【新放送人に向けて2022①】萎縮しないために放送倫理を学ぼう

秋山 浩之
【新放送人に向けて2022①】萎縮しないために放送倫理を学ぼう

この春、放送業界に仲間入りされる新放送人たちに向けて、先輩からのメッセージなどを連続企画でお届けします。1回目は、放送に関する業務の基本となる放送倫理について、TBSテレビの秋山浩之さんにやさしく説明してもらいました。(編集部)


もしあなたが作った番組が原因で誰かが傷ついたとしたら? あなたの良心はきっと疼くのではないでしょうか。もしあなたの報じた情報が視聴者を騙す結果になったら? あなたは自らの至らなさを深く恥じるのではないでしょうか。放送局に入社した以上、あなたはきっと、そんなことが起きないように全力で努力することでしょう。

でも、あなたがどれほど細心の注意を払って仕事をしたとしても、完璧な放送などありえません。現場に配属されてしばらくすると、きっとあなたはそのことに気がつくはずです。そして、あなたの先輩たちがこれまでにたくさんのひとを傷つけたり騙したりしてきたことにも気づくはずです。かく言う私もそのひとりです。

放送倫理を学ぶということは、そういう先輩たちの過去を学ぶことだと思ってください。交通ルールに例えるなら「赤信号で止まる」ことを学ぶのではなく「赤信号だったのに止まれなかった事例」を学ぶことです。最初から視聴者を傷つけたり騙したりしようと思うひとはいません。まさか自分がそんな番組を作ってしまうとは想像もしていません。でもふと気がつくと、赤信号を止まらずに走っている自分がいるのです。

先輩たちの数々の教訓

若い頃に私がついやってしまった例を紹介しましょう。入社から2年経った頃、報道局記者だった私は、衆院選のある選挙区をめぐる5分ほどのミニ特集をニュース番組の中で放送することになりました。その選挙区ではベテラン議員と若手候補が激しく争っていたのですが、私は若手候補をいかにも若々しく、ベテラン議員をいかにも年寄りっぽく描いて放送しました。するとベテラン議員陣営から「アンフェアな放送だ」と激しく抗議されたのです。

選挙報道において候補者をフェアに扱うというのは放送倫理のイロハのイなのですが、注目選挙区を面白く描きたいという思いが勝ってしまいアンフェアな扱いになってしまいました。幸いなことに、当時は同じ選挙区から複数の当選者が出る中選挙区制で、両候補とも当選したので、私が作ったアンフェアなミニ特集も大きな問題にはなりませんでした。でも、いま思い返しても肝を冷やすような体験でした。

私たち民間放送には「放送基準」というルールがあり、このルールに則って番組やコマーシャルを放送しています。いま私が挙げた事例は「放送基準11条」に触れる内容でした。

【11条】「政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する」

私が作った特集はこれに違反していた可能性があり、当時もしBPOが存在していたら厳しく批判されたかもしれません。

民放連の「放送基準」は全部で150条余りの条文で構成されていますが、それぞれの条文の理解を深めてもらうため「放送基準解説書」という冊子があり、基本的な考え方が書かれています。放送局で働き始める皆さんにはぜひ手に取って一読してほしいのですが、なかでも一番目を通してほしいのが「事例」という部分です。ここには赤信号で止まれなかった例や赤信号でかろうじて止まった例など、皆さんの先輩たちの数々の教訓が盛り込まれています。

例えば【5条】「人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない」には、以下のような事例が載っています。

【事例】ドラマ。登場人物の一人が全くしゃべらなかったことを評しての「もしかしたら病気だったりして、自閉症とか...」というセリフについて、脳の機能不全によって生じる発達障害である「自閉症」に誤解を与えるとの抗議があった。

「自閉症」という言葉を誤って使用してしまい抗議を受けることはとても多いケースです。このドラマの事例でいうと、自閉症を単なる内向的性格のことだと思い込んでいたり、自閉症を障害ではなく病気だと認識していたり、制作者の誤った理解のもとにセリフが使われています。こうした誤った情報が放送されると「親のしつけが悪いから自閉症になった」とか「努力すれば自閉症は治る」といったさらに誤った考えを社会に拡散してしまい、当事者や家族を深く傷つけることになります。

確かな知識に裏付けされた放送を出す義務

このドラマの制作者は、自閉症の当事者を傷つける意図をもってこのセリフを考えたわけではないはずです。単に「自閉症」という言葉に対する無知や無理解から、こうしたセリフが出てきたのだと思います。だから制作者は「知らなかった......」と言い訳するかもしれませんが、「知らなかった」こと自体が放送倫理に反することなのです。

もうひとつ【57条】「医療や薬品の知識および健康情報に関しては、いたずらに不安・焦燥・恐怖・楽観などを与えないように注意する」の事例を紹介しましょう。

【事例】健康情報番組で「白いんげん豆を用いたダイエット法」を紹介したところ、それを実践した視聴者から、嘔吐や下痢などの症状を訴える苦情が寄せられた。このため、番組やホームページ、全国紙の広告などを通じて、番組で紹介した調理法をやめるよう視聴者に呼びかけるとともに、原因の究明に努めた。

これは大変な健康被害をもたらした事例です。白いんげんを使ってダイエットができると放送したら、多くの視聴者が同じ方法を試すのは当然のことです。だからこそ番組制作者は細心の注意を払って情報を伝える義務があります。ところがその認識が甘く、白いんげんには二種類あることに制作者は気がつかないまま、一種類のみに通用するやり方を番組で紹介してしまいました。結果、もう一種類の白いんげんを使った視聴者が嘔吐や下痢などの健康被害に至りました。このケースもまた、番組制作者の無知と無理解が引き起こした放送倫理違反でした。

以上2つの事例から皆さんに理解していただきたいのは、放送倫理というものの裾野の広さです。それは単に「常識を守っていれば大丈夫」というレベルのものではなく「確かな知識に裏付けされた放送を出す義務」だと思ってください。

「自閉症」という言葉を使う以上、言葉の意味をきちんと理解すること。「白いんげん」を扱う以上、どんな種類のものが一般に出回っているのか把握しておくこと。こうした努力を惜しまず続けることが、放送倫理を守っていくことになるのです。

最近発生した「アイヌ差別発言」もまさに同じ原因で起きています。「アイヌ」の映画を紹介する以上、どのようなアイヌ差別の歴史があったのか担当者は把握しておくべきでした。それを怠ったまま放送した結果、番組は厳しい批判を浴びることになりました。

教訓を民放全体で広くシェア

さてここまで放送倫理について、いかにも机上の正論風のことを書いてきましたが、皆さんがこれから飛び込む放送の現場は、常に時間に追われ、瞬時に判断を求められるようなところが大半かと思います。中途半端な知識のまま放送を出してしまうケースもあると思います。そして時として、ひとを傷つけたり騙したりすることもあるはずです。

冒頭にも書きましたが完璧な放送などありません。赤信号で止まらなかった事例は、これからも積み上がってゆくはずです。そんな時に皆さんにぜひ心掛けてほしいのは、自社や個人のみで教訓を抱えるのではなく、民放全体で広くシェアするように努力してほしいということです。

放送メディアが他メディアに比べて胸を張って良いところは「教訓をシェアする姿勢」だと私は思っています。放送メディアには、他社の誤りを自社にも起こりうる問題として広く共有する文化があります。アイヌ問題も白いんげん問題も、私たちは決してひとつの社の問題として片づけることはしませんでした。民放全体で教訓をシェアして、同じ誤りを繰り返さないよう声を掛け合ってきました。私たちは弱く不完全であるがゆえに、互いに教訓を重ね合い、補い合ってきたのです。

放送メディアがこれからも信頼されるメディアであり続けるためには、こうした補い合いによる放送倫理の維持こそが大変重要だということを理解してください。皆さんが萎縮することなく、孤立することなく、放送に従事するための手段が「放送倫理」なのだと理解してください。たくましい放送人に育ってもらうために、ぜひこの点を心に刻んで放送倫理を学んでいただきたいと思っています。

最新記事