【BPO発足20年 連載企画⑥】智徳を進歩させるBPO

清家 篤
【BPO発足20年 連載企画⑥】智徳を進歩させるBPO

2003年の発足から7月1日で20年となるBPO(放送倫理・番組向上機構)。放送倫理検証委員会、放送と人権等権利に関する委員会、放送と青少年に関する委員会の3委員会が、放送界の自律と放送の質の向上を促している。

「民放online」では、BPOの設立の経緯や果たしてきた役割、その成果などを振り返り、現在の立ち位置と意義を再認識するための連載を企画。多角的な視点でBPOの「現在地」と「これから」をシリーズで考える。 

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6回目に登場いただくのは、2019年からBPOの評議員を務めている清家篤・日本赤十字社社長。

BPOの使命

BPOすなわち放送倫理・番組向上機構(以下「BPO」と表記)の使命は、そのウェブサイトに、「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理の問題に対応する」と簡明に記されている。

自由な社会において、言論・表現の自由は最大限に尊重されなければならないものであることは言うまでもない。しかしそれは他の自由と同じように、他者に害をなさない限りという限定付きのことであることも忘れてはならない。個人の独立、自由を何より大切にした福澤諭吉も『学問のすゝめ』の中で、基本は誰しも自由であるべきとした上で、その自由には分限もあるとして、「即ちその分限とは、天の道理に基づき、人の情に従い、他人の妨げを為さずして我一身の自由を達することなり。」と述べている。この福澤の言に照らして見れば、BPOの仕事は、放送事業者にとっての、言論・表現の自由の分限とは何かを考えることにある、と言ってよいだろう。

BPOではそれを具体的に、虚偽の情報を流すなど不適切な番組制作をしない、人権を侵害しない、青少年に有害なことをしない、という3点に絞り、それぞれ放送倫理検証委員会、放送人権委員会、青少年委員会で審議することとしている。もちろんそれらには、場合によっては司法の場において裁かれる案件となりうるものもある。BPOの役割は、それらを外部の公権力によるのではなく、放送事業者自らの設置する第三者機関として律するところにあると言える。

公智の精神で

ただしそれは容易なことではない。というのも、もともと自由と分限とは、二律背反の関係にあるからだ。私たちはしばしば、自由と分限のどちらをより重視すべきか、という問題に直面する。

もちろん意図的に虚偽情報を流したり、情報を捏造したりすることなどは論外であるし、人の尊厳を著しく侵すような演出で受けを狙うといったことは決して許されるものではない。そのような場合に、言論・表現の自由を重視すべきだといったことには決してならない。

しかし仮に不確かな情報であっても人々の注意を喚起すべき事柄といったものはありえるだろう。あるいは個人の名誉を損なう可能性はあっても(たとえば公益に著しく反する不正の可能性などについて)その情報を報道することの公益性はある、といった場合もあるだろう。青少年に見せたくないものであっても、芸術的に優れた作品であるといったものもあるかもしれない。

そこで問題はそのどちらを重視すべきか、ということになる。この時に思い起こされるのもまた福澤諭吉の言説だ。福澤は『学問のすゝめ』と並ぶその主著『文明論之概略』の中で、人の備えるべき徳(モラル)と智(インテレクト)とを、「私」のそれと「公」のそれに分け、律儀などの「私徳」、公平などの「公徳」、ものごとをよく理解する「私智」を説明した後に、公智とは「人事の軽重大小を分別し軽小を後にして重大を先にしその時節と場所とを察するの働を公智と云う」と公智を定義し、これを聡明の大智とも言えるとして「而してこの四者の内にて最も重要なるものは第四条の大智なり」と言っている。つまり物事のうち、より大切なものは何かを判断する聡明の大智と言える「公智」こそ何よりも大切だ、ということである。

構造変化への対応

ところで何をより大切なものとすべきであるかは、常に一様ではなくその時々の状況による、という面もある。これはBPOの場合も同様だ。ここでとくに大切なのは、放送を取り巻く構造変化への対応であろう。

すなわち、日本はいま世界に類を見ない高齢化を経験しつつあること、第4次産業革命と言われるような非連続的な技術革新を加速化させていること、社会のさまざまな面で価値観も含めたグローバル化の見られること、さらに温暖化といった地球規模での気候変動の進んでいることなどである。こうした社会や経済の構造変化は、これまでになかったような新しい問題を生み出し、あるいは物事の相対的重要性を変化させる可能性を持っている。

例えば人口の高齢化にともなって視聴者に占める高齢層の比重も高まれば、その関心事である健康や資産運用などに関す情報の真偽はより重要になるだろう。あるいは情報通信分野での技術革新よるネット情報の発達(まさに本稿もオンラインで配信されているように)は、一方では放送事業と競合し、あるいは新たな展開を与えると同時に、そこでのいわゆるフェイク情報や人権を侵害するような情報の氾濫は、逆に伝統的な放送事業の相対的信頼度を高めるかもしれない。さらにグローバル化や世界規模での気候変動は、国際的な取材や自然科学分野での情報発信の重要性をより高めることになろう。

受益者は社会全体

このようにBPOは、経済社会の構造変化にも対応しつつ、その公智を働かせることで、冒頭に紹介した「放送における言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護する」使命を果たしていかなければならない。そしてその受益者は、実は具体的な問題や苦情を訴えた視聴者だけには限らない。

もちろんBPOの果たす機能によって第一義的に救済されるべきは、虚偽の情報や名誉を傷つけられたことで被害を受けた視聴者であることは間違いない。その人たちの救済は何よりも重要である。不適切な内容と判断した場合、放送事業者に厳格に対応することも大切だ。

しかしそれはもちろんのこととした上で、放送事業者自身にとっても、その番組の質を高められるメリットも大きい。虚偽の情報を流して視聴者の注目を集めたり、人権を傷つけかねない演出で受けを狙うような質の悪い番組が淘汰される。そのことは、自らを律して、情報の真偽を常に確認する労を厭わず、人権をしっかり守りつつ人々を喜ばせる演出を工夫するような、高い制作能力、倫理性を持ち合わせたプロフェッショナルを育てることに寄与するはずであり、結果として放送事業者を裨益することになる。

そしてそのことは、放送を視聴する国民一般にとっても大きな利益をもたらすだろう。視聴者は質の高い放送を視聴し、そのことによって正確な知識を得ると同時に、品位の高い作品を享受することは自らの気品を高めることにもなる。

このことは結局、私たちの社会全体の品位を高めることに寄与する。私たちの社会に、言論・表現の自由の存在することは、社会の質の高さを物語る大切な条件である。しかしその自由が、自由本来の意味における倫理的要件をきちんと備えていなければ、言論・表現の自由は、必ずしも社会の質の高さを物語る指標とはなりえない。

先に紹介した『文明論之概略』で福澤諭吉は「文明とは結局、人の智徳の進歩と云いて可なり」と喝破している。BPOはまさに、言論・表現の自由による智の進歩と、それを他人の妨げにならないように実現するという徳の進歩、この両方を確保するために不可欠の役割を果たしていると言えるのである。


(参考文献)
福澤諭吉『学問のすゝめ』(慶應義塾大学出版会、2009年、引用した初編の発刊は1871年)
福澤諭吉『文明論之概略』(慶應義塾大学出版会、2009年、福澤による初版の発刊は1875年)

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