2003年の発足から7月1日で20年となるBPO(放送倫理・番組向上機構)。放送倫理検証委員会、放送と人権等権利に関する委員会、放送と青少年に関する委員会の3委員会が、放送界の自律と放送の質の向上を促している。
「民放online」では、BPOの設立の経緯や果たしてきた役割、その成果などを振り返り、現在の立ち位置と意義を再認識するための連載を企画。多角的な視点でBPOの「現在地」と「これから」をシリーズで考える。
「BPO発足20年 連載企画」記事まとめはこちらから。
3回目に登場いただくのは、NHKで理事、専務理事を務めた松坂千尋・特別主幹。
BPOの第三者性
BPOとのつきあいは長い。ヒアリングも2回受けたことがある。2015年、編成局在籍時にクローズアップ現代「追跡"出家詐欺"」の調査にあたった立場で、また、専務理事だった2022年、「BS1スペシャル」報道の調査責任者として。それ以前の報道局時代にも、民放番組も含めたBPO決定報道などに関わってきた。
振り返って今、改めて思うのは、「放送倫理」は放送局にとっての根幹だということである。放送事業者にはさまざまな課題や問題が降りかかってくるが、放送倫理に関わるものは最重要といっても過言ではない。何よりも自主的に対応することが重要であり、スピードも大切である。放送事業者が自ら、放送倫理や放送と人権に関する問題に対処することが、放送の自主自律を貫くためには欠かせない。
BPOの存在意義とは何か? 放送事業者が行った調査などを、第三者の立場から調査、検証して、放送局や業界全体の教訓とすることだろうか。では、「第三者性」とはどういうことだろうか。その根本には、放送事業者ではない独立した立場の委員による調査という構造がある。3つの委員会の委員は放送事業者以外から選ばれ、委員を選ぶ評議員も放送事業者ではない。それに加えてBPOの第三者性とは、「視聴者や社会から見た視点」「取材対象者(放送で取り上げられる人たち)の視点」を重視するということではないだろうか。これまでのBPO決定などを見ると、そうした視点を強く感じる。
「視聴者・社会」「取材対象者」からの視点
BPOの意見は時に厳しい。私たち放送事業者もできる限り調査を尽くし、関係者や視聴者に納得してもらえるよう努めるが、事実関係の解明に重点を置く必要があり、さらに、調査をいち早くまとめる必要などから、十分でない点もある。
一昨年暮れにBS1で放送した東京五輪に関するBS1スペシャル。五輪反対デモに参加していなかった男性に、<デモに参加しているという男性、実はお金をもらって動員されていると打ち明けた>という字幕をつけて放送した。私たちは去年2月にまとめた報告書で、裏付け取材を全く行っていなかったことや、編集や試写での確認やチェックが機能しなかったことなどを明らかにし、関係者やデモに参加した方、視聴者にお詫びした。
その後、BPOの放送倫理検証委は9月に意見を公表、取材の基本を欠き事実関係をおろそかにしたことなどを指摘したが、決定にはその他にも貴重な視点が含まれていたと思う。
その1つは、デモに対する関心の薄さへの言及である。NHKの報告書でも、当該字幕をつけて放送することが、どのような意味合いを持つかという認識が制作者に欠けていたことは指摘した。この点についてBPOは、当該シーンを放送すれば視聴者から大きな反響があることは予想できたはずなのに、それに気づいて言及した制作関係者はいなかったとしたうえで、その背景・理由として「デモや広い意味での社会運動に対する関心の薄さがある」と踏み込んでいる。
ヒアリングで制作スタッフが「デモのことはよく知らない」「デモの取材経験もなくそれほど関心もない」と語ったことにも触れ、民意の重要な発露としての市民活動に真摯な目線を向けるべきだったのでは、と指摘している。視聴者の視点や受け止めを大切にした指摘であり、社会の今に向き合うメディア従事者への提言も含んでいると感じた。
指摘でもう1つ貴重だと感じたのは、「取材対象者に対する緊張感の欠如」である。私たちの報告書でも、ディレクターが男性の連絡先も知らず確認をしていなかったことには触れた。BPOは加えて、男性に取材の意図や番組内容を適切に説明していなかったこと、放送が決まったと連絡していないこと、問題発覚後に番組を見せていないことに言及した。そして「取材対象者との間に持つべき緊張感が存在していなかった」「取材相手への配慮や誠意を欠いていたことが問題の根っこ」と指摘している。今回の番組は、五輪公式記録映画スタッフによる男性への取材に、NHKが同行する形で行われたが、そうした場合であっても、取材対象者に緊張感とリスペクトを持って接することが、ジャーナリストとしての基本的な姿勢だと強調しているのである。そこには放送で取り上げる、取り上げられる人への視点が徹底されている。
BPOとの研修会で考えたこと
BPOの決定後、委員会と当該放送局との間では研修会が行われ、BS1問題でも活発に意見が交わされた。「情報の確認を経て初めて取材が成り立つ」「今回の重大な放送倫理違反は重過失的」などの指摘に加え、私が貴重だと思ったのは「最近の民放のケースも含め、放送局で働く若い人や中堅の人たちに、現代史に関する知識が薄いと感じる」との指摘だった。また、別の委員からは「こうした問題を世代間対立にしないでほしい」という意見も出された。
メディアで働いていると、「俺たちにとっては常識なのに」「こんなことも知らないのか」「若い連中は手がかかる」「昔はこんなことはなかった」などの言葉がつい出がちである。突き放したり愚痴ったりするのではなく、若い世代が知らないのならば、丁寧に取材し調べることを伝承する。そして時には厳しくチェックし、ノウハウを伝えていく。世代を超え、新しい課題も含めて、組織として、そして個々のメディア人として、取り組み続けていくことが大切だと改めて考えされられた。
これからも"緊張感"を
BPOには厳しい目も注がれる。「放送局に甘いのでは」「お手盛り的組織では」「放送局の調査範囲内を対象としがち。もっと広げては」「放送倫理や人権侵害は公的機関が判断すべきでは」などの声も聞かれる。逆に、「自由で生き生きとした番組を作る足かせになっているのではないか」などの声もある。そうしたさまざまな声にどう向き合っていくのか。
私たち放送事業者は、あくまでも自主的に放送倫理や人権などの問題にスピード感を持って対応する。放送番組がネットにも広がる中、これまでより一層、幅広で迅速な対応が求められる。各局の番組審議会の活用も欠かせない。
BPOは、視聴者や社会、放送される側の立場・目線から、客観的なチェックを行い指摘する。その第三者性から、意見や指摘が時に厳しくなるのは必然であり、そうでなければ存在意義がない。
そして放送事業者とBPOは、できるだけ多くの機会をとらえて、意見や考えをぶつけ合う。指摘に異論や違和感があれば、積極的に意見を戦わせる。放送局としての自主的な取り組みに加えて、BPOの指摘を再発防止や人材育成などに活かしていくことができれば、これからの番組作りにつながっていくと思う。
互いの緊張感こそが、放送業界にとってメディアにとって、20年目以降も求められ続ける。