旧ジャニーズ事務所元代表者による人権侵害行為について、民放各社の意識が希薄であると指摘され、その姿勢が厳しく問われました。民放連では2023年12月に「人権に関する基本姿勢」を策定するなど、今後とも社会から信頼されるメディアであり続けるために、人権への取り組みを喫緊の重要テーマに掲げています。
そこで、民放onlineは「人権」についていま一度考えるためのシリーズ企画を展開中です。第3回は共同通信文化部の記者として映画業界の動きを取材してきた加藤朗さんに「#Me Too」などで一足早く性虐待の問題に向き合うことになった映画界の対応から学ぶべき点を考えていただきました。(編集広報部)
2023年12月、日本民間放送連盟「人権に関する基本姿勢」が策定された。「人権の尊重」「人権侵害の防止」「メディアとしての社会的責任」の3項目で各社が報道や事業活動を展開するための指針にする。また、24年3月にはNHKが「NHKの出演者に対する人権尊重のガイドライン」を作成・公表した。どちらも、旧ジャニーズ事務所で発覚した性被害問題を見て見ぬふりをしていたという指摘への反省を込めた対応という。間接的に被害を助長したことを認め、再発防止を図る意味で公表した意図が感じられる。
一方で、同じく映像コンテンツを制作する映画の世界では、数年前から旧ジャニーズだけでなくその撮影や興行の現場でハラスメントが横行している現状を告発する動きが相次いでいた。放送、映画いずれの業界にも通じるのは、現場へのリスペクトの不足ではないだろうか。筆者は、それをこれまで多くの若者の憧れの業界であり続けたことの弊害だと感じる。本稿では、一足早く問題が表面化した映画界の対応から学べることを考えてみたい。
「#Me Too」が広がる映画業界
現場からは焦りの声も
映画界での性的虐待問題は、しばしば「#Me Too」問題として取り上げられる。元々は2000年代に性虐待に対する草の根運動のスローガンだったが、2017年にニューヨーク・タイムズ紙がスクープした米大物映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインの長期にわたるセクシャルハラスメントで、一気に社会問題となった。映画への出演をちらつかせて性的暴行に及び、「告発すれば映画界にいられなくする」と脅した事件だ。ハリウッド全体を巻き込んだ大スキャンダルに発展し、欧米では映画界の枠を超えてテレビ番組や演劇、オペラなど芸術のあり方を根幹から考え直す機会となった。
日本でも、経済産業省が19年に行った映画制作現場の実態調査は、フリーランスの過酷な働き方を指摘。22年には週刊誌報道を機に映画監督やプロデューサーからの性暴力に関する訴えが相次ぎ、刑事告発された映画監督は準強姦の疑いで逮捕された。制作の現場だけでなく、社会派映画を上映することで知られた複数のミニシアターでも従業員が経営者のパワハラを告発。映画ファンを唖然とさせ、ハラスメントに甘い業界の体質にも批判が集まった。
事態を重く見た映画業界は大手映画会社と独立プロダクション、現場のスタッフが4年にわたり議論を重ね、映画制作における労働環境の改善を目指し映画産業における持続可能な発展を進めようと、22年に「一般社団法人日本映画制作適正化機構(映適)」を設立。現場スタッフの労働環境が適正かどうかを審査する自主的な認定制度をスタートさせた。
認定制度に活用されるガイドライン(「映画制作の持続的な発展に向けた取引ガイドライン」)は、①準備などを含めた撮影時間を1日13時間以内とし、週1日以上の休日を設ける②作品ごとにハラスメント防止責任者を置き、防止するための研修を全てのスタッフに行うよう努める――などの内容。制作側が映適に審査を申請し、基準を満たした映画に「映適マーク」を付与する。
それでも、現場の監督らからは「不十分」との指摘が相次いだ。1週間あたりの上限は設けられていないが、最大で週80時間近い撮影が可能な計算となる。是枝裕和監督によると「これはフランス映画界の労働時間基準の倍にあたる」と言い、共同通信の取材に「『絵に描いた餅』ですらない」と訴えた。
筆者の印象では、映画の世界は映画監督や興行主などにさまざまな権限が集中する傾向が強く、ハラスメントが起きやすい土壌があると感じる。また放送業界と同様に、華やかな世界にかかわることから業界に憧れる若者が少なくない。熱心に仕事に取り組む彼らが努力をすればするほど対価以上の労働に勤しむことになってしまう結果となり、いわゆる「やりがい搾取」の状況が生まれる。新型コロナウイルスの感染拡大に前後して膨大な集客を記録したアニメーション映画の職場でも、アニメーターらの低報酬や不当な環境での労働を問題視する声が高まっている。対策が遅々として進まない状況に「こんな働き方をしていては、若い作り手が集まらない」「現場の高齢化が止まらない」「魅力ある現場にしていかないと、映画は滅びる」などと、映画制作の現場からは焦りの声も聞かれる。
危機感を持って声を上げよう
映画界には苦い経験がある。国民的娯楽として君臨した映画黄金期の1953年に当時の日本の大手映画会社5社の松竹、東宝、大映、新東宝、東映が所属俳優や監督の引き抜きを禁止する名目で「5社協定」を締結。公正取引委員会が問題視したが、機を同じくして映画業界はテレビなど他の娯楽に主役の座を奪われ、市場が急激に縮小して新東宝が経営破綻するなど協定自体が形骸化したことから1963年、公取委も不問に付した(本件に関しては、公取委の「人材と競争政策に関する検討会 報告書」〔2018年2月15日〕に詳しい)。裏を返せば、絶頂を極めた映画業界が、その財産である出演者やスタッフなど現場に携わる人たちの人権を無視した寡占状態を自ら生み出したと同時に、人々の支持を失ったとも言える。
放送業界も、その道を志す若者にとっては狭き門だったはずだ。しかし近年、その傾向は変わりつつあるのではないだろうか。筆者が働く通信社や新聞社も似た傾向にある。志望する学生は明らかに減少しており、その求心力は急速に失われつつある。その理由は、やはりこれまで買い手市場であり続けてきた結果、経営陣らの現場で働く人々へのリスペクトに欠けてきた流れがある。こうなってから急に若者におもねっても、業界の体質を一朝一夕に変えるのは難しい。すでに働いている私たちの考え方を一斉に改めることは不可能だからだ。これまで危機感を持ってこなかった世代が業界を去るのを待っていては、手遅れになるだろう。映画界で是枝監督らが厳しい指摘を繰り返しているように、現場のリーダーたちが声を上げ続ける必要があるはずだ。
筆者が映画担当の記者だった時代、海外での映画祭や映画賞を取材する機会に恵まれた(冒頭写真は2023年カンヌ国際映画祭と24年米アカデミー賞のレッドカーペット=筆者撮影)。驚いたのは、海外メディアが向ける鋭い視線だ。例えば、今年3月の米アカデミー賞では助演男優賞を受賞した米俳優ロバート・ダウニーJr.さんが、プレゼンターを務めたアジア系俳優キー・ホイ・クアンさんを無視した話題など、各国の記者は映画祭の運営や審査員の男女比率に至るまで、差別的な発言や態度が見られるのではないかと厳しい指摘を繰り返した。これらの報道は翻訳されて日本にも伝わり、映画ファンからは「ポリティカル・コレクトネスが行き過ぎだ」「重箱の隅をつつくような指摘ばかりでうんざりする」といった声も聞かれた。しかし海外メディアの記者に言わせると、これまで強き者が傍若無人の限りを尽くしてきたハリウッドをはじめとする映画業界の振る舞いを是正するために必要な報道だという。
全ての市民が賛同するかどうかは別にして、またその行為が実行者の本心からのものでなく無意識からくるものだったとしても、やはり人権の尊重を実現するためには不可欠な指摘だと考えているのだ。日本のメディアはSNS上でたたかれることを怖れるあまり、前述のような告発を避ける傾向を感じる。欧米の記者は、たたかれることも含めて仕事だと考えている節が感じられ、そこは私たち日本のメディアが学ぶべきところだと感じた。われわれジャーナリストはたとえ読者から煙たがられたとしても「裸の王様」の告発をやめるべきではないのだ。
現場で働く人々へのリスペクトを
日本の映画業界は映画館を持つ興行側が依然として力が強く、欧米のような大きな変革が起きているようには感じられない。各映画制作現場が自助努力でハラスメント対策を学び、働き方を工夫しているのが現状だ。ハリウッドでワインスタイン事件を取り上げた作品が大成功を収めたのに対し、日本で制作された実際の事件がモチーフの映画の興行規模ははるかに小さい。
告発が相次いだことと時期を同じくして、新型コロナ禍に入ったことも影響しているように感じる。他のエンタメに比べて日本の映画館は営業を継続することができたため回復が早く、またそのタイミングでアニメ作品の大ヒットが続き興行へのダメージが比較的少なくて済んだ。その反動はそう遠くないうちに、大きなしっぺ返しとなる可能性がある。速やかに制作現場への敬意を持って対応しなければ、1960年代の轍を再び踏むことになるだろう。
放送業界も、映画界の取り組みを他山の石として早急に対応を進める必要があると感じる。お金を払って見たい人が見に行く映画に比べ、あまねく知らせる役割を担う放送は公共性が高い。そもそも日本の放送業界は「放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る」と自ら定義してきたはずだ(民放連・NHK「放送倫理基本綱領」)。あらためて民放連が「人権に関する基本姿勢」を打ち出す必要があったのには、それだけ旧ジャニーズ事件で強い危機感を持っていたことが分かる。現場で働く人々をリスペクトし、未来の放送を作っていく責務があるだろう。