<連続寄稿①>フジテレビジョン『SHIONOGI MUSIC FAIR』60周年 "質の高い音楽を、質の高い映像とともに"――演出・浜崎綾さん

浜崎 綾
<連続寄稿①>フジテレビジョン『SHIONOGI MUSIC FAIR』60周年 "質の高い音楽を、質の高い映像とともに"――演出・浜崎綾さん

フジテレビジョンの音楽番組『SHIONOGI MUSIC FAIR』(土、18:00~18:30)が8月31日に放送開始から60年を迎えました。初回放送は、1964年8月31日。カラーテレビを持つ人はまだ少ないものの、同年開催の東京オリンピックに向けて、ほとんどの家がテレビを持ち見ている。まさにその時に番組は始まりました。今年、3月2日の放送をもって、同番組は世界最長の週刊音楽テレビ番組として、ギネス世界記録に認定されています。
テレビとともに歩み続けている『MUSIC FAIR』について、民放onlineでは、演出、音声技術、そして番組スポンサーのそれぞれの立場から、60年を振り返ってもらい、テレビ史の貴重なマイルストーンとなる寄稿をお願いしました。
第1回はチーフプロデューサー兼演出の浜崎綾さん。番組の変わらぬ使命について、教えていただきました。<><第2回はこちらから>(編集広報部)


2024年現在、現役で『SHIONOGI MUSIC FAIR』に携わっているスタッフのうち、最年長は81歳の石田弘エグゼクティブプロデューサーです。その石田でさえ、1964年の番組スタート当時はいなかった(大学生だった)というのですから、いかに60年という歴史が長大なものであるかを実感します。『MUSIC FAIR』が背負う使命は60年間一度も変わらず「質の高い音楽を、質の高い映像とともに」ということのみでした。0.1%でも視聴率を上げるために新しい企画を開発したり、上層部からのテコ入れ命令に右往左往したりするのが常のテレビ業界において、ここまで愚直に「質」を追求し続けられた番組は唯一、といっていいのではないでしょうか。「昔話」としてですが、より質の高い照明を作り上げるため2時間でも3時間でもアーティストにお待ちいただいた、という伝説を耳にしたことがあります。

また同時に番組独自のアレンジで「ここでしか聴けないもの=プロダクションナンバー」を作ることにもこだわってきました。「CDと同じことをやるならCDを流しておけばいいじゃないか! この曲をどんなアレンジで料理してやろうかってことを考え続けるのがディレクターなんだよ!」というありがたいお言葉(叱責)は代々ディレクターに受け継がれてきました。いまは当たり前になったコラボレーションも『MUSIC FAIR』は70年代、80年代から番組の十八番としてやってきたものです。

受け身ではない「発想力」

『MUSIC FAIR』でものづくりをするということは、どんなセクションでも「受け身」ではいられません。「お前はこの楽曲でどんな表現をするんだ?」ということがすべてのセクションのスタッフに突き付けられます。

最初に試されるのはディレクターの「発想力」です。洋楽のスタンダードナンバー、ジャズ、昭和歌謡、クラシック、ミュージカルなど幅広い知識がなければまず「発想する」ことができません。自分の生まれるはるか昔の楽曲や名作といわれる映画、ミュージカル、映像作品等に日頃から興味を持ちインプットし続けることが必要です。知識という土台があって初めて「あの曲をこのアーティストに歌ってもらいたい!」という発想につながるわけです。

音の「具現化」、映像の「表現」へのジャンプ

「発想」の次にくる壁は「具現化」です。頭で思い付いたアイデアを実際に「具現化」するところまで持っていくのも簡単なことではありません。歌い手の音域と楽曲が合わなかった、男性と女性のコラボレーションでどうにもキー設定がうまくいかない......などいくつもの壁にぶち当たります。そんな時は、服部克久さん、前田憲男さん、武部聡志さんといった『MUSIC FAIR』で音楽監督を務めてこられた日本を代表するアレンジャーの皆さまのお力をお借りして、何パターンかの検証を行い「これならいける!」というものをアーティストに提示します。これを毎週毎週繰り返すわけですから「コスパ」が叫ばれる現代においては非常にコスパの悪い、手間ひまをかけた番組作りをしているともいえます。しかしこの「手間ひま」こそが『MUSIC FAIR』の品質を保っている源泉であると感じています。音楽面で「具現化」が達成されたあと、ディレクターが対峙する第3の壁は映像面での「表現」です。

昨今の音楽番組では大型のLEDビジョンが導入され、そこに映し出されるグラフィックが視覚的な表現の大部分を占めています。しかし『MUSIC FAIR』はLEDビジョンを基本的には使用せず、スタジオのホリゾント(壁)とセットに対してどのような照明を構築するか、という作り方をしています。ホリゾントにどのような情景を描くのか、人物に当てるキーライトに指向性があるのか、ないのか。セットタッチメインなのかムービングライトメインなのか、この楽曲から想起される色は暖かみがあるのか、冷たい色なのか......考えることは無限にあります。

これらをライティングディレクターに「お任せで!」とやっているのではなく、毎週会議室に集まって一緒に音を聞きながら「ああでもない、こうでもない」と議論しながら1曲ずつ丁寧に作っています。

「発想」→「具現化」→「表現」という3つの壁を必死によじ登りながらより良いゴールを目指し続けるのが『MUSIC FAIR』のディレクターなのだと思います。

ものづくりが結んだ『MUSIC FAIR』60周年9週連続企画

そんな『MUSIC FAIR』60年の集大成が2024年3月から放送した9週連続企画でした。松任谷由実さん、松田聖子さん、矢沢永吉さんという錚々たるアーティストのワンマンライブと大阪フェスティバルホールで行った3000回記念コンサートが6週分。『MUSIC FAIR』が60年の時を経て、なお変わらぬ使命をもとに作られていることを証明するものであったと自負しています。

テレビに出演すること自体が非常に稀であると言われる3組のアーティストのワンマンライブがなぜ実現したか。その理由は前段で述べた「コスパ度外視の手間ひまかけた番組作り」をこれまでにご覧になり、ものづくりをする人間として少なからず共鳴していただけた部分があったからではないかと想像しています。どこまでもアーティストに、楽曲に向き合う姿勢を感じ取っていただけたからこそ、「60周年ということなら、身を任せてみようか」と思っていただけたのではないか、そうであってほしいと思っています。

「やり続ける」ということ

誤解なきように申し添えるとすれば、『MUSIC FAIR』も時代に合わせた効率化や変化、進化はしてきました。しかし、ものづくりの根幹に関わる部分、それを手放したらもうものづくりではないでしょう、という部分は守り通してきました。結果的に他の誰もやらなくなったことを『MUSIC FAIR』はやり続け、それが唯一無二の番組の個性となったのだと思います。勉強も、部屋の片付けも、ジムのトレーニングも始めることはできますが「やり続けること」はとても難しいことです。『MUSIC FAIR』は60年間やり続けた。そういうことなのだと思います。

今私が望むことは、『MUSIC FAIR』の歴史の中で2024年の現在がただの通過点であった、と言えるようになることです。これから先も、多くのアーティストのご信頼に沿えるものづくりをし続けていきたいと思います。

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