりえない、まさにネット社会の恩恵を受けることになりました。ネット上、リアルにかかわらず、勇気を出して私とつながってくださった女性たちの声が多くの人に届き、この年で世の中の変化も感じられるようになりました。これがさらに私の心を支えてくれています。病になったばかりのときには想像もつかない方向に進んではいますが、玉石混交の医療情報を整理してネット上に置いていくこともメディアの務め。大人には正しい知識や検診を、子どもたちには命の大切さを伝える、がん教育(冒頭写真:中学校での筆者のがん教育)にも力を注ぎたいと考えています。

次の誰かのために

放送局(特にローカル局)は部署異動するとまったくの違う会社に入ったくらい仕事の内容が変わります。私は基本的には報道・制作・情報の作り手畑ですが、ネットデジタルやコンテンツビジネス、営業推進、番組販売、海外展開、さらに年前からはオットと保護猫匹を置いて東京に単身赴任中。治療中なのに、と言われることも少なくないですし、異動するごとに、新しい壁にぶつかりますが、これまでの経験に支えられています。よいこと悪いことあると思いますが、体験することすべて、無駄なことなどひとつもないのだと思います。もちろん、ネガティブになる日もあるけれど、そこに時間を使わず、心が動く、ワクワクする方にと心がけています。

 今年3月には児の母である後輩アナウンサーが年間温めてきた企画を形にしました。「HTB創世ミモザマルシェ」。国際女性デーにちなんでしあわせの象徴でもある「黄色いモノ」を集めた物販と、女性が生きる上で大切なことを北海道で働く女性たちの声で届ける配信イベントです。都道府県別のジェンダーギャップ指数46位の北海道。入社した30年前より進歩は感じられるものの女性にとっては公平性(エクイティ)が損なわれている働き方、育児、介護、災害対応。さらに私のように"病"も重なるとさらに困難が尽きません。どう備えるか、どう頼るか、どう仲間とつながるか、そして、どう支援につなげるか。後の世代にこの生きづらさを残したくはありません。

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<森さやかアナウンサーと女性の病と防災をテーマに配信>

今回は国際女性デーでしたが、ひとつのテーマに何かを掛け算することで、そのコンテンツは深堀され、無限大に広がります。地元に根差しているローカル局だからこそ、"手が届く"掛け算が可能で、地域課題の解決のためにやるべきこと。どこの部署にいても「次の誰かのために」「コンテンツ」を生み出すこと、生み出せることがローカル局の醍醐味ではないかと思っています。つなげる、つながる、掛け合わせる。せっかく生かされたいのちでもあるので、次の誰かのために使いたい。そう思って50歳超えてもまだ毎日あーでもない、こーでもない、とバタバタしています。

突然やってきた"コロナ禍"に暮らし、コミュニケーションに不安を持つ方も多いと思います。どうぞ、出会いを大切に。山あり、谷あり、人生は行き先の見えない旅。みなさんもこれから自分らしい何かを見つける、ワクワクする旅がはじまりますね。どこかで出会うこともあるのかもしれないなあ。楽しみですねえ。いいなあ、うらやましいなあ。ではカラダに気を付けて......Bon Voyage(良い旅を)!


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