テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星12社の発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。今回は、テレビドラマの歴史を振り返ります。
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5.バブル崩壊と禍々しき90年代(1990年代前半)
うたかたの日々はいつかはじけて終わる。86年からの土地価格の上昇にともなうバブル景気は91年2月ごろから陰りを見せ始め、崩壊へと向かっていく。91年、そんな時代の流れに呼応するかのように、フジテレビの「月9」枠の神話化を決定づける2つの恋愛ドラマが誕生する。坂元裕二脚本の『東京ラブストーリー』と野島伸司脚本の『101回目のプロポーズ』だ。坂元と野島はフジテレビヤングシナリオ大賞の第1回と第2回の受賞者である。
『東京ラブストーリー』は柴門ふみの人気漫画を原作に「東京では誰もがラブストーリーの主役になる」をキャッチコピーとした恋愛ドラマである。私見では、これはもはやトレンディードラマではない。というのも、ここで描かれたのはバブル景気を背景とするゴージャスな恋愛ではなく、等身大の恋愛だったからだ。ヒロインは一般企業に勤め、ごく普通のアパートに住み、普通のOLにも手が届きそうな服を着る。「等身大」は90年代恋愛ドラマのキーワードになっていく。原作にもある「カンチ、セックスしよ」という赤名リカのセリフが新しかった。
そしてバブル崩壊を少しだけ先取りし、結果的に時代の転換を象徴してしまったのが『101回目のプロポーズ』である。武田鉄矢演じる達郎が浅野温子演じる薫にフラれてもフラれても諦めない"恋愛ゾンビ"として登場する。達郎は、持たざる者となってゆく設定だが、トラックの前に飛び出してかの有名なセリフ「僕は死にません!」(「僕は死にまっしぇーん!」とは言っていない)を叫んで、婚約者が死んだ過去を持つ薫の心をつかむのである。このドラマが、バブル崩壊により何もかもなくした人びとにどれほどの勇気を与えたか、想像に難くない。最終回視聴率は、36.7%(ビデオリサーチ、関東地区)を記録した。
91年には湾岸戦争が勃発し、視聴者はお茶の間で本物の空爆を(本当に凄惨な殺戮の模様は映し出されなかったが)映画のように見ることになる。90年代のテレビはこの後もさまざまな禍々しい事件や災害を伝えていくことになる。91年には雲仙・普賢岳が噴火し、95年には阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、97年には当時14歳の中学生による神戸連続児童殺傷事件(「酒鬼薔薇事件」)が世に衝撃を与えた。そういう禍々しい世相を反映してか、ドラマも変質していくことになる。
91年には「ジェットコースタードラマ」と呼ばれた『もう誰も愛さない』(フジテレビ)が登場する。ごく普通の銀行員が婚約者の目の前でレイプされ、騙され、横領させられ、人まで殺し、服役して出所後復讐の鬼となる怒涛のドラマだ。92年には君塚良一脚本『ずっとあなたが好きだった』(TBS)がスタートし、佐野史郎演じる「冬彦さん」が木馬に乗ったり物陰から半顔だけ出してヒロインを見つめるキワモノぶりが話題となった。93年の野島伸司脚本『高校教師』も、純愛ドラマではあったものの、教師と生徒の恋愛、近親相姦、レイプなどタブーのてんこ盛り状態が注目を集めた。本作と94年の『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』、95年の『未成年』(いずれもTBS)は3部作をなす。
さらに猟奇殺人を扱った飯田譲治脚本・演出の『沙粧妙子 最後の事件』(95年、フジテレビ)が登場する。その背景には、バブル崩壊後の日本の状況のみならず、アメリカのドラマや映画の影響があったことも見逃せない。ベルリンの壁崩壊と東西冷戦終結後のアメリカはソ連という仮想敵を失って「正義」の概念が揺らぎ、正義の体現者たる刑事が心の闇を抱える『ツイン・ピークス』(90年)や『羊たちの沈黙』(91年)、『セブン』(95年)などが次々と放送あるいは公開された。
こうした流れの中、99年の西荻弓絵脚本・堤幸彦演出の『ケイゾク』(TBS)も快楽殺人を扱い、無機質でスタイリッシュな「捜査二係」のセットやデジタル的な映像、それらとは裏腹の中谷美紀演じる警察官僚の髪が臭いという身体的設定など、それまでの刑事ドラマとはまったく異なるテイストにより多くのファンを獲得した。このテイストは『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』(2010年、TBS)に継承される。これら禍々しい時代の禍々しいドラマには、当然のことながら日常会話の入り込む余地はなかった。
6.等身大の恋愛ドラマ黄金期と女性たちの連帯(1990年代後半)
では、日本のドラマのお家芸たる日常会話はドラマから消滅してしまったのだろうか。もちろんそんなことはなく、それは等身大恋愛ドラマに受け継がれた。その代表格が「恋愛の神様」と呼ばれた脚本家・北川悦吏子のドラマである。
95年の『愛していると言ってくれ』(TBS)は、豊川悦司演じる聴覚障がい者で画家の晃次と常盤貴子演じる舞台女優志望の紘子の恋愛の物語で、二人の恋を等身大の恋愛として描いた点、とりわけ障がいを決して特別なものではなく、日常的なものとして描いた点が新鮮だった。
北川の日常性へのこだわりはナチュラルな会話にもいかんなく発揮された。そのナチュラリズムを支えたのが木村拓哉という存在であり、その代表作が恋愛ドラマの金字塔『ロングバケーション』(96年、プロデューサー・亀山千広、フジテレビ)である。ぱっとしないピアニストの瀬名(木村拓哉)と結婚式当日に花婿に逃げられた南(山口智子)のごく自然な会話や、2階から投げたスーパーボールが戻ってくるなど数々の名シーンと相まって、見る者の心の襞にやわらかく沁み込んでくるドラマだった。人生の停滞期を神様がくれた長い休暇と捉えようというメッセージも、バブル崩壊後の長い停滞期を生きる人々を勇気づけた。
90年代にもう一人目覚ましい活躍を見せたのが三谷幸喜である。なかでも94年の『警部補・古畑任三郎』と95年の『王様のレストラン』(ともに関口静夫プロデュース、フジテレビ)はいまだにファンが多い。『刑事コロンボ』風に冒頭で犯人が明かされる倒叙ミステリーの『古畑任三郎』は、内面や私生活をいっさい見せない古畑を田村正和が独特のキャラクターに造形し、カメラ目線で視聴者に語りかけるといった斬新な演出がなされた。三谷らしいコメディ要素がふんだんに散りばめられ、一見リアリティのないドラマに見えるものの、暴力や殺人に対して常に毅然とした態度をとる古畑任三郎は、善悪の価値観が揺らぎ始めた時代の正義のありようを示していたのではないだろうか。『王様のレストラン』でつぶれかけたフランス料理店を立て直す千石武(九代目松本幸四郎)もまた、プロとして確固としたポリシーを持つ伝説のギャルソンだった。三谷以降、宮藤官九郎を筆頭に演劇畑出身の脚本家たちがテレビドラマで活躍するようになる。
90年代のドラマを支えたもう一人の脚本家として野沢尚を挙げておきたい。野沢は、『素晴らしきかな人生』(93年、フジテレビ)、『この愛に生きて』(94年、フジテレビ)、『青い鳥』(97年、TBS)などの恋愛ドラマや、『眠れる森』(98年、フジテレビ)、『氷の世界』(99年、フジテレビ)などのミステリーに手腕を発揮したが、2004年の『砦なき者』(テレビ朝日)を最後に自死した。稀有な才能だった。
そしてこの時代の特徴として特筆しておきたいのが、女性たちの連帯を描いた名作ドラマが次々と作られたことである。鎌田敏夫脚本の『29歳のクリスマス』(94年、フジテレビ)、井上由美子脚本『きらきらひかる』(98年、フジテレビ)、大石静脚本『アフリカの夜』(99年、フジテレビ)などが当てはまる。男女雇用機会均等法が施行されてもなお生きづらさを抱える女性たちのゆるやかな連帯を描いて人気を博した。ちなみに『照柿』(95年、NHK)、『タブロイド』(98年、フジテレビ)、『危険な関係』(99年、フジテレビ)など、この時期の井上のドラマには忘れがたいものが多い。
7.宮藤官九郎と木皿泉の登場(ゼロ年代)
90年代の傾向は21世紀にはいっても続き、02年には昼の帯ドラマとして中島丈博脚本『真珠夫人』(東海テレビ/フジテレビ系)が登場する。菊池寛原作の純愛ドラマではあるが、妻がよその女に心を奪われた夫に食事として差し出す「たわしコロッケ」など、キワモノ路線で話題となる。翌年から放送された『冬のソナタ』を中心とする韓流ドラマブームも、思い切り泣けるという意味では非日常的なドラマだったのだと思う。
そんななか、彗星のごとく現れたのが宮藤官九郎(クドカン)だ。02年の『木更津キャッツアイ』(TBS)は主人公ぶっさんの余命宣告から始まる。ぶっさんの所属する草野球チーム「木更津キャッツ」は、夜は怪盗団「木更津キャッツアイ」として暗躍もするのだが、このドラマの中心はそこにはない。中心となるのは、メンバーたちの取るに足らぬ会話を中心とする日常生活なのだ。現実が禍々し過ぎてもはや普通を普通として、日常を日常として描くことが困難になっていた時代にあって、いわば、「普通」や日常の尊さを逆説的に浮かび上がらせるために、非日常的な怪盗団としての営みが描かれるのである。
宮藤のその後のドラマにおいても、登場人物たちが置かれた状況にかかわらずゆるい日常会話が大事にされ、普通の大切さを確認するために劇中劇や入れ替わりなどの非日常的な手法がとられる。2000年に発売されたPS2(PlayStation2)がDVD-ROMを搭載し視聴環境の急激な変化をもたらしたことも、視聴率はいまひとつだがDVDが驚異的に売れるというクドカン人気に拍車をかけたのではないか。
ゼロ年代には、宮藤以外にも、実はさまざまな形で日常の大切さを逆説的に表現した作り手たちがいた。その筆頭が当時は夫妻で脚本を書いていた木皿泉である。03年の『すいか』(日本テレビ)は、信用金庫職員の早川基子(小林聡美)がハピネス三茶という賄いつきの下宿で家主のゆか(市川実日子)、売れない漫画家の絆(ともさかりえ)、教授(浅丘ルリ子)らと出会い、ゆるやかに変化していくドラマだ。基子の元同僚で3億円を横領して逃亡する馬場ちゃん(小泉今日子)がハピネス三茶にやってきて食べ残しの梅干しの種を見て、自分が捨ててしまった日常の尊さに思い至るシーンは秀逸だった。ここでも非日常を選択した馬場ちゃんを通して、基子たちのなにげない日常が肯定されてゆくのである。
同じく03年の橋部敦子脚本『僕の生きる道』(関西テレビ/フジテレビ系)も、事なかれ主義でなんとなく生きてきた高校教師の秀雄(草彅剛)が余命宣告を受けるところから始まり、余命一年をいかによく生きるかという視点から日常が問い直された秀作だった。
この頃のドラマに駆け足で触れておこう。07年の『ハケンの品格』(日本テレビ)は派遣社員やフリーターが増加する世相にマッチしていたし、倉本聰脚本の『拝啓、父上様』(07年、フジテレビ)はさすがのクオリティで、神楽坂の料亭の大女将で代議士の妾の八千草薫と本妻の森光子が対峙するシーンは圧巻だった。08年の『ラスト・フレンズ』(フジテレビ)は同棲相手からのDVやセックス依存症、同性愛などさまざまな悩みを抱える若者たちのシェアハウスでの交流と友情を描いて大きな支持を得た。
8.東日本大震災とドラマの変容(2010年代)
2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く津波、さらには東京電力福島第一原子力発電所の大事故のあと、テレビドラマやバラエティなどの娯楽は「自粛」され、テレビからはACジャパンのCMばかりが流れた。このことは逆に困難な状況におけるフィクションの必要性を作り手、受け手双方に認識させたはずだ。
震災前、日本のドラマを席巻していたのは、漫画原作ものを除けば、刑事/警察ものと病院ものだった。人の生死にかかわる場所でしかドラマは成立しえないのかと、絶望的な気分になったりもしたものだ。こうしたドラマでは人は簡単に命を落とし、死は人生の断絶として描かれる。
ところが震災後のドラマでは、生と死のとらえ方が大きく変わった。幽霊が登場するドラマが増えたことは、その端的な表れだろう。震災後の幽霊たちは多くの場合、恐ろしいものではなく、家族を温かく見守る存在として描かれる。そこには、死を生との連続でとらえ、いかに死者を身近に感じて生きていくか、いかに死者とともに生きていくか、という切実な問いが隠されていたように思う。
とりわけ11年下期の渡辺あや脚本によるNHKの朝ドラ『カーネーション』は、震災前から準備されていたとはいえ、最終回の「おはようございます。死にました」というヒロイン・糸子のナレーションが象徴するように、全編を通じて「人はみな死ぬ。しかし死は終わりではない」という思想を表現して秀逸だった。
同じく11年秋に放送された宮藤官九郎脚本の『11人もいる!』(テレビ朝日)では、広末涼子演じる亡き母の幽霊が登場する。星野源の歌う「助け合ったり励まし合ったりしなくていい、それが家族なんです」という歌に表れているように、「絆」や助け合いと言った言葉を超えて、家族とは何かが真摯に問われた。
木皿泉の『昨夜のカレー、明日のパン』(14年)、『富士ファミリー』(16年、NHK)、『富士ファミリー2017』(17年、NHK)でも、亡くなった家族が幽霊として登場し、過ぎゆく時間を忘れるのではなく、新しいかたちに再生させることへの希望が込められた。
ポスト震災の状況下でフィクションの意味を考えさせたドラマとして、岡田惠和『泣くな、はらちゃん』(13年、日本テレビ)にも触れておきたい。ヒロインの越前さん(麻生久美子)は現実生活の鬱憤をノートに漫画を描くことで晴らしていた。ところがはずみでその漫画の登場人物であるはらちゃんが現実社会にやってきて、神様である越前さんと恋に落ちる。無垢なはらちゃんはものの名前を覚えて世界を新しく発見し、周囲を変えてゆく。最終的にはらちゃんはフィクションの世界に帰り越前さんは現実の世界で生きてゆくのだが、越前さんが転べば、はらちゃんはそっと傘を差しだしてくれる存在であり続ける。ここに、震災以降のフィクションの存在意義が込められていると思う。フィクションは私たちが逃げ込む場所ではなく、辛いときに傘を差しだしてくれるものなのだ。
もう一人、触れなければならないのが、脚本家・坂元裕二である。坂元の『それでも、生きてゆく』(11年、フジテレビ)は、東日本大震災の直後に放送された。直接震災には関係がないものの、かつて幼い妹を殺害された青年(永山瑛太)と犯人の妹(満島ひかり)の恋を描く本作は、喪失や悲しみを超えていかにコミュニケーションをとりうるかをテーマにしていた。坂元のドラマは常に(しばしば極限的な)痛みを表象する。そして困難な状況のなかで、人はどうやって分かり合えない他者に想像力を働かせ、コミュニケーションをとりうるのか、人はいかによく生きうるのかを問い続けている。
9.多様性と配信の時代(2020年代)
2010年代以降、野木亜紀子脚本『逃げるは恥だが役に立つ』(16年、TBS)や『コタキ兄弟と四苦八苦』(20年、テレビ東京)、安達奈緒子脚本『きのう何食べた?』(19年、テレビ東京)、吉田恵里香脚本『恋せぬふたり』(22年、NHK)など、LGBTQ+の人びとを取り上げた優れたドラマが増えている。中には流行のトピックとして単に消費しているかのようなドラマも見受けられるが、当事者たちや文献から学びつつ真摯に向き合う作り手も確実に増加している。
2020年から新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により、一時的にスタジオでの撮影がストップする事態も発生した。そんな中で、Zoomの画面を使う、限られた俳優とスタッフで撮影するなど、さまざまな工夫を凝らした優れたドラマが生み出された。坂元裕二『Living』(20年、NHK)や水橋文美江脚本『世界は3でできている』(20年、フジテレビ)などだ。又吉直樹脚本『不要不急の銀河』(20年、NHK)は、感染対策を徹底して撮影する様子を映し出したドキュメンタリー編とセットで放送され、ともすれば人や職業を選別する「不要不急」という言葉を問い直した。
20年代にはコロナ禍による自粛生活も手伝って、NetflixやAmazon Primeなど配信の需要が一気に高まっている。しかしテレビ離れが叫ばれる一方で、渡辺あや脚本『エルピス―希望、あるいは災い―』(22年、関西テレビ/フジテレビ系)や野木亜紀子脚本『フェンス』(23年、WOWOW)など、社会問題や現実を鋭く照射する骨太なドラマも生まれている。若者を中心にTVerでの視聴も定着し、配信やSNSの力を借りながら、テレビの危機を乗り越えてよい番組がこれからも制作されていくことを心から願っている。