【BPO発足20年 連載企画 番外編①】BPOの設立とその役割(上) ~『民間放送70年史』から

本橋 春紀
【BPO発足20年 連載企画 番外編①】BPOの設立とその役割(上) ~『民間放送70年史』から

「BPO発足20年 連載企画」の番外編として、『民間放送70年史』に掲載された「放送倫理~BPOの活動と民放連放送基準改正」を抜粋して、2回にわけて転載する。筆者は、本橋春紀・民放連事務局長。2007年4月から2010年3月までBPO理事・事務局長を務め、放送倫理検証委員会の設置にかかわった。

BPO の設立とその役割(上)は、設立と放送倫理検証委員会設置までの経緯、(下)では、3つの委員会の性格と機能を解説する。


日本独特の仕組みとしてのBPO

具体的な記述に入る前に、放送倫理をめぐる構図を少し整理しておきたい。表現の自由に最大の価値を置くとすれば、個々の表現者は何らの制約を受けずに、何を視聴者に伝えるべきなのかを自ら判断するべきだ。「倫理」は、個々の表現者がそれぞれ内在させるべきものだといえる。

その一方で、「放送」は、電波という国民共有の財産を用い、組織として表現行為を行っており、その社会的影響力が大きい媒体である。このことから、複数の表現者に共有されるべきルールの設定や、この表現者以外による何らかのチェックが必要となってくる。ルールの設定とチェックは、第一義的にはその表現者が属する組織自らが行うべきものだが、それが何らかの理由で機能しなかったり、誤ったりする場合もある。そこで、第三者的なチェックが求められる。表現の自由の観点からすれば、表現者の内部にあるべき倫理と外部からのチェックの必要性は常に緊張感をはらむことになる。

1950年に制定された放送法は、放送による表現の自由を最大限追求し、放送番組については基本的な理念(いわゆる番組編集準則、現行法4条1項)を宣言的に記載したのみだった。52年に、放送を監督する電波監理委員会が廃止されたことにより、日本の放送行政は、一人の大臣に委ねられる独任制のかたちをとった。大臣が放送内容に関与することは、即座に表現の自由の侵害につながりかねないため、放送内容への関与が結果として制度上は抑制されることになる。

行政という外部からのチェックが難しいため、放送法はその代わりに放送事業者の自主的な取り組みを促す規定を設けてきた。中核となるのは、59年の改正で追加された番組基準の制定と番組審議会の設置の義務を放送事業者に課したことだ。番組審議会をめぐっては、その機能が十分発揮されているのかとの批判があり、審議概要の公表や視聴者から寄せられた意見を番組審議会に報告する義務が追加されるなどの改正が行われてきた。

一方で、放送事業者は制度上の義務に加えて、時々の批判などに応じて、自律的な取り組みを展開してきた。BPOは、法的な義務を超えて、放送業界全体で放送の倫理水準を向上し、視聴者の批判に向き合うために設置をされたもので、自律的取り組みの到達点といえる。見方を変えれば、独立行政委員会による放送行政が行われていないがために誕生した日本独特の仕組みでもある。

前身の2団体からBPOへ

BPOは、69年に設立された「放送番組向上協議会」、97年に設立された「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO)の2団体が合併して、03年7月1日に設立された。前身の2団体設立の詳細は、『民間放送三十年史』『民間放送50年史』の記載に譲るが、概略は以下のとおりである。

放送番組向上協議会は、有識者で構成される2つの委員会、「放送番組向上委員会」(02年からは放送番組委員会)と「放送と青少年に関する委員会」を運営していた。放送番組向上委員会は、1960年代前半に「青少年の非行化問題がクローズアップされ、その原因がテレビにあるのではないかと騒がれた」([1])ことを背景に、民放とNHKの間の議論を経て、65年に設置された。同委員会は、個別の番組への苦情に対処するのではなく、放送番組全般について大所高所から意見を述べる機能を果たしていた。

BPOの沿革.JPG

<BPOの沿革

*BPOウェブサイトから

「放送と青少年に関する委員会」(青少年委員会)は2000 年4月に設置された。「1997 年以降、凶悪な少年犯罪の続発を契機に"テレビ番組の青少年への影響"論議が再び高まった」([2])ことを踏まえたもので、放送と青少年に関する視聴者からの苦情や意見を審議して、委員会としての見解を発表することなどを通じて、視聴者と放送事業者の「回路」になることを目指した委員会であった。

もう1つの前身であるBRO設置のきっかけとなったのは、1990年代に起きたテレビ番組にかかわる幾多の不祥事(いわゆる"やらせ"、政治的公平にかかわる問題発言など)である。不祥事の続発とそれに対する社会的批判を受けて、郵政省は「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」を設置した。その懇談会の報告書(96年12月)には、「放送法令・番組基準にかかわる重大な苦情、特に権利侵害にかかわる苦情に関し、視聴者と放送事業者との間では解決が得られなかった場合には、視聴者の放送への信頼を維持し放送の健全な発達を図るため、また、併せて放送による被害者の救済に資するため、放送事業者以外の者に判断を委ねる仕組みを設けることが考えられる」と書かれた。

この懇談会の提言に加えて、「苦情対応機関の早期設置を求める政府与党の意向が極めて強いことを憂慮した民放連は、放送による権利侵害を救済する必要性を認めたうえで、法律で規定されない、放送事業者の自主的な機関を設置することにより、言論・表現の自由を確保することが最重要と判断した」([3])。97年に民放連とNHKは、放送による人権侵害等の苦情を処理するために「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)を設置、その運営母体としてのBROを設立した。

この年史(70年史)の起点となる2001年において放送界は、2つの第三者的な組織(放送番組向上協議会とBRO)を運営していた。両組織は、①有識者によって構成され、第三者的な立場から放送番組について勧告や意見などを述べる委員会を有する、②民放・民放連およびNHKが費用を負担し理事を出すなど運営に責任をもつ任意団体――という共通の性格をもっていた。

2000年代初頭に、民放連などがメディア規制反対運動を展開するなかで、放送局自身の自律的取り組みの強化が求められ、視聴者からの意見や苦情の窓口の一本化、事務局の機能の強化を目指して、民放連・NHK・放送番組向上協議会・BROの4者が協議し、03年にBPOの設立に至った。統合により設立されたBPOは、放送と人権等権利に関する委員会(BRC、のちに略称を放送人権委員会に変更)、放送と青少年に関する委員会、放送番組委員会を運営する組織になる。母体となった両組織と同様、行政の関与を最小限とするために、BPOは法人格を有しない任意団体である。BPOの設立にあたって民放連は、①円滑な運営への協力、②委員会決定の尊重と3カ月以内の改善等の報告、③周知活動への協力、④責任体制の明確化等を内容とする申し合わせを行っている([4])

放送倫理検証委員会の設置

BPOにとって次の節目は、07年の「放送倫理検証委員会」の設置である。きっかけとなったのは、関西テレビが制作した『発掘!あるある大事典Ⅱ』における虚偽の放送だ。同番組の07年1月7日放送分で、納豆を1日2パック食べるとやせられるという情報が流された。ところが、その根拠となっているデータは捏造されたもので、さらに過去の放送分を調べると虚偽や捏造がほかにもあったことが明らかになり、大問題となった。

民放連は2月15日に「放送倫理の確立に向けた理事会決議」を行った。決議は、①放送人としての社会的使命・責任の自覚、②社会生活に役立つ正確な情報提供、③番組の審査・チェック体制の再構築、④番組制作環境の整備、⑤放送人育成のための研修制度の強化などに取り組むことを表明するものであった。

この問題が明らかになったとき、総務省は通常国会に向けて、認定放送持株会社の導入やNHKのガバナンス強化などを柱とする放送法改正案の提出を準備していた。問題発覚後に、菅義偉総務大臣の主導のもと、同改正案に総務大臣の権限を強化し、虚偽放送が行われた場合に再発防止計画の提出を放送局に求める条項が加わり、4月6日、国会に提出された。番組に対して直接的に関与できる権限を総務大臣に付与する内容であり、放送法の枠組みを大きく変更するものだけに、放送界は大きな危機感をもった。

こうした政府の動きをにらみながら、民放連とNHKは、虚偽放送が疑われる事案があった場合に、これを調査・検証する委員会をBPOに新たに設立することを3月7日に発表した。

BPOは放送番組委員会を発展的に解消し、放送倫理検証委員会(委員長=川端和治弁護士)を5月12 日に設立した。この委員会は、虚偽の放送があった場合に「再発防止計画」の提出を求めることができるとするなど、審議中の放送法改正案を強く意識した性格となった。このことについて広瀬道貞民放連会長は6月20日の衆議院決算行政監視委員会で「民放連は政府の案をまねしただけかとも言われますけれども、私たちは、あえて政府の考え方もすべて網羅し、なおかつ、経緯を調べるとか、プラスアルファの部分をつけて、それを民放連の案とした」と述べている。([5])こうした放送界の取り組みを受けて、政府は放送法改正案の提案理由のなかで、「BPOによる取り組みが機能していると認められる間は、再発防止計画の提出の求めに係る規定を適用しないことといたします」([6])との説明を行った。なお、放送法改正案は、再発防止計画に関する条項を落としたかたちで、07年12月に成立している。

(下)に続く。


([1]) 『民間放送三十年史』
([2]) 『民間放送50年史』p.401
([3]) 『民間放送50年史』p.394
([4]) 『日本民間放送年鑑2004』p.27
([5]) 「第166回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第6号」会議録(2007年6月20日)
([6]) 「第166回国会 衆議院本会議 第33号」会議録(2007年5月22日)

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