テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星13社の発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。今回は、テレビバラエティの歴史を振り返る3回目(最終回)です。
〔注〕放送局名と人名を併記している方 は、いずれも当時在籍していた局名です。
2回目はこちらから。
1.ドキュメントバラエティの誕生
~バラエティの多様化から『進め!電波少年』へ
◆ジャンル横断によるバラエティ番組の多様化
1980年代後半に花開いた"遊び志向"は、同時にバラエティというジャンルそのものの活性化ももたらした。その結果、笑いとそれ以外の要素を掛け合わせて新しいバラエティ番組をつくろうとするジャンル横断的な動きが活発になり、この時期以降バラエティ番組の多様化が一気に進んだ。
たとえば、『世界・ふしぎ発見!』(86年~、TBS)は、海外ロケとクイズ、トークを組み合わせ、教養番組の要素を加えたバラエティ。テレビマンユニオンの重延浩が企画・プロデュースしたもので、安定した人気を得て長寿番組となった。
また後に『エンタの神様』(2003年~)などをヒットさせたことでも有名な日本テレビ(当時)の五味一男が企画・総合演出、そして『THE夜もヒッパレ』(95年~)などをその後手掛けることになるハウフルスの菅原正豊が演出としてかかわったのが、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(88年~)である。こちらは世界中の「商売」をテーマに、やはりクイズ、トーク、そして情報番組の要素を加味したものとして人気を得た。
現在で言う「クイズバラエティ」や「情報バラエティ」、あるいは「教養バラエティ」と呼ばれるものの先駆だが、共通項としては「旅」、しかも海外の要素が入っていることがある。その意味では、『月曜から夜ふかし』(12年~)などを手掛ける日本テレビ・の古立善之が企画・演出を務める『世界の果てまでイッテQ!』(07年~)にもつながっていく系譜である。
◆笑いと感動~ドキュメントバラエティの隆盛
90年代に話を戻すと、そうしたジャンル横断的な流れが盛んになるなかでひとつのトレンドとなったのが、ドキュメンタリーとバラエティを融合させた「ドキュメントバラエティ」である。海外では「リアリティ・ショー」とも呼ばれるが、日本の場合はあくまで笑いの要素をベースにしている面が強いところに特徴があると言えるだろう。
92年にスタートした日本テレビ『進め!電波少年』は、そんなドキュメントバラエティの先鞭をつけた番組である。テリー伊藤の番組でも経験を積んだ日本テレビの土屋敏男による企画・演出。土屋は出演者に指令を伝える「Tプロデューサー」として番組にも登場する。事前の連絡なしにさまざまな場所や人に突撃リポートをする「アポなしロケ」でまず話題を呼んだ同番組だったが、一躍社会現象的ブームを巻き起こしたのが「猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイク」だった。有吉弘行が所属した無名の若手芸人コンビ・猿岩石がヒッチハイクのみで香港からロンドンまで旅をするという企画。過酷な状況に置かれながらも旅を続ける2人の姿を視聴者はハラハラしながらも応援し続けた。それは、バラエティにおいて笑いだけでなく感動が重要なファクターになった瞬間であった。
このように、90年代以降バラエティの世界において、極限状況に置かれた人間をドキュメンタリー的演出によって描き、笑いを交えつつ最後は感動のフィナーレに至るというスタイルが浸透していく。TBS『ウンナンのホントコ!』(98年~)における「未来日記」企画や同『ガチンコ!』(99年放送~)における「ガチンコファイトクラブ」なども、テイストこそ違えども同様のフォーマットに基づいていた。また奇しくも同じ96年に始まった『めちゃ²イケてるッ!』(フジテレビ)、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(日本テレビ)、『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)などの人気バラエティにも同じ面が発見できるだろう。
2.テレビ東京の台頭
~新しい素人の時代と深夜バラエティ
◆テレビ東京がもたらした"新しい素人"の時代
一方で、90年代において新たな素人の可能性を見出すことによって頭角を現し始めたのが、テレビ東京だった。民放キー局で最後発、予算面などでも他局に比べ潤沢とは言えなかったテレビ東京は企画力を重視し、開局当時から他の民放が手をつけていないニッチなところに活路を見いだしていた。その伝統が、この時期になって実を結んだのである。
その象徴的な番組となったのが、『TVチャンピオン』(92年~)である。たとえば、タレントのさかなクンがまだ一般人だった頃に出場した「全国魚通選手権」のように、毎回のテーマにしたがって集った素人が自慢の知識や特技を披露する。なかでも出場者が驚異的な食欲を見せる大食い企画は大反響を呼び、テレビバラエティにおけるひとつのジャンルを形成するまでになった。
これが新しかったのは、素人の「面白さ」というよりは「凄さ」をフィーチャーしたことである。素人は笑いのためにいじられる対象から脱皮し、その才能や能力を発揮することを求められる主役になった。テレビ東京は、現在はバラエティの定番となったこの路線を敷くことに貢献したと言える。ほかにもテレビ東京からは、市井の隠れた芸術家を発掘し、アートの裾野を広げた『たけしの誰でもピカソ』(97年~)など、同様の"新しい素人"を主役にしたバラエティ番組が次々と生まれることになる。
◆バラエティにとっての「ゴールデンタイム」となった深夜
また、テレビ東京は深夜帯においても意欲的なバラエティ番組を企画、制作した。
たとえば、『ゴッドタン』(07 年~)はそのひとつ。ヒット企画となった「芸人マジ歌選手権」など、芸人の持つ多彩な魅力、底力を引き出す企画で深夜バラエティの代名詞的存在になった。演出・プロデュースの佐久間宣行も注目されるようになり、現在はフリーの立場で活動の場を広げている。
『モヤモヤさまぁ~ず2』(07年~)も深夜から人気になった。誰もが知る繁華街ではなく、あえてそこから少し外れた街をさまぁ~ずが訪れ、地元の人々と交流する。ただそれだけなのだが、逆にそこに醸し出される日常的な「ユルさ」がほかにない味わいとなって支持された。ここでもテレビ東京の本領であるニッチなところへの着目が生かされたわけで、同番組はテレビ東京の看板番組になっていく。
さかのぼれば深夜バラエティの歴史は古いが、たとえばマツコ・デラックスの軌跡が示すように、いまや深夜帯はバラエティにとって新たな人気タレントやトレンドが生まれる一種の「ゴールデンタイム」である。その功績のかなりの部分はテレビ東京によるものだろう。
3.格差社会のなかでのバラエティと笑い
~『¥マネーの虎』と『M-1グランプリ』
◆格差を企画化したバラエティ~『¥マネーの虎』
「ユルさ」がウケる時代背景を考えたとき、2000年前後以降、「一億総中流」と呼ばれていた日本社会のなかに格差が顕在化してきたことへの反応という側面があるだろう。競争社会の様相を呈し始めた世の中で、安らげる娯楽が必要とされたのである。
同時にバラエティ番組のなかにも、そんな競争社会や格差を踏まえたと言えるような企画が目立ち始める。
『¥マネーの虎』(01年~、日本テレビ)は、一般人が企業家らの前で事業プランをプレゼンし、その計画に投資してもらえるかどうかを見届けるという内容。プレゼンする側は、さまざまな事情を背負いつつ人生の一発逆転を狙っている。それに対し、厳しく査定する投資家側との生々しく緊張感あふれるやり取りが評判を呼んだ。こうした番組の人気は、「一億総中流」を信じることができた時代には考えづらかったものだろう。
また、「貧乏」をテーマにしたバラエティも登場する。早いものでは客足が遠のいて経営不振に陥った飲食店を番組が再生させるプロセスを見せた『愛の貧乏脱出大作戦』(98年~、テレビ東京)、あるいは貧しいながらも夢に向かって独自の節約生活を心がける人々を「ビンボーさん」と呼び、そこに現代を生き抜くヒントなどを学ぶ『銭形金太郎』(02年~、テレビ朝日)などがそれにあたる。これらも、格差の存在を前提にすることで成り立つバラエティの新たな流れのひとつだったと言える。
◆『M-1グランプリ』と競技化する笑い
バラエティの世界の中心であるお笑いの分野においても、競争化の波は無縁ではなかった。
いまや年末の風物詩になった『M-1グランプリ』(朝日放送〔テレビ朝日系〕)の第1回は01年に開催された。島田紳助が企画の中心的な役割を担って始まったこの一大イベントは、80年代の漫才ブームがつくった流れのなかで大衆芸能としての漫才を再び盛り上げようという意図から始まっていた。
実際、笑い飯のダブルボケ漫才、オードリーのずれ漫才など、古典的漫才を一段進化させようとする多彩な実験的試みが生まれ、漫才の革新が達成された面も少なくない。そのため漫才師たちは自らのスキルを磨き、ネタの完成度を競い合う。すなわち漫才の競技化であり、そこにサンドウィッチマンの敗者復活からの優勝など数々のドラマも生まれた。
そうした状況は、「お笑いビッグ3」の頃から始まっていたお笑い芸人へのリスペクトの念をさらに世に浸透させることになった。お笑い芸人は、厳しい競争を生き抜かなければならない現代人にとってのモデル的存在になっていく。バラエティ番組においても、『あちこちオードリー』(19年~、テレビ東京)のように、芸人の生き様を聞き出すトークバラエティが増えた。現在のテレビバラエティを代表する『アメトーーク!』(03年~、テレビ朝日)や『水曜日のダウンタウン』(14年、TBS)なども、芸人をさまざまな角度から深掘りするという視点がベースにあるという意味で、同じ流れのなかに位置づけることが可能だろう。
【おわりに】ネット時代の笑い/「コンプラ」時代の笑い
◆ネット時代におけるバラエティのかたち
こうしたお笑い芸人の生き様に対する注目の高まりは、インターネットの普及によってより可視化されるようになった。そして同時にインターネットの普及は、YouTubeやTikTokなどのネット動画からの流行を生むようになり、そのことがテレビにおける娯楽性のあり方、バラエティのかたちにも確実に影響を及ぼすようになっている。
近年におけるバラエティ番組の短縮化はその一端である。20年にテレビ朝日が深夜に設けた「バラバラ大作戦」の枠は、20分程度のバラエティ番組を連日複数本放送するという試み。従来短くとも30分程度だった番組の長さが短縮され、ネット動画の尺により近づいたと言える。そこには、TVerなどでのスマホ視聴も当然想定されているだろう。
他方で、NetflixやAmazon Prime Videoなどの有料配信サイトでもオリジナルのバラエティ番組が制作され、評判になるケースも増えた。そこには、過激さなどの面で現在のテレビではできないと考えられる企画を実現しようという志向が感じられる。それらがテレビバラエティを凌駕する勢力になり得るかどうか、あるいはテレビバラエティとネットバラエティでお互いの棲み分けが可能なのかどうか、注視する必要があるだろう。
◆「コンプラ」時代とバラエティ、そこから生まれる笑いへの問い
先にふれたように、こうしたネットへのバラエティ進出の一因にもなっているのが、近年よく耳にするようになったコンプライアンス(=法令、倫理、社会規範などの遵守)、いわゆる「コンプラ」の問題である。
最近のバラエティ番組を見ていても、出演者自らが「これコンプラ大丈夫?」というような発言をする場面が目につくようになった。番組のなかに、差別や偏見を助長したり、暴力性を伴ったりする危惧がある際に視聴者から予想される批判を見越しての発言である。こうしたところにも、世の中の「コンプラ」意識の高まりが制作現場にも影響を与えていることがうかがえる。
この問題をめぐっては、直近では「「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」に関する見解」(22年4月)など、以前からBPOを中心に議論されてきた歴史があり、まずはその蓄積を十分に踏まえるべきだろう。そのうえで、多様性の尊重など根本的に社会の価値観が変化しつつあることを踏まえ、一つひとつの問題に対処するだけでなく、「笑いとはなにか?」について本質的に問い直してみることが必要だ。
たとえば、「やさしい笑い」あるいは「人を傷つけない笑い」をめぐる近年の議論は、そうした問い直しの機運のなかで生まれてきたものだろう。その代表格としてあげられるサンドウィッチマンやぺこぱのネタは、容姿いじりなどに頼ったり、相方に対して威圧的になったりすることのない笑いとして高く評価された。しかし一方で、「やさしさ」を強調しすぎることは、笑いから大切な要素である「毒」を奪ってしまうのではないかと危ぶむ意見も根強い。
冒頭で述べたように、バラエティ番組や笑いは私たちの日常生活に密着したものであるがゆえに、社会のありかたが大きく変わりつつある今、こうした議論を避けてとおることはできない。時代の転換期のなかで、私たちは、制作現場の意見を最大限尊重しながらまだ緒についたばかりのテレビバラエティの未来をめぐる議論を粘り強く続けていかなければならないだろう。