「第25回石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」が2025年11月12日に発表された(関連記事はこちら)。草の根民主主義部門大賞に選ばれたのは、石川テレビ放送の映画『能登デモクラシー』。石川県穴水町を舞台に、手書きの新聞「紡ぐ」を発行し続ける元中学校教師・滝井元之さんの日々を追い、ローカルメディアの存在意義を重ね合わせながら、惰性と忖度がはびこる役場と町議会の関係のいびつさを浮き彫りにし、能登半島地震後の町の変化も映し出す。監督を務めた石川テレビ放送の五百旗頭幸男さんに、自身の過去作品にも触れながら同作品で何を描いたのかとともに、取材し伝える行為についての考えを寄稿いただきました(編集広報部)。
映画『能登デモクラシー』では、民主主義が壊れゆく奥能登の過疎の町で、手書き新聞によって町を変えようとする80歳の元教師を主人公に据えた(=冒頭写真)。彼の営みを中心に、形骸化する二元代表制、コンパクトシティー政策で置き去りにされる限界集落、震災が逆照射した限界集落の強さなどを番組にして放送すると、それを機に町民、町職員、町議会議員、町長に変化があらわれ、民主主義が再生に向けて動き出すという物語だ。
石川県穴水町で取材を始めたのは、吉村光輝町長が役員を務める社会福祉法人の新施設が、国と町の補助金を使って中心市街地に建てられることを知ったからだ。建設予定地は前年に閉店したパチンコ店の跡地。登記簿などを調べると、パチンコ店運営会社の社長は前町長、土地の大半を所有するのも前町長だった。過去の行政取材で、新旧首長によるここまで露骨な利益誘導を見たことはなかった。町議会は新施設の整備事業を全会一致で承認した。県の補助金も加えると、総事業費約9億円のうち約3億8,000万円が町の予算から捻出された。
過疎が深刻な穴水町は、高齢者も若者も減りゆく「人口減少の最終段階」に入っている。同様の自治体は2022年で全国の4割近くにのぼり、国の推計では2040年に8割を超えるとみられている。限りある予算と資源を効率的に配分するには「選択と集中」は必然だし、補助金はもらえるに越したことはない。だから、多くの自治体が居住と都市機能を中心市街地に集約させるコンパクトシティーに舵を切っている。穴水町もその一つだ。
ただし、行政が「効率化」の名のもとに「選択と集中」を進めるならば、税金が原資のあらゆる政策について、提案から決定、予算の編成から執行に至る過程を町民に詳らかにするのが大前提となる。しかし穴水町では、そうした民主主義の大前提を機能させずに「選択と集中」が進められ、町民にとっては不透明で不可解な施策が進められてきた。それらをチェックすべき議会は機能せず、取材メディアも地元2紙とケーブルテレビだけ。地元の民放とNHKが穴水町に恒常的に取材に入ることはなかった。はたしてこれは、穴水町にだけの特有の問題だろうか。
町役場も隅に置けない手書き新聞とその影響力
映画の主人公である滝井元之さんは、2007年の能登半島地震後、仮設住宅や災害公営住宅の入居者向けに手書き新聞「あした塾だより」を11年間に137回発行していた。手書き新聞で穴水町を変えたいと決意した2020年からは新聞名を「紡ぐ」に変え、町内全域を対象に月に約2回のペースで発行し、100号を超えた。当初は180部だった発行部数は730部にまで増えた。町内会で回覧している地域も多く、実際には1,000人以上が定期的に読んでいるという。発行にかかる年間約100万円の経費の大半は、町内外から寄せられるカンパでまかなわれている。人口6,646人の町で1,000人以上が読むという究極のオールドメディアは、今や町役場も隅に置けない影響力を持つに至った。

<左上から右回りに、手書き新聞「紡ぐ」。同紙を発行する滝井元之さんはネコを7匹飼う。取材場面などで自らの姿も映し出した五百旗頭幸男監督。穴水町の吉村光輝町長(中央)>
滝井さんは、町内の仮設住宅を丹念に訪ねてまわり、町民の悩みや要望に静かに耳を傾ける。それを新聞に記したり、町役場の課長に直接伝えたりと、まさに地味で面倒な活動を長年続けてきた。みずからの手で書き、みずからの足で運び、みずからの言葉とともに手渡す。SNSやネット空間で、強い刺激やバズるものを追い求める人たちにとっては、タイパもコスパも悪い、ひどく退屈な営みかもしれない。でも、この映画を観れば、地味で面倒で退屈な営みの積み重ねが、いかにして町民を変え、町役場を変え、議員を変え、町長を変え、取材者である私の意識を変えたのか、わかってもらえるかと思う。衝撃的で拡散力のあるものが幅を利かせ、当たり前にあったはずのものが壊されていくなかで、ずっとそこにあり続けてきた「退屈な営み」がいかに尊いものか。劇的に時代が変わろうとも、得体の知れぬ派手な言葉がネット空間を飛び交おうとも、身体性を伴った静かなコミュニケーションの強さと重みは変わらない。
雑な「オールドメディア批判」
見失う「オールドゆえの強み」
インパクト重視で近視眼的に物事を判断したり結論付けたりするのがSNSに顕著な傾向だとすれば、ファクトを土台にして地味で平凡な題材であっても長期的視座で本質に迫ることができるのがオールドメディアの強みと言える。それこそが歴史の風雪にも耐えうる「オールド」の背骨に違いない。伝統があるからこその組織力や取材力、ファクトを積み上げる忍耐力や緻密さは、オールドでなければ簡単に備わるものではない。
そうした強みがあるにもかかわらず、アテンションエコノミーに支配されたSNSやネットの論理に迎合し、タイパとコスパのよい取材を偏重したり、記事内容とずれたキャッチーな見出しを量産したり、いかにバズらせるか、ページビューを稼げるかが記者の評価軸になったりするようでは、市民の不信が高まりこそすれ、信頼を得られはしないだろう。
映画『能登デモクラシー』は、世間の雑な「オールドメディア批判」に対するアンチテーゼであると同時に、本来の強みを見失いかけている「オールドメディア」に対するアンチテーゼでもある。右肩上がりの成長が終わり、本来は成熟に向かうべき時代にあって、そこにあったはずの倫理や規範、民主主義がいとも簡単に崩れていく。かつてない批判対象となったオールドメディアに属する取材・制作者として、守るべきは守り、変えるべきは変えていく。そこを表現しなければと思い至った。
報道原理主義を離れて見えたドキュメンタリーと演出の形
過去に制作したドキュメンタリーを振り返ると、「他社とは異なる切り口や角度、視点で為政者を厳しく見つめること」が各作品に通底する基軸だった。民主主義を機能させるために、メディアとして果たすべき基本的な役割だと考えてきたからだ。番組『沈黙の山』(2018年)は立山黒部アルペンルートの冬期営業という荒唐無稽な計画を進めようとした富山県知事の姿勢を問うたものだし、映画『はりぼて』は政務活動費の不正使用をした富山市議14人を辞職に追い込んだ取材がベースとなっている。映画『裸のムラ』(2022年)では、半世紀に2人の知事しか誕生しなかった石川県庁を支配する男ムラの空気を描いた。
映画『能登デモクラシー』でも為政者を厳しく見つめることに変わりはないが、過去の作品とは明確に変えたこともある。私は映画の中で、吉村町長による法律違反行為の決定的証拠となりうる映像を提示し、町長に対して、その映像を直接見せながら法律違反の疑いを問いただした。誤解を恐れずに言えば、徹底的に追及して辞職に追い込むこともできただろう。でも、しなかった。最大の理由は、2024年の能登半島地震後に町長が見せた町民と向き合う姿勢や復興に向けた取り組みを、記者として評価しているからだ。震災が起きた2024年、穴水町は住民説明会を町内6地区で2回ずつ行い、町長が町民の不満や要望を丁寧に聴き取ってまわった。策定した復興計画にも町民の意見を反映させた。
町民にとって大きな安心材料となったのが、「住み慣れた場所に住み続けられようにすること」と「地域コミュニティの維持と再生」を町長が公言し、復興計画に明記した点だ。震災前は町の周辺部を切り捨てる流れだったが、震災後は中心部だけでなく周辺部にも目配りをするようになった。町長の意識の変化が明確に見て取れた。そうした状況で町長が辞職すれば、本格復興へ向かう局面にある町が混乱に陥るのは想像に難くない。はたしてそれが、何よりも早期の復興を目指している町民が望むことなのか。地域に根を張るメディアとして、真にやるべきことなのか。
報道原理主義を貫くならば、法律違反をした公人がいれば事の軽重にかかわらず徹底的に追及して辞職を迫るべきだとの考えもある。「記者たる者、権力者の首を取ってなんぼ」と豪語する先輩たちも見てきた。為政者を辞職に追い込んでは、読者や視聴者の方を向いているふりをして、同業他社に向けて手柄を誇示する。昨今のメディア不信の一因は、長年記者たちが無自覚に醸成してきたこうした「驕り」にあるのではないかとも思う。
当然、厳しい追及は必要だが、震災前の穴水町の状況を作った責任は自分たちにもある。間違っても一過性の批判をして立ち去るメディアであってはならない。映画公開後も穴水町をウオッチし続けることで、真の意味での変化が訪れるかもしれない。映画の中で町長に対して取材の継続を宣言したうえで、今後への期待を示すことにした。本質的な変化への余白。映画を観た人が、そこに希望を見いだせるようにした。これが正解かはわからない。簡単に答えが出る問いでもない。悩み、葛藤し、時に従来の取材表現手法を変えていく。手書き新聞が育んだ変化の芽吹きに触れたことで始めたささやかな試みだ。
「ニュース砂漠」が迫る過疎の町に入って3年。映画公開後の変化までを描いた番組『穴水ラプソディー』を2025年暮れに放送した。大震災と番組放送を経て生じた変化の本質を確かめるため、今も取材を続けている。そこに居続けることで「真の変化」が起こりうる状況を演出する。それも地域でドキュメンタリーを撮る人間の役割だと思うようになった。
※映画『能登デモクラシー』の上映情報はこちらから(外部サイトに遷移します)。

