年の瀬を迎えると、その年に亡くなった人々に思いをはせる。放送界では、文化功労者や文化勲章に選ばれた名脚本家の橋田壽賀子をはじめ、優れた演出家や俳優たちの死が相次いだ。
大正末期に生まれ、「激動の昭和」と平成、令和の4代を生き抜いた橋田は4月4日、95歳で死去した。常に大衆の身近な題材を取り上げ、半世紀以上も第一線で活躍してきた。主婦層を中心とする幅広い世代に支持された、希代のヒットメーカーだった。
旺盛な筆力は際立っていた。NHKの連続テレビ小説では代表作の「おしん」など4作、大河ドラマは「おんな太閤記」など3作を手掛けた。「朝ドラ」と「大河」というNHKの看板ドラマを計7作(6作がオリジナル)も書いた脚本家は、ほかに見当たらない。
一方、TBSテレビで1990年から始まった「渡る世間は鬼ばかり」は、民放では異例の1年間放送であり、2011年まで10シリーズを数えた。その後もスペシャル編が作られ、フジテレビの「北の国から」シリーズの21年を上回る空前の長寿ドラマとなった。
TBSの「日曜劇場」で放送された「おんなの家」シリーズや朝ドラの「おんなは度胸」などのタイトルからも知れるように、橋田ドラマの主人公は女性が圧倒的に多い。本人は「せっかく女に生まれたんだから、女を描きたい。時代劇でも現代劇でも、家庭をホームグラウンドにしてきた」を口癖にした。一貫して「おんな」の視点に立ち、ホームドラマに徹して、大きな足跡を残した。
名演出家で元TBS常務の鴨下信一は2月10日、85歳で世を去った。橋田とは縁が深く、大ヒットした3時間ドラマ「女たちの忠臣蔵」や「忠臣蔵 女たち・愛」「源氏物語」などを演出した。山田太一脚本の「岸辺のアルバム」は「核家族の内実を鋭くえぐり、ホームドラマの流れを変えた秀作」と高く評価された。山田とは「想い出づくり。」や「ふぞろいの林檎たち」シリーズも作り、80年代の青春群像を生き生きと描いた。
作曲家の小林亜星(5月30日、88歳で死去)が主演した「寺内貫太郎一家」や「幸福」といった向田邦子作品も担当した。「いろんな球を投げたい。作風が違う橋田さん、山田さん、向田さんの代表作を撮れる人はそんなにいないでしょ」と自負し、「ドラマのTBS」の一翼を担い続けた。
鴨下はエッセーや舞台演出も手掛けるオールラウンドプレーヤーだった。著書は『忘れられた名文たち』『誰も「戦後」を覚えていない』など10冊を軽く超える。
「笑い」を愛した大物プロデューサーの澤田隆治は5月16日、88歳で他界した。多くの人気番組を作ったヒットメーカー、さまざまなイベントを手掛けたプロデューサー、制作会社の社会的地位の向上に努めたリーダー、「笑いと健康学会」を旗揚げした大学教授など、多彩な活躍ぶりを見せた。
朝日放送では60年代、公開コメディ「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「ごろんぼ波止場」を一人で演出した。週3本重なった時期の働きは超人的と言うほかない。今も続く「新婚さんいらっしゃい!」も始めた。東京に進出し、75年に制作会社「東阪企画」を創設した。日本テレビの「ズームイン!!朝!」を成功させ、関西テレビの「花王名人劇場」は80年代の漫才ブームにつながった。
澤田も筆が立った。『私説コメディアン史』『上方芸能列伝』などに続く、喜劇人についての著作がライフワークの一つだった。悲運のコメディアンの評伝『ルーキー新一のイヤーンイヤーン人生』は5月末に出版され、遺作になった。
名だたる俳優では、映画「若大将」シリーズや「仁義なき戦い」の個性派俳優から、「北の国から」で人々の記憶に残る名優になった田中邦衛(3月24日、88歳)、「眠狂四郎」などでニヒルな二枚目を演じる一方、TBSの「パパはニュースキャスター」やフジテレビの「古畑任三郎」でコミカルな一面も開花させた田村正和(4月3日、77歳)、日本のアクション俳優の草分けとしてTBSの「キイハンター」などで活躍した千葉真一(8月19日、82歳)、フジテレビの「鬼平犯科帳」で火付盗賊改方の長谷川平蔵を89年から28年間演じ続けた歌舞伎の人間国宝、中村吉右衛門(11月28日、77歳)らの訃報に接した。
故人たちはテレビの黄金時代を担った。その輝きは、同時代を歩んだ視聴者の胸に残像として焼き付いているだろう。
(敬称略)