U30~新しい風⑨ サンテレビジョン・松井愛さん「他では見られない独自性を」【テレビ70年企画】

松井 愛
U30~新しい風⑨ サンテレビジョン・松井愛さん「他では見られない独自性を」【テレビ70年企画】

テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星13社の発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。

30歳以下の若手テレビ局員に「テレビのこれから」を考えてもらう企画を展開します。第9回に登場するのは、サンテレビ編成スポーツ局スポーツ部の松井愛さん。阪神タイガース戦の中継でディレクターを担当しています。松井さんには、2023年の阪神タイガースが優勝を決めた試合中継などから感じたテレビの可能性を語っていただきました。


2023年9月14日、プロ野球・阪神タイガースは18年ぶり6度目のセ・リーグ優勝を果たした。これほどまでに関西地域が喜びに包まれた日はないだろう。そんな特別な日に中継を担当し、視聴率は20%を超えた。ビデオリサーチ調査開始以降、サンテレビの阪神タイガース戦中継としては過去最高の記録だ。

「テレビ離れ」が叫ばれる今、テレビの可能性をこれほどまでに感じた1日はなかった。

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スコアブックが書ける中継

サンテレビは、兵庫県を放送エリアとする独立局だ。マスコットキャラクターは太陽の姿をした「おっ!サン」(=写真㊤)。そのキャラクターが表しているように、釣りやゴルフ、時代劇など中年男性が好きなものを詰め込んだ番組編成で放送している。

その中でも、阪神タイガース戦の中継は看板番組で、どんなに長引こうとも、試合開始から試合終了まで放送する。「スコアブックが書ける中継」を合言葉に、過剰な演出はせず、1球たりとも撮り逃さない基本スタイルを徹底している。2023年レギュラーシーズンは、143試合中、他局とのリレー中継を含めて55試合を放送した。

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<オフシーズン恒例のタイガース応援番組の様子>

私は22年に報道部から、スポーツ部へ異動となった。
嬉しくもあり、不安でもあった。恥ずかしながら、野球を全く分からない状態だったからだ。

まずは、スコアブックの書き方から学んだ。ストライクとボールの見分け方すら分からず、一緒に先輩に書いてもらい、イニングごとに答え合わせをする。同じことを何度も聞いた。

それでも、根気強く教えてくれた先輩たちのおかげで、スコアブックの書き方が理解できるようになったころ、放送席のフロアディレクターの仕事を任された。解説者や実況アナウンサーに向けて、中継車に乗るディレクターからの指示を伝えたり、時間管理をしたりする。これだけ聞くとシンプルに思えるかもしれないが、そのほかにも、野手の守備位置や選手交代、観客の様子や風の向きなど、放送席にいるからこそ分かる情報を、中継車に乗るディレクターやカメラマンに伝えなければならない。CM明け時間のカウントをしながら、選手交代がないか確認。さらに中継車からの指示を聞きながら、アナウンサーにも次の段取りを伝えて、風がどう吹いているのかを見て......。聖徳太子になったかのような気分だ。

もちろんうまくいくわけもなく、焦っては、あらゆるものを落とし、選手交代も間に合わず、とダメダメだった。放送席にいるのに何も役に立てていないことが悔しくて、帰宅後に試合を見返しながら流れを繰り返しイメージした。何度も失敗しながら中継を経験していくと、今何が必要かということが少しずつ分かっていく感覚を覚え、とてもうれしかった。

甲子園の神様が味方に

そして、スポーツ部に配属されて2年目。待望の「アレ」が目の前に迫ってきた。

阪神タイガースファンにとってもちろん優勝は悲願で、例年「あかん、優勝してまう!」と言いたいけど言ってはいけない。阪神が首位を独走し、"阪神優勝"とメディアは言っていたが、終盤に失速し、あと一歩で優勝を逃した歴史が2008年や21年とあるからだ。しかし、23年は「阪神はほんまに、優勝してまう!」と口にしてしまっても、その心配を感じさせないほどに強かった。

最短優勝日を知らせるマジックが点灯しても阪神タイガースファンは慎重だった。「まだ騒いだらあかん、何があるか分からへん」。日々マジックが減る中、社内も緊張感に包まれる。18年前、2005年の優勝も当社が中継を担当していた。そして、その前の2003年も。「3度目の優勝を中継できるのか?」と阪神タイガースの優勝に向けた会議が連日行われ、さまざまな想定で日々準備に追われた。

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<当社ロビーに設置された手作りの優勝カウントダウンボード>

もともと、当社の中継日は9月14日と17日だった。最短優勝の14日を目前に期待は膨らむ。阪神タイガースびいきのテレビ局としては、優勝の瞬間を放送したい。祈るような思いだった。

そして、その日はやってきた。いつものように中継車の前で打ち合わせをし、試合に臨む。「特別な日だけれどいつもどおり。今までやってきたことをそのまま出してくれたらいい」と上司は言う。「いつもどおり。意識せず」とはいっても、球場の応援、熱気、空気すべてが違っていた。

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<中継前のスタッフ打ち合わせ>

この日も私は、放送席のフロアディレクターを担当。カンペを出し、中継車からの指示をアナウンサーや解説者に伝える。インカムを通して伝えられる上司からの指示の声が、球場の歓声にかき消される。当社の編成スポーツ局長も甲子園球場に駆け付け、ともに試合を見守る。いやでも「特別」を意識してしまう。

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<当日の放送席(左が筆者)>

試合は両者一歩も引かない投手戦。観客は選手の一挙一動に喜怒哀楽を表す。阪神タイガースの投手が三振を取ると拍手が沸き起こる。試合が動いたのは6回裏。阪神が犠牲フライとホームランで3点を先制、その後、相手エラーも絡み4点目。最終回に1点差に迫られるも、4対3で勝利した。

優勝が決まったその瞬間は、胸に迫るものがあった。監督が胴上げされる中、選手たちの思い、そしてファンの思い、いろんな思いが甲子園球場にあふれているような感覚を覚えた。月並みではあるけれど、夢の中にいるような気持になった。熱気にのまれそうになる中、インカムから届く上司の指示で、現実に戻る。なんとか中継を終え、急いで祝勝会場へ向かった。実況を担当していたアナウンサーが祝勝会場へ向かうバスの中で、「甲子園の神様が味方してくれた」と言った。少々大げさな気もするが、当社にとってはそれほどに特別なものだったのだ。

視聴者が見たい番組を届ける

私はテレビが大好きだ。小学生のころ、テレビ番組の録画をし忘れた母に、泣いて怒るくらいテレビが好きだった。自分の見たい番組があっても兄弟、そして両親とのチャンネル争いを制さないとありつけない。時にチャンネル争いに負け、見るつもりのなかった番組を家族と一緒に見て、笑ったり泣いたりした。私の知らない世界をいつも見せてくれるのはテレビだった。期待に胸を膨らませテレビ局に入社したけれど、当初から言われ続けているのが「テレビ離れ」。「テレビを見ない」「テレビを持っていない」という声は日々、大きくなる。

そんな中、阪神タイガースの優勝は、テレビの可能性を示してくれた。視聴者は見たいものがあるなら見る。それが「テレビ」であっても「ネット」であっても。数ある選択肢の中で、兵庫県を中心とするエリア内およそ5人に1人が「サンテレビ」を選んでくれたのは、これまでの愚直な中継姿勢によるものだと思う。

阪神タイガースはその後、日本シリーズも制し、日本一に輝く。奇しくも、その当日11月5日は当社社屋のメンテナンス日で、全館停電に。日本一を祝う特別番組は最後まで放送できず、途中からYouTubeへの配信に切り替えざるを得なかった。暗闇の社内に残った配信チームは、空調も効かない部屋で作業に当たり、ネットを通して番組を届けた。SNS上ではテレビでの放送終了に驚きのコメントが寄せられる中、放送エリア外で普段は番組が見られない遠方の阪神タイガースファンたちから、ネット配信への喜びのコメントが殺到した。まさにテレビとネットの融合だった。

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<暗闇の社内で作業にあたるネット配信チーム>

すべての世帯に向けた番組作りから「コア層」に向けた番組作りが求められる時代なのかもしれない。だからこそ、テレビも他では見られない独自性を見いだすべきなのだと実感する。ゴルフ、釣り、時代劇、そして試合終了まで放送する野球中継。これまで当社が独自路線を走りつづけてきたのは、独立局としての存在意義という危機感をすでに抱いていたからかもしれない。

「サンテレビをつけたら阪神タイガース戦を最初から最後まで放送してくれる」

そのファンの気持ちにこれからも応えていきたい。そして、野球中継にとどまらず、県内に本拠地を構えるプロスポーツチームやアマチュアスポーツの取材や中継に積極的に取り組み、ファンとともに地域のスポーツを盛り上げられるテレビ局でありたい。

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