放送はキャンセルカルチャーとどう向き合うか

成原 慧
放送はキャンセルカルチャーとどう向き合うか

    フジテレビジョンへの広告出稿のキャンセル

    中居正広氏と女性とのトラブルにフジテレビジョンの幹部社員が関与していた疑惑などをきっかけに、2025年1月中旬ごろから同社への広告出稿のキャンセルが広がった。スポンサーから発注済みのCMがACジャパンのCMに差し替えられたり、広告契約が解除されたり、スポンサーが新規の広告契約を見合わせたりしている。その背景には、同社の親会社の株主であるアメリカの投資ファンドが、本件への対応やガバナンスのあり方を問題視し改革を求めていることや、ソーシャルメディアで批判が広がっているという事情も垣間見える。同社には、視聴者やスポンサーからの信頼を取り戻すためにも、第三者委員会等による事実の検証を進め、人権を尊重した放送局として再生できるよう、ガバナンス体制を見直していくことが期待される。

    キャンセルカルチャーとは

    近年では、不適切な言動を行った芸能人が番組やCMを降板させられたり、不祥事を起こしたメディアや芸能事務所との取引が停止されることが増えるとともに、そうした対応を呼びかける声がソーシャルメディアなどで広がることも目立っている。こうした現象は、一般に「キャンセルカルチャー」と呼ばれている。キャンセルカルチャーとは、不適切だとされる言動に非難が集まったり、そうした言動を行った人が表現の機会や社会的な地位を失ったり、そうした言動に適切に対応しなかった企業へのボイコットが呼びかけられたりする現象ということができるだろう(キャンセルカルチャーについて詳しくは、成原慧「キャンセルカルチャーと表現の自由」法政研究89巻3号167頁[2022年]参照。外部サイトに遷移します)。

    キャンセルカルチャーは許されないのか

    キャンセルカルチャーは、芸能人や言論人をキャンセルすることで、表現の場を奪ったり、表現を萎縮させ、表現の自由を脅かしていると批判されることがある。また、キャンセルカルチャーは、法に基づくことなく、裁判などの適正な手続を経ずに、社会の世論や空気により私刑を加えるものであり、法治国家では許されないと説かれることもある。

    しかし、キャンセルカルチャーを否定することは、実はそう簡単ではない。スポンサーが不祥事などを理由にCMの放送を見合わせたり、放送局やスポンサーが不祥事を起こした芸能人を番組やCMから降板させることは、当事者の間であらかじめ定められた契約の条項や業界の慣行により認められている場合も多い。また、スポンサーが新規にどの放送局と広告契約を締結するか、どの芸能人とCM出演契約を締結するかは、基本的にスポンサーの自由である。その際に、放送局や芸能人の不祥事とそれに対する世間の評価が考慮されることも否定しがたいだろう。

    放送局が、どの番組を放送するか、取りやめるか決めたり、番組の内容を当初の企画から変更したり、どの芸能人を出演させるか、降板させるかを決めることも、放送局の番組編集の自由に当たる(放送法3条、最高裁判決2008年6⽉12⽇⺠集62巻6号1656⾴も参照)。また、人々がソーシャルメディアなどで番組・CMの取りやめや芸能人の降板を呼びかける意見を表明することも、基本的には表現の自由として認められるということができるだろう。キャンセルカルチャーは、私的自治や表現の自由といった法治国家の原理により駆動されている面もあるのだ。

    さらに、人権侵害を引き起こしている企業との取引を停止することは、国連や各国政府の推進する「ビジネスと人権」の観点から要請される場合すらある。旧ジャニーズ事務所の創業者による少年らへの性的虐待事件のように、企業が深刻な人権侵害の温床になっている場合、その企業に対して、取引先の企業が問題の改善に向けて働きかけたり、場合によっては取引を停止したりすることは、「ビジネスと人権」の観点から求められることがある。もっとも、人権を守る見地からは、放送局やスポンサーを含む企業には、取引先が人権に関わる問題を抱えていたとしても、取引先との取引をいきなり停止するよりも、まずは取引先に問題を是正するよう働きかけることが求められるだろう。

    放送へのキャンセルカルチャーにどう対処するか

    それでは、放送局は、自社や番組、出演者、取引先へのキャンセルカルチャーにどのような対応すべきなのだろうか。
    キャンセルカルチャーには屈するべきではないと説いて、視聴者らによる放送局や番組、出演者らへの批判や抗議に耳を傾けないのは独善的であり、視聴者らの理解を得ることは困難だろう。反対に、キャンセルカルチャーには抗えないと諦めて、ソーシャルメディアで批判や抗議が広がり「炎上」したら、脊髄反射的に番組の放送を取りやめたり、出演者の降板を決めたりすることも望ましくない。

    放送局は、自らに向けられた個々の批判や抗議について、正当な主張を含んでいるかどうか、根拠とされている事実は真実かどうかといったことを吟味して、対応のあり方を検討する必要がある。批判や抗議に理があると判断するのであれば、必要に応じて、番組の内容を改めたり、番組の放送を見合わせたり、問題のある事務所との関係を見直したり、芸能人の出演を見合わせるといった対応を取ることが求められるだろう。一方、批判や抗議に理がないと判断するのであれば、それに屈することなく、必要に応じて視聴者らに理由を説明しつつ、予定通り番組を放送し、関係先との取引も継続すべきだろう。

    批判や抗議に理があるか判断するに当たっては、放送法4条の番組編集準則(①公安及び善良な風俗を害しないこと、②政治的に公平であること、③報道は事実をまげないですること、④意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること)を考慮することが求められるだろう。

    放送局の番組編集に直接関係する判例ではないが、映画『宮本から君へ』に関する最高裁判決も参考になる。同作品は、独立行政法人日本芸術文化振興会から助成の内定を受けていたが、出演者が薬物犯罪で有罪判決を受けたため、振興会が公益性の観点から適当でないとして助成金を交付しない旨の決定をした。最高裁は、表現の自由が萎縮しないよう、公益を理由に芸術助成の交付拒否が認められる範囲を限定した上で、この映画に助成しても「国は薬物犯罪に寛容である」との誤ったメッセージを発したと受け取られるとは認め難いなどとして、不交付処分は違法だとした(最高裁判決2023年11月17日民集77巻8号2070頁)。

    この判決は、行政による芸術助成を対象としたものであり、放送局など民間企業による番組の放送中止や芸能人の降板などを射程に入れたものではないが、公共的な役割を担う放送局がその種の判断を行うに当たっても参考になる面があるだろう。もっとも、放送局やスポンサーが不祥事を起こした芸能人を降板させたり、出演する番組やCMの放送を中止するのは、公益上の理由のみならず、ブランドイメージの毀損の防止といったビジネス上の理由によることも多い。こうした点で、放送局やスポンサーの判断のあり方は、行政の判断のあり方とは異なる考慮が働かざるを得ない面もある。また、『宮本から君へ』の事例では、薬物犯罪を起こした俳優の出演が問題になっていた。一方、性犯罪など被害者がいる犯罪や不法行為については、被害者の心情や心的外傷にも配慮して、加害者の芸能人やその出演した番組をどのように扱うべきか、きめ細やかな判断が求められる面もあるように思われる。

    こうした問題について適切に対処できるよう、放送局が番組基準やガイドラインなどであらかじめ指針を定めていくことが望ましいだろう。また、その際は、番組審議機関の意見を十分聞くことも重要となるだろう。

    放送にもキャンセルカルチャーへの責任はあるか

    放送自身が、キャンセルカルチャーのような現象を引き起こしてきた面もある。例えば、弁護士でタレントの橋下徹氏が、出演した読売テレビ放送の『たかじんのそこまで言って委員会』(2007年5月27日放送)において、光市母子殺害事件の刑事裁判における弁護人らの弁護活動を批判した上で、「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてもらいたいんですよ」などと述べ、番組の視聴者に、弁護人らについて懲戒請求をするよう呼び掛けたところ、番組放送後、広島弁護士会に、弁護人1人あたり600件以上の懲戒請求がされた。弁護士会は、弁護人らを懲戒の手続に付したが、懲戒委員会の審査に進むことなく、懲戒しない旨の決定をした。

    懲戒請求を受けた弁護士が橋下氏に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は「本件呼び掛け行為は、懲戒請求そのものではなく、視聴者による懲戒請求を勧奨するものであって、......娯楽性の高いテレビのトーク番組における出演者同士のやり取りの中でされた表現行為の一環といえる」と述べ、社会の耳目を集める刑事事件の弁護人が国民から批判を受けることはやむを得ないことや、懲戒請求がされたことにより弁護人らの弁護士業務に多大な支障が生じたとまではいえないことなども考慮して、橋下氏の呼びかけによって弁護人らの被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるとまではいい難く、違法だということはできないと結論づけた。もっとも、判決は、橋下氏の呼びかけについて「慎重な配慮を欠いた軽率な行為」だと指摘している(最高裁判決2011年7月15日民集65巻5号2362頁)。

    今日では、誰かを非難する放送番組の内容がソーシャルメディアで拡散され、多くの人々による非難や予想を越えた反応を引き起こすなど、放送とソーシャルメディアが組み合わさって影響力が増幅することも増えている。放送局には、自らの社会的影響力の大きさに鑑み、キャンセルの呼びかけに当たるようなメッセージを放送することには相応の慎重さが求められるだろう。

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