選挙報道への有権者の不満
衆院選に先立って2024年7月に行われた東京都知事選挙では、マスコミ、とりわけテレビ各局の選挙報道をめぐる姿勢が大きな議論を呼んだ。テレビ局が有権者に対して、選挙の投票判断に有用な情報を十分に提供できていなかったのではないか、といった声が巻き起こったのだ。
選挙期間中、テレビ局の選挙報道の量が減るのは今に始まったことではない。その理由として、公職選挙法(公選法)などの「法律上の制約」があるという説明が多い。だが、今年はReHacQやPIVOTに代表される新興ネット動画媒体がその代替的な役割を積極的に果たそうとしていたのが従来との違いだ。各候補者も彼らの取り組みに呼応して、長尺のインタビューに応じたり、討論会に参加したりした。
選挙期間中、ネットでも充実した情報に触れられる体験をした有権者が、本来その役割を果たすべきテレビ局の「沈黙」に強い不満を向けたようにも見える。
今年、選挙報道のあり方が大きな議論になった背景には、ネットが実際に選挙結果に大きな影響を及ぼすようになったことも背景にある。「石丸現象」でYouTubeが果たした役割については、以前の拙稿でも指摘した通りだ。そして、衆院選においては国民民主党が比例得票数を前回比2.4倍、議席を改選前対比で4倍に増やすなど大幅に躍進したことで、あらためてネット選挙の威力の増大ぶりに耳目が集まった。
国民民主党の「YouTube選挙」
国民民主党が衆院選でとった戦略は、外形的には極めてシンプルだった。元来の「強み」を伸ばすことにのみ集中していたのだ。
世論調査で見ると、国民民主党の支持層は、長らく「都市部」「若年層」「男性」に集中していた。労働組合に加入している「働く人」のベネフィットに直結する政策を訴え、その訴えを玉木雄一郎代表自ら「永田町のYouTuber」となることで広めていた格好だ。今回の衆院選では、それら政策を「手取りを増やす。」という分かりやすいキャッチコピーで表現した。
加えて、選挙公示直前から行われた党首討論の場で、玉木氏は「若者をつぶすな」と大書したパネルを掲げた。国民民主党が誰に向けて政策を繰り出しているのかを、これ以上、分かりやすく表現した言葉はない。この模様は写真やショート動画などで繰り返し拡散され、多くの若い有権者の目にとまった。
そうした発信に関心を持った有権者は、国民民主党や玉木氏が過去に発信してきたさまざまな長尺の動画を見始める。内容は政策の解説が多い。YouTubeが内在する、好みの動画を自動的に薦められる「レコメンデーション」のしくみによって、国民民主党のメッセージをさまざまな角度から受け取ることになるのだ。そうして支持強度が高まった支持者は、玉木氏など国民民主党の議員が出演するYouTubeライブにも参加するようになる。YouTubeライブは、ライブチャットを通じて議員と双方向でやりとりすることができるのが魅力だ。玉木氏は1回のライブ配信で1万人以上の同時接続者を集め、彼らが投じるスーパーチャット(投げ銭をしてメッセージを書き込める機能)は毎回100万円以上に上っていた。
シンプルで明確なメッセージを、ターゲットを絞って発信することで耳目を引く。そうして関心を持った有権者を、ショート動画→長尺動画→ライブ配信による交流と3段階に分けて受け止めていく。こんなしくみで、国民民主党は「YouTube選挙」を成功させたのだ。
JX通信社とTBSテレビが選挙中盤に実施した合同調査によると、国民民主党の支持層の4割超が、YouTubeを「政治や社会の情報源」として長時間利用しているという。自民党や立憲民主党、日本維新の会がそれぞれ1割程度に留まったのと比べると雲泥の差だ。「Googleトレンド」が示す選挙期間中のYouTube内の検索回数を見ても、国民民主党は日を追うごとに勢いを増して、終盤には全政党を上回るトップの検索ボリュームを確保していた。玉木氏は「石丸現象を研究した」と公言して憚らないが、その研究の成果は極めて大きかったと言える。
各党が「ネット選挙」を展開
都知事選での「石丸現象」を目の当たりにしたのは、他の各党も同じだ。大いに影響されたのか、今回の衆院選ではほぼ全ての政党が「ネット選挙」に相当な投資をしていたようだ。しかし、結果を見ると、政党間でも大きく明暗が分かれている。
例えば自民党や日本維新の会は、それぞれの党首のプロモーションビデオのような宣伝用の動画を作成し、その1本を大量に広告出稿して再生回数を稼いでいた。だが、上記のように、両党の支持層の構成を見ると、こうしたYouTubeへの投資が得票に結びついた形跡はない。一方で、国民民主党は、大量の本数の動画を作成して、ターゲットごとに細かなメッセージを届けていた。
ワンメッセージで無差別に発信するマス広告的なアプローチと、ターゲットごとに最適な発信をする(民間事業者なら当たり前にやっている)ネットの運用広告のアプローチの違いもまた、大きな差を生んだようだ。「ネットどぶ板選挙」(玉木氏)というだけのことはある。
マスコミ不在のネット情報空間の「真空」状態
こうしてネットが実際の選挙結果、つまりリアルな政治や社会の動きに大きな影響を及ぼすようになったのに、ネット上ではマスコミの存在感は希薄だ。
ネット上でボートマッチ(有権者が、自分と各政党や候補者の考え方がどれだけ一致しているかを測定することのできるサービス)など選挙関連の企画を展開するとよく分かるのだが、有権者は間際にならなければ選挙に関心を持たない。アクセス数が高まるのは選挙期間の最後の数日で、最もアクセスが集中するのは選挙当日となることが多い。実際、過去に「明るい選挙推進委員会」が調査したところ、有権者の過半数が選挙期間に入ってから投票先を決めているという。
「明日は投票日だ、選挙に行こう」となってようやく候補者を見比べたり、政策を眺めたりする有権者が大半であるとしたら、その期間に選挙関連の情報へのニーズが急速に高まるのは自然なことだ。例えばReHacQはYouTubeで存在感の大きいメディアだが、東京都内の全ての選挙区を対象とした公開討論会を行っていた。こうした活動を公益のための取り組みでビジネス度外視だと評する向きもあるが、大量に再生されている実態を見れば、恐らくそうではないだろう。選挙期間中は、選挙の情報に際だったニーズがある。それだけのことなのだ。
そこに、事実確認を踏まえてバランスを重視しながら情報発信する「しくみ」を内在する報道機関の存在が希薄で本当に良いのだろうか。ポジティブに言い換えれば、報道ないし組織ジャーナリズムは、玉石混交のネット空間でこそよりその役割を果たすことを期待されているのではなかろうか。
公平性を重んじ、事実の裏付けのある情報を伝えていく報道の営みは、過激で不確かな情報の多い今日の情報環境においてこそ「空気」のように必要とされている。にもかかわらず、公選法や放送法による制約を理由として、選挙期間、最も情報が求められる時期に報道機関が一歩引いてしまう。その結果、ネットの情報空間は「真空」状態になってしまっているのではなかろうか。
自主規制による「リスク」の拡大
その矛盾が露呈したのが、衆院選から間を置かず行われた兵庫県知事選挙である。選挙期間中は、地上波でもデジタルでも知事選の争点や各候補の発言に関するテレビ局の報道は控えめだったが、投開票日に斎藤氏の当選が報じられると、テレビ局の存在感の希薄さに批判が噴出した。ネットの情報空間における、真偽不明の情報や誹謗中傷の量がとにかく多かったからだ。
知事選の翌日以降、テレビ番組を見ていると、出演者から公選法の制約という「事情」を説明し、理解を求めるかのようなコメントが目立った。だが、冷静に確かめてみると、そもそも公選法はテレビ局の選挙報道を規制していない。むしろ、選挙に関する情報を自由に報道し、評論する自由を保障している。法律上求められているのはあくまで公平性の維持だ。この公平性についても、BPO(放送倫理・番組向上機構)は、量的公平性よりも質的公平性が重要だと指摘(※外部サイトに遷移します)している。
公選法の兼ね合いで、情報を出さず、触れないことが「リスク管理」だと考えているとすれば、どうも実情は違うようだ。選挙後のマスコミへの批判の噴出ぶりを見れば、むしろ積極的な選挙報道をしないことがリスクになっているようにすら見える。リスクを回避しているようで、実はリスクを拡大再生産している状態だ。
近年、ネットの情報空間では、自分の意見に反するメディアの報道は偏向していると認知してしまう「敵対的メディア認知」の傾向が強まっている。敵対的メディア認知と戦うには、事実の裏付けのある情報を伝えていくしくみを持つマスコミ自身が、選挙期間中の情報ニーズに積極的に応えていくしかない。われわれJX通信社も、その取り組みにテクノロジーやデータの観点からより貢献していきたいと考えている。