2024年7月7日(日)に投開票が行われた「東京都知事選挙」は、過去最多の56人が立候補して争われ、現職の小池百合子氏が3選。得票数2位は石丸伸二氏(前広島県安芸高田市長)、3位は蓮舫氏(前参議院議員)で、投票率は60.62%となりました。また、候補者ポスターをめぐる混乱や政見放送の内容などについてさまざまな論議を呼びました。ネットを含めた選挙情勢調査も手がけるJX通信社の米重克洋さんに、今回の都知事選で浮かび上がった選挙報道の課題を含めて総括していただきました。(編集広報部)
露呈した選挙報道の課題
今回の都知事選は、いわゆる「石丸現象」をはじめとして、図らずも世のメディアシフトを強く印象づけた選挙となった。
政治や選挙報道にとどまらず、報道産業とそれに参画するマスコミがメディアシフトにどう対応するかは長年の課題だ。とりわけ、SNS全盛の時代に、いかにして裏付けのある確かな情報を多くの人々に届けるか。これは、まさにわれわれJX通信社が報道ベンチャーとして取り組んできた課題でもある。今回の選挙の過程では、それらの課題が全て露呈した。単なる政治の話題ではなく、放送を含む報道産業のステークホルダー全員が「自分ごと」として捉えなければならない出来事だった。
露呈した最も大きな課題は、マスコミの考える争点や構図と、有権者の認知に大きなズレがあったことだ。
選挙戦の初期から中盤まで、各社は、小池百合子知事と蓮舫氏の「2強対決」ないし国政の「与野党対決」というフレームで知事選を取り上げがちだった。前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏や、元航空幕僚長の田母神俊雄氏はその2人に挑むという構図で、一応は4人を主要候補と位置づけていても、実際の主役ではないかのような体裁だった。また、都知事選の具体的な争点については、神宮外苑の再開発をめぐる問題や都庁舎のプロジェクションマッピングなどの話題を盛んに取り上げていた。
だが、選挙結果を見ると、3位にとどまった蓮舫氏に37万票以上差をつけて2位となったのは「主役」扱いではない石丸氏だった。しかも、各社の出口調査では、石丸氏は無党派層から小池知事を上回る最多の支持を得ていた。結果を見れば、やはり選挙戦中盤までの「小池氏対蓮舫氏」という選挙報道の構図が実態と相当ズレていたことは否めない。さらに、神宮外苑の再開発という争点も有権者の関心は薄く、賛成・反対いずれの回答者からも小池知事が最多の支持を集めていた。マスコミが積極的に取り上げた争点が、多数の有権者に事実上無視されていた格好だ。そして、同日に行われた都議会議員補欠選挙では、候補者を擁立した自民党、立憲民主党、共産党、日本維新の会がいずれも負け越すか全敗した一方、地域政党で「知事与党」でもある都民ファーストの会の躍進と無所属候補の当選が目立った。
こうしたことから、有権者の認知する選挙の真の争点は「小池都政の継続に是か非か」「既成政党を軸とした政治体制を支持するか否か」にほとんど収斂されていたと推察できる。「政治とカネ」の問題で自民党の支持率が低落傾向にある中、野党各党の支持率もなかなか浮上せず、無党派層のボリュームがどんどん肥大化する今日の状況から、世論の強烈な政治不信は明らかだった。その影響を多くのマスコミの都知事選報道が見落としていたように見える。結果、旧来の国政の与野党対決の構図というフレームに落とした選挙報道が目立ってしまった。これが今回の都知事選における最大の反省点だろう。
メディアシフトの拡大と影響
その「穴」を埋めて、有権者に新たな判断材料を提示したのがYouTubeだった。PIVOT(ピボット)などのネットメディアは、主要候補に1人数十分を超える長尺のインタビューを行い、その模様をYouTubeで続々に公開した。また、著名なインフルエンサーが個人でインタビュアーとして主要候補者に話を聞く動画も多くの再生回数を稼ぎ出した。選挙期間中に公開されたこれら選挙関連の動画の再生回数は、上位5人の候補者に関連するものだけでも延べ5億回近いという(選挙ドットコム調べ)。
<主要候補のYouTube参考度(JX通信社調べ)>
中でも石丸氏は、その恩恵を最大限に受けたようだ。JX通信社では、投票1週間前に「石丸現象」に焦点を当てて独自のインターネット情勢調査を行った。その結果、石丸氏を支持する有権者の約半数が、YouTubeを支持決定の参考にしたと回答した。小池氏や蓮舫氏の支持層でYouTubeを参考にしたとする回答は1割前後にとどまっていた。こうしたデータから、マスコミからYouTubeをはじめとしたプラットフォームへの「メディアシフト」が選挙結果に与えた影響は大きいと見るべきだろう。
かつては「4マス」という言葉に代表されるように、マスコミが社会の情報流通のほとんどを担っていた。マスコミの発信力が絶大だったがゆえ、マスコミの設定した争点や構図に沿って選挙が展開していた。仮に有権者の関心事などの「実態」と報道内容に多少ギャップがあったとしても、実態の方が報道に近づいてきたくらいだろう。だが、マスコミの発信力に陰りがある現在、地上波のテレビ放送のように短い尺で「公平に」選挙戦を要約する従来の選挙報道のあり方では、伝える内容と選挙戦の実態がズレていくうえ、情報の量も不足する。そして、その不足を満たすため、有権者はインフルエンサーや候補者自らの発信を能動的に求めるようになる。
「自主規制」のジレンマ
むろん、テレビ局の選挙報道に放送法という制約条件があることは百も承知だ。だが、各局がそれをインターネットにも拡大して「自主規制」している現状は、長期的に多数の競合を育てることになり、社会でのマスコミの影響力をますます削ぐ。本来身を守るための自主規制が、結果として選挙報道の「ズレ」や視聴者ニーズとの乖離につながっているのなら、もはやメリットよりデメリットの方がはるかに大きいと言わざるを得ない。
テレビ局には他がまねできない「看板」や取材力がある。それを活かして、インフルエンサーや新興ネットメディアがお手上げになるような質・量を伴う選挙報道も、やろうと思えばできる立場だった。例えば各局はその「看板」を活かして各候補者に呼びかけ、ネットで長尺の公開討論会を行い、政策やパーソナリティなどの判断材料を有権者に提示する。こうしたことはテレビ局なら自らの意思ひとつで行えただろうが、選挙期間中ついぞ行われなかった。ちなみに、その穴は新興ネットメディアのReHacQ(リハック)が埋めていた。
「敵対的メディア認知」の加速
これまでの選挙報道のあり方と、有権者の関心の「ズレ」を放置すると、今後ますます有権者のマスコミ不信が加速する。それは、マスコミの報道姿勢を厳しく批判するインフルエンサーの主張に説得力を与え、「敵対的メディア認知」を加速させてしまう。
敵対的メディア認知とは、人間が自分の意見に反するメディアの報道は偏向していると認知するバイアスを指す、心理学用語だ。敵対的メディア認知は、自分の信念に合致した情報を選択的に求め、それに反する情報は過小評価してしまう「確証バイアス」や、自分が属する集団への肯定的な評価と外集団への否定的な評価がメディアの報道を「偏向」だと認知させてしまう「内集団バイアス」によって引き起こされる。また、現在のように政治的に分極化が進む社会では、自分と反対の立場への不信感から、中立的な報道でも「偏向」していると認知されやすくなる。「マスゴミ」というネットスラングに代表されるように、ネットを通じて、マスコミへの信頼感は日々毀損されているのが今日の状況である。
我々は、こうした敵対的メディア認知の広がりを軽視すべきではない。誰もが発信できる「情報爆発時代」の今は、何が「確かな事実」で何が「価値ある情報」なのか、その見極めを生活者一人ひとりが自ら行わなければ、自らの健康や財産すら守れない。新型コロナやさまざまな災害にまつわる偽・誤情報の流通を引き合いに出すまでもない。われわれ生活者を取り巻く情報環境は日々悪化しているのだ。
身も蓋もないことを言えば、情報爆発時代にあっても、誰しもが「事実」と「意見」を切り分け、裏付けある事実のみを発信すれば生活者個々人に害はない。そのような環境では、社会に確かな情報とそれに基づく意見しか流通しないので、マスコミが果たすべき役割もさほどないだろう。いち生活者が、自らのちょっとした専門性を活かして個々に発信し、時に社会的影響力を行使すれば良い。それでもきっと誰も困らない。
だが、現実にはそのような状況になることはあり得ない。
偽・誤情報に代表されるように、今の社会には「情報」は膨大にあるのだが「裏付けられた確かな情報」は実に少ない。後者を社会に大量に供給できる、現存の唯一の仕組みがマスコミの持つ「組織ジャーナリズム」だ。この組織ジャーナリズムがマスコミ報道の信頼度と一緒に共倒れしてしまうと、われわれの社会でデマや陰謀論を否定し、確かな事実を伝えていく役割を誰も担えなくなる。
課題の克服に向けて
われわれJX通信社も、この課題に正面から向き合う覚悟だ。とりわけ正確な調査やそのデータを活かした選挙報道への貢献が重要だと考えている。
今回の都知事選では、報道各社が事前の情勢調査で石丸氏の伸長を予測できなかったことで、社会に無用なサプライズを生んだ。だが、実際のところ「石丸現象」は事前に十分予測可能だった。
筆者は投開票日の7月7日、TBSテレビのデジタル選挙特番に出演した。この番組内では、約20分もの長尺で石丸現象の背景にある有権者の「政治不信」や「メディアシフト」の波を独自調査のデータをもとにいち早く解説することができた。その背景には、数週間前から石丸氏への支持拡大のうねりをデータで察知できたことや、それをもとにしっかり時間をかけて調査の準備やデータの分析に取り組めたことがある。選挙結果はすなわち「民意」であるがゆえに、その解釈をいかにデータに依拠して客観的に、正確に行えるかが極めて重要だ。その点へのこだわりをTBSテレビの制作チームの皆さんと深く共有して取り組めたことが、同種の番組としては最多の同時接続・再生回数の確保につながったと考えている。報道の内容に対する社会的反響も、これまでになく大きかった。
都知事選を終えた今、日本は再び「政治の季節」を迎えている。早くもこの秋の自民党総裁選、立憲民主党代表選の直後には、衆院選の可能性が取り沙汰されている。そして、来年夏には参院選や東京都議選が行われる。選挙報道の従来のアプローチを変えて、課題を克服し、もっと進化させていくチャンスだ。われわれも問題意識を叫ぶだけでなく、志をともにする伝え手の皆さんとともに、汗をかいていきたい。