【メディア時評】次世代が震災を学ぶ機会に 「3月ジャーナリズム」が抱える課題 テレビが伝えた復興 多角的に検証

笹田 佳宏
【メディア時評】次世代が震災を学ぶ機会に 「3月ジャーナリズム」が抱える課題 テレビが伝えた復興 多角的に検証

東日本大震災から10年、この間にメディア界に新しい言葉が生まれた。「3月ジャーナリズム」である。同じような言葉として、「原爆の日」や「終戦記念日」に合わせるように、戦争や平和についての報道が8月に目立つことを表現した「8月ジャーナリズム」がある。これには、戦争や平和について考える番組や記事が8月に集中するという批判的な意味も含まれる。大きな災害や事故について「○○から○年」のような形で毎年報じる、「アニバーサリー・ジャーナリズム(記念日報道)」とも呼ばれる。

「3月ジャーナリズム」化が確実に進んでいることを示すデータがある。日本大法学部新聞学科の震災映像アーカイブ研究会が、10月30日に開催したシンポジウム「震災10年、テレビ報道は震災をどう伝えてきたか」で発表したものだ。テレビ番組を記録・保存した番組アーカイブと、「震災」「原発」「復興」という3つのキーワードを含む、10年間・約27万5,000件のNHK総合、民放キー5局の番組メタ・データを用いた研究から導き出した。3月の震災・原発関連のニュースの放送件数を1とし、それ以外の月の平均放送件数を比較すると、震災が発生した2011年3月以外の平均件数は0.62だったが、16年は0.35、20年は0.28、そして21年は0.22にまで下がった。

この研究を進めていた今年8月、一冊の絵本を受け取った。福島民友新聞社に就職したゼミ生からである。自らが企画から出版まで手掛けた『ぼくのうまれたところ、ふくしま』。未来を担う子どもたちに、震災や原発事故の教訓を伝えたいとの思いで出版された。双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館の語り部の話を基にしたこの本を手にして改めて考えたことは、「8月ジャーナリズム」と「3月ジャーナリズム」の違いだ。「8月」は実際に戦争を体験した人が少なくなる中での継承が大きなテーマである。しかし「3月」は、例えば福島県では今年10月末時点で県外に避難している人が約2万8,000人もおり、被災3県では復興、帰還などまだまだ課題は山積している。そうした状況で、すでに継承という課題も抱えているということだ。

先に紹介したシンポジウムでは、「3月ジャーナリズム」が抱えている課題の一端が見えてきた。福島の民放局からは、「風化はどんどん深刻になっている」「今を生きる人たちへの教訓。原発から脱却できない中、教訓をどう伝えていくか」「全国に出すテーマと地元に出す情報の違いにいまだに迷いながら報じている」との苦悩が示された。風化や継承の問題では、震災を伝えるという側面だけでなく、メディアが被災者にどう向き合い、どんな失敗をし、何を学んだのかといったことを組織内部でどう受け継いでいくかという課題も提示された。「3月」という言葉は"東京目線"ではないかとの指摘もあった。また"寄り添う"報道といっても、励ます、分かち合うなどのエンカレッジ型と、訴える、問いかけるという問題発見・共有型の伝え方があることや、帰還や避難生活者をテーマとする番組は、自治体レベルで大きな動きがないと取り上げにくいのではとの問題も提起された。

一方、「8月」が戦争を学ぶ機会であるように、今後「3月」は次の世代、新しく社会の一員になっていく人々に向けて、震災をどのように知って、学んでもらうかという視点で番組を制作し続けることが重要ではないか、との意見が出された。さらに、震災の記憶や教訓は、「8月」のようにメディアのジャーナリズム機能だけでなく、教育・娯楽機能、さらには学校教育といった、社会のさまざまな機能を融合し、継承していく必要があるとの指摘もあった。

今回のシンポジウムは、研究成果の第1弾を発表したものである。研究会では、テレビは長く続く復興をどう伝えてきたか、「復興五輪」との関係、"テレビ不信"との関係、次なる震災との関係など多角的に検証を進めていきたい。また、ニュース・情報番組だけでなく、ドキュメンタリーやバラエティ、ドラマなど多様なジャンルを分析対象とする予定である。研究会のメンバーは、新聞学科の教員と現在放送現場で活躍している人。教員には、ジャーナリズム研究者だけでなく、放送局出身者もいる。このため、アカデミックなアプローチだけでなく、放送現場の視点も加えた研究が可能だと考えている。

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