【メディア時評】理工系学生と考える「望ましい社会」 男女平等、同性婚は当たり前 テレビドラマも想像の一助に

治部 れんげ
【メディア時評】理工系学生と考える「望ましい社会」 男女平等、同性婚は当たり前 テレビドラマも想像の一助に

2021年4月から理工系の大学で文系教養科目を教えている。私が担当しているのは「未来社会論」と題した授業だ。学年によって、子ども、ジェンダー、企業やリーダーシップなどの切り口を設定し、「望ましい未来の社会」を考える。自分が本気で望む未来について思い描き言語化することは、簡単ではない。年齢を問わず多くの人は現状維持バイアスにとらわれているためだ。何も訓練しないと、良くて現在の延長を思い描くにとどまってしまう。多くの人は、見たことがないもの、体験したことがない社会を思い描くことができない。そして「優秀な人」ほど、その傾向が強くなる。優秀さというのは、今ある秩序やルールに沿って測られるからだ。では、何も知らない人は未来構想が上手かというと、そうでもない。勉強不足な人の発想は「単なる思い付き」であり、既に議論され尽くしているのである。私の授業では、フィクションを活用することと歴史や国際比較から学ぶことを主軸に、未来の望ましい社会を考えている。

人は見たことがないものを想像できない、と書いた。例えば30年前の新入社員に「あなたが部長になる頃、会社に行かなくても仕事ができるようになっていますよ」と話しても、おそらくピンとこないはずだ。しかしSF映画や小説の世界として、リモートワークをしている様子を見たら「こんな未来もあるかもしれない」と思えるだろう。SFというフィクションは科学技術が発達した未来を思い描く助けになる。同様に、未来の「望ましい社会」を考える際、助けになるのがドラマや映画、漫画や小説といったフィクションだ。学部2年生向けの講義で「ジェンダー視点で良いコンテンツ」について議論したことがある。受講生から映画、小説、漫画、ゲームなどさまざまな意見が出た中で、テレビドラマでは「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)や「きのう何食べた?」(テレビ東京系)が挙がった。いずれも男性同士の恋愛を描いた作品である。

ここで受講生に関する基本情報をお伝えしたい。私の勤務先は他大学の理工系学部と同様、学生の多数が男子で、女子学生比率は学部で13%にとどまる。授業で扱うテーマが「ジェンダー」、担当が女性教員であるためか、この授業に限って言えば女子学生比率は3割程度と多かった。オンライン授業の特性を活かし、講義中はチャット機能を活用。教員(私)のみが見えるダイレクトメッセージも使えるようにしたところ、匿名性を確保できるため正直な意見が集まった。例えば、デート代を男性が払うことを期待する風潮について議論した時のこと。ある女子学生から「デートの時に男性からおごられると、自分に支払い能力がないと思われて馬鹿にされているように感じる」という意見が寄せられた。これを新鮮な発見と受け止め「これからデートの時は支払いをどうするか、相手に確認しようと思う」と感想を記した男子学生もいた。

最終レポートでは、「今あるジェンダー課題が解決した任意の未来」を想定して書いてもらった。多くの受講生が選んだテーマは「同性婚が可能になった未来」である。自身の性的指向を問わず「同性同士が結婚できない現状はおかしい」というのが、20歳前後の多くが共有する常識である。彼・彼女らは「おっさんずラブ」や「きのう何食べた?」が描く、同性が同性に好意を寄せ、愛情を向ける関係性を受け入れている。自身は異性愛という男子学生は、講義内で紹介した同性愛差別に対して「怒りを覚えた」と感想を記していた。

フィクションに加えて講義内で重視したのは歴史だ。約40年前、男女雇用機会均等法を制定した際、労働省婦人局長だった赤松良子さんの自伝『均等法をつくる』(勁草書房)を課題図書に、読書レポートを書いてもらった。女性のみに適用される結婚退職や30歳定年といった、今では考えられない性差別に多くの受講生が憤慨した。ある男子学生は、均等法前の日本社会を女性は産む性と決めつける「動物的な社会」と看破している。

学生たちが見せた性差別、同性愛差別への拒否感はこのように鋭い。いまだに女性議員が少ないこと、ケア労働が女性に偏っていること、男性が経済的責任を担うのが当たり前とされること、そして同性婚が許されないことは、若い世代にとっては決して「当たり前」ではない。筆者を含む中高年層は、自らの常識が次世代とどのくらい「ずれて」いるのか、確認しておく必要があるだろう。

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