2022年北京オリンピックでの実況が終わった後、私がよく聞かれたのは、「かなり大変な準備だったのでしょう?」というフレーズ。この言葉にいつも戸惑ってしまいます。「えぇ、まぁ」と苦笑いをしながら答えてしまうのが常です。でも今回正直に答えるなら、振り返ってみると確かに大変だったかもしれないけれど、それ以上に楽しさの方が上回っていました。なぜなら、トップ選手の命を懸けた自己表現とそのチャレンジを見続けていたわけですから。何日も朝から晩まで擦り切れるほど映像は見ましたが、いつもそこにあるのはワクワクと、何がどうなっているかという疑問、そして各選手への興味。もっと見たい、知りたい、自然と心が赴くままに没頭していたことに「大変」と言っていいのかどうかいつも悩みます。
<新夕悦男さん㊨(世界陸上2022オレゴン)>
私の中では、どの競技でも同じ姿勢で向き合います。その競技について心の底から知りたいという欲求、取材などを通じ、そこからわかってくる選手のバックボーンなどが加わって、自分自身がその競技を楽しむ、そして一番近いところから、視聴者の皆さんとその楽しさを共有したい、その競技に少しでも興味を持ってもらいたい、そんな思いが根底にあります。
今起こっていることに言葉を紡ぎ出す
実況との出会いは某局での入社試験。全く実況なんてできず、見事に試験には落ちましたが、その日は衝撃的な発見がありました。実況は「言葉という絵筆で見る人の頭の中に絵を描くことができる」。これは今も私の原点にあるものです。理想どおりにはいかず24年たった今もかいているのは恥ばかりという現実もありますが(苦笑)。ともかくTBSに縁があってお世話になっていますが、恵まれていたのはラジオ・テレビのどちらでも実況ができることでした。
ラジオでのスポーツ実況は画がないからこそ、まさにリスナーの頭の中に言葉で絵を描く作業が必要になり、言葉の絵筆の量が求められます。さらにスポーツ実況の基本である「今起こっていることを遅れずに描写する」という姿勢も必要です。遅れてしまえば、それはニュース原稿と同じで、あとから伝えているのと何ら変わりはなく、今この瞬間に起こっていることにしっかり反応して言葉を紡ぎ出していくことこそが実況なのだと、叩き込まれました。
テレビは画があるからこそ、見えているけれども、見えていない部分を感じ取る作業や、画面では見えない部分を言葉で見せていく作業があります。観察と考察を「間」の中で瞬時に判断していくことも大事にしていることです。具体的に言うと「変化」に気づいていけるかどうか。どのスポーツも同じことの繰り返しはありません。一つの試合や競技会の中で駆け引きは行われ、試合の中で軌道修正されていきます。その違いや変化をいかに解説の方とともに掘り下げて選手たちの狙いを見ていくか、先の展開を読んでいく作業も併せてここでは必要となります。
ラジオ実況で学んだこと、テレビ実況で学んだことがミックスできているのは何事にも代えがたいものとして今、私の中で活きています。
中でも私自身が影響を受けた実況はTBSの大先輩でもある石井智さんの1971年日本シリーズ第3戦、王貞治さんのサヨナラホームランのときの実況です。実況の中心は打った王さんではなく、打たれたピッチャーの山田久志さんでした。「山田動けない。山田動けません。悔やんでも悔やみきれない1球」。全てにおいて表と裏がある、光と影がある。幅広く視点を持つこと、角度が変わればストーリーも大きく変わるということ。改めてスポーツ実況の難しさとそこに臨む覚悟を学んだ実況です。
また、2008年北京オリンピックで柔道の谷本歩実さんの金メダル獲得を涙しながら実況し続けた他局の先輩の、とことんまで競技と選手に寄り添う姿が、隣で当時ディレクター業務をしていた私にとって大きなターニングポイントとなりました。そこまでシンクロしなければ伝え手としては見ている方、聴いている方には足りないのだ、ということを背中で見せてもらったことは、ありがたい経験でした。
チャレンジし、伝え方の可能性を広げる
実況はこうあるべき、というものではないと思います。当然基本というのはいつでも立ち戻れる、やり直せる場所になるので大切になりますが、そこからの形づくりはもっと自由があってもいいと思います。これまでの形が全て正解というわけではありません。失敗を恐れずに自分がどう競技を伝えたいのか、どうやって皆さんと共有することができるのか、それを考えた中でチャレンジすることで、新しい伝え方、実況の可能性を広げていくことができます。まねるだけでなく、作り上げていく魅力が実況にはあるのだと思います。
また、スポーツ実況は制作陣や技術の皆さんとディスカッションを重ね、一つのものを作り上げていく、チームとしての側面もあります。これも魅力の一つとしてあるのではないでしょうか。私はいつもチームワークをとても大切に考えて取り組んでいます。
何が起こるかわからない、思いもよらぬことが起こるのがスポーツの世界。人間の限界の向こう側でチャレンジする姿に純粋に心ふるわされますし、見ている側の想像を軽く超えていってしまうからこそ、素晴らしさがある。だから、こちら側が選手や競技の枠を決めてしまうようなフレーズを決めて実況に臨むことは選手の皆さんに失礼だと思っています。そんなものをはるかに凌駕していく、見たことのない瞬間はやってくるはずだから。その時、その瞬間に何を感じ、どんな言葉が出るのか、それを大切にしていきたいと思っています。
今、実況の理想というと、そこからは一番遠いところにいる気がします。手が届きそうかな、と思ってもやればやるだけ遠くなっていく気がします。理想が大きくなりすぎているところもあるとは思いますが、やってみたいことがたくさんある、経験したからこそできるチャレンジもあります。そのギャップの中で懸命にあがけること、もがけること。それが実はとても楽しい時間だったりします。簡単にできないことにチャレンジし続けられる環境がある今、最後の最後まであがけるだけあがいて、もがけるだけもがき続けていたい、と思います。そう、実況は沼ですね。