国家による自由、国家からの自由(下)

永原 伸
国家による自由、国家からの自由(下)

国家による自由か、国家からの自由か。3つのばらばらの話題に"通奏低音"のように流れる問題を「」「」と論じてきた。この回を締めくくりとしたい。

」は、(1)衆院憲法審査会による憲法改正国民投票法のCM規制論議について、「」は、(2)総務省の有識者会議によるデジタル時代の放送制度の在り方に関する検討を取り上げた。最終回の「下」は、(2)についてさらに議論を深めたのち、(3)自民党情報通信戦略調査会によるBPO(放送倫理・番組向上機構)と番組審議会の検証を取り上げる。

透けて見える「情報空間への介入」の意思

「中」では、フェイクニュース対策を議論した「プラットフォームサービスに関する研究会」を取り上げた。これはデジタル放制検(「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」)と同様、総務省が発足させた有識者会議である。

この2つの有識者会議を、連続したものと捉えてみたらどうだろう。

会議で取り上げるテーマの設定や検討会メンバーの人選は総務省が行う。当然、そこには国(行政)の意思が入り込む余地がある。

今年3月14日に公表されたデジタル放制検の論点整理案には、「放送は、民主主義の基盤であり、災害情報や地域情報等の社会の基本情報の共有というソーシャル・キャピタルとしての役割を果たしてきた」「インターネットを含めて情報空間が放送以外にも広がるデジタル時代において、そうした放送の役割を更に果たしていくことが期待されている」と書かれている。

新聞・放送・インターネットを含めた「言論・表現の自由空間への関与を強めたい」と欲し、その"糸口"を探し求める国の意思が透けて見えはしないか。その"糸口"がフェイクニュース対策(プラットフォーム研究会)から、「放送の役割」のインターネットへの拡大(デジタル放制検)へと変わっただけ......。そのように見えてこないか。

日本新聞協会は、プラットフォーム研究会でも、デジタル放制検でも、国の関与を強化することに否定的な態度を貫いている。「中」で紹介したとおり、インターネットメディアの事業者も「国家からの自由」の立場に立っていると言えよう。

では、放送メディアの事業者はどうだろう。

NHKは昨年12月6日のデジタル放制検の場で、「放送だけでなくインターネットを含む情報空間でも、NHKをはじめ放送事業者等が『良質なコンテンツ』を提供することにより良い影響を及ぼすことへの期待が高い」と強調した。

インターネット事業も放送法で規律されるNHKの場合、このような言い方しかできないのかもしれないが、少なくとも、「国家による自由」の立場に立った人たちには喜ばれそうな表現に聞こえる。

従来一貫して「インターネットは個社の事業領域」として放送法の枠外であることを強調してきた民放事業者は、どうか。

気になるのは、NHKが12月6日の説明で、NHK・民放の「二元体制」を繰り返し強調したことだ=図1=

【サイズ変更済み+枠付け済み】下の図1=NHKの資料より.jpg

<図1 NHKの資料より>

言論・表現の自由空間への関与を強めたい国(行政)と、それを理屈で後押しする有識者に、NHKが呼応することで、民放事業者が巻き込まれていく。そんな構図が見えてこないか。

国家による自由か、国家からの自由か――。この問いかけを、民放事業者はもっと切実に自問する必要がある。

問われたインターネットとBPOの関係

最後となった。(3)の自民党調査会によるBPO(放送倫理・番組向上機構)をめぐる議論に触れよう。

3月9日の自民党調査会に出席した私は、次のようなことを繰り返し強調してきた=図2=

【サイズ変更済み+枠付け済み】下の図2=民放連の資料より.jpg

<図2 民放連の資料より>

「放送界は、放送局の自主・自律的な取り組みと、第三者機関であるBPOによる取り組みを"両輪"とし、双方が取り組みを進めることによって、放送における言論・表現の自由と視聴者・リスナーの基本的人権の尊重を実現できる仕組みを整えている」

会合自体は非公開だったので詳細は控えるが、私が気になったのは、インターネットとの関わりを質問する議員が複数いたことだ。

「放送事業者によるインターネット配信コンテンツはBPOの対象になるのか」

「インターネット上の取り上げ方に対してBPOが基準や見解を出したことはあるのか」

民放連とNHKが設立したBPOが対象とするのは放送番組である。したがって非放送事業者によるネット上のコンテンツは対象とはならないし、放送事業者による配信コンテンツも対象ではない。

無論、だからといって「ネット上なら好き勝手に垂れ流していい」と思っている放送事業者は皆無だろう。

制度による規律ではなく、あくまで、国民・視聴者との信頼関係を自ら重んじ、自ら律する。それが基本だ。

3月9日の会合でも、私は「放送事業者の信頼に傷がつくことは避けなくてはならない。インターネットだからといって考査を緩めることはないと承知している」と強調した。

だが、質問した議員の意識に「BPOにネット上のコンテンツを審査・規律する機能を持たせたらどうか」といった問題意識があるのだとすれば、この議論は、放送を規律するというだけにとどまらず、(1)の衆院憲法審査会や(2)のデジタル放制検の議論と同様、放送をテコにネット空間への介入を企図するものなのかもしれない。

BPOのこともある。放送事業者は好むと好まざるとにかかわらず、「国家による自由か、国家からの自由か」の問いに向き合わなければいけない場面が近づいているのかもしれない。

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