<連続寄稿②>フジテレビジョン『SHIONOGI MUSIC FAIR』60周年 "ミキサーとしての矜持を継承"――音声・吉永哲也さん

吉永 哲也
<連続寄稿②>フジテレビジョン『SHIONOGI MUSIC FAIR』60周年 "ミキサーとしての矜持を継承"――音声・吉永哲也さん

フジテレビジョンの音楽番組『SHIONOGI MUSIC FAIR』(土、18:00~18:30)が8月31日に放送開始から60年を迎えました。テレビとともに歩み続けている『MUSIC FAIR』について、民放onlineでは、演出、音声技術、そして番組スポンサーのそれぞれの立場から、60年を振り返ってもらい、テレビ史の貴重なマイルストーンとなる寄稿をお願いしました。
第2回は、番組の音声を担当している吉永哲也さん。60年の技術の進歩とともに、深化する番組の音づくりについて、教えていただきました。<第1回はこちらから>(編集広報部)


『SHIONOGI MUSIC FAIR』の魅力は何といっても、常に時代ごとの新しい音楽を取り入れながら、超一流の歌い手が、超一流のバックバンドの生演奏で、『MUSIC FAIR』独自のアレンジ(服部克久さん、前田憲男さん、服部之さん、武部聡志さんなど)で競演、コラボすることに尽きると思います。そのため、フジテレビの音楽番組の中で最も高い技術スキルが要求される番組であり、カメラ、照明、VE、音声の各セクションともに、その時々のトップクラスのエンジニアが担当してきました。

テレビ技術の進歩とともに

『MUSIC FAIR』 60年の音声の歴史を振り返るにあたり、まずは技術的側面からお伝えします。

1964年の番組開始時、テレビはモノラル放送でした。当時の『MUSIC FAIR』は事前にテープに収録した演奏を再生し、それを聴かせて歌を収録していました。歌はブームマイクスタンドでの収音が多かったようですが、これは当時のディレクターがアメリカのテレビ番組『アンディー・ウイリアムス・ショー』を参考にしたからだそうです。なお、収音の際のマイクアレンジはドラム、ベース、ギターに各1本、木管、金管やストリングスのパートごとに各1本といった今よりかなりシンプルなものでした。

1978年9月まではモノラル放送でしたが、同年10月3日の放送からステレオ放送になりました(出演者はアリスと山口百恵さん!)。番組のステレオ化にあたり、当時ディレクターだった石田弘(現エグゼクティブプロデューサー)と音声部が検討を行い、テレビ局としてはいち早くマルチトラックレコーダーを導入。同時にトラックダウン※(以下、TD)専用のスタジオを整備し、収録後にTD作業を行う環境を整えました。さらにTDした音をVTRに戻すため、アナログマルチレコーダー(当時は16ch)とVTRをタイムコードで同期するシステムを導入しました。このシステムはテレビ局にしかない画期的なものであり、調整には大変苦労したそうです。

※トラックダウン(TD)=複数の音源(マルチトラック)を再生しながらバランスよくミックスし、まとめる作業。レコーディングの最終仕上げの工程にあたる。

この当時を回想した服部克久先生と前田憲男先生のインタビューがありますので引用します。(『MUSIC FAIR 25TH Anniversary』1989年、フジテレビジョンより)

服部先生:ステレオ化した時、マルチ録音にした。
前田先生:あれが『MUSIC FAIR』の勝利だね。あれでいわゆるニューミュージック系の人たちも出るようになった。それがこの番組が今まで続いてきた大事な理由だと俺は思っている。TDするからレコード並みの音質だし、あとで差し替えもできるし。音に関して心配ないものね。

この記事からもわかるように、マルチ録音とTD作業を導入したことで、アレンジャーや出演者から一目置かれる音楽番組に進化したといえます。

ステレオ化以降のトピックスとしてはデジタル化が挙げられます。1980年代後半から録音機器にデジタル化の波が押し寄せ、マルチレコーダーに当時業界標準であったPCM-3348(48ch)、音声卓にオートメーション可能なNEVE製のフルデジタルコンソールを導入しました。音に空間的な拡がり(リバーブ)を付加する装置についても、フジテレビ社屋内のエコールーム(残響室)を用いていたものがAMSやLexiconといったメーカーのデジタルエフェクターに変わるなど、オペレーションや音質の面で大きく変化しました。

そして1997年、フジテレビは新社屋完成に伴い河田町からお台場に移転します。
収録スタジオにはフロアの壁(ホリゾント)によるフラッターエコーを防ぐため「立面傾斜ホリゾント」を鹿島建設と開発し、収録スタジオとは別にTD作業およびレコーディング専用のDAVスタジオを新設しました。これらは『MUSIC FAIR』という番組があったからこその設備だといえます。

ミキサーとして高い純度で視聴者に音を届ける

次にミキサーとして心がけている点についてお伝えします。

『MUSIC FAIR』では、制作側のより良い音楽、番組独自のコラボの楽しさを高い純度で視聴者に届けたいという熱い想いに高い次元で応えなければならないため、音声としては、音楽への理解力、高いミキシングスキル、番組への思い入れが常に要求されます。収録前のリハーサルに参加し、音声用に譜面を用意してもらい、収録時およびTD時も譜面を見ながらミックスしています。昔と比較すると生演奏の割合が若干減ってはいますが、今も昔もアレンジを理解し、収録、TDに臨む姿勢は変わりません。

収録の際に最も注意を払うのは音の「かぶり」です。演奏者と歌い手、もしくは演奏者同士が近い距離にいるとボーカルマイクや弱音楽器のマイクに他の音が入り、収録したい音とは別の音がかぶることになります。昔はサイドスピーカーで、演者に確認用の音を返していたのでかぶりも大きく、ミックスにも悪影響を与えるためミキサー泣かせでした。現在はイヤモニを使用する歌い手も増え、演奏者のモニター環境もスピーカーからヘッドフォンなどで聴くことができるCUEボックスがメインとなり、さらに楽器間に透明の遮蔽板を立てるなど、さまざまな工夫を凝らすことでかぶりは軽減していますが、ある程度のかぶりは音のうちと割り切ってミックスするのもミキサーの腕の見せ所です。

良い作品、ミックスに仕上げるために重要なファクターとして「ミュージシャンとコミュニケーションを取ること」が挙げられます。演奏の音量などについてこちらから調整をお願いしたり、放送後にミックスの感想を尋ねたりと、日頃から交流することでお互いの意見をフィードバックし、より良い作品作りにつなげています。

こうして収録した音に対しあらためてTD作業を行います。各楽器のバランスを取り直すのはもちろんのこと、『MUSIC FAIR』らしい音楽ホールで聴くような空間の広がりを感じるリバーブ感とコンプをかけ過ぎず「生演奏らしさ」を残す、その2点を意識してミックスします。曲によっては大胆にリバーブ感を変えたり、コンプを強めにかけたりもしますが、あくまでも曲調やアレンジを重視したミックスになるよう心掛けます。

またTD時はより本格的なラージスピーカーと家庭環境に近いスモールスピーカーを切り替えながら作業することで、家庭のテレビでの再生を常に意識しながらも質の高い音楽になるようミックスします。完成したミックスはディレクターと最終チェックを行い、イメージ通りのミックスが完成するまで時間をかけて何度も修正します。

今回、『MUSIC FAIR』の歴史を音声の視点から様々な角度で振り返りました。録音技術や扱う機器は進歩し、アナログからデジタルへと制作環境も大きく変わりましたが、音楽ミックスに対するベーシックな考え方は今も昔も変わりません。過去の教えを受け継ぎ、歴史ある『MUSIC FAIR』のミキサーとしての矜持を継承したいと思います。

本稿を執筆するにあたり、歴代のチーフミキサーである清水幸男氏、松永英一氏に話を伺いました。番組の歴史を追体験する貴重な機会をいただきましたことを感謝いたします。

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