沖縄民放からみる「本土復帰50年」① 番組アンケートの結果から ラジオ編

編集広報部
沖縄民放からみる「本土復帰50年」① 番組アンケートの結果から ラジオ編

今年、本土復帰から50年を迎えた沖縄。民放onlineでは、復帰50年となる5月15日と77年目の慰霊の日である6月23日を中心に、沖縄の民放各局のレギュラー番組や特番に関するアンケートを行った。その結果をラジオとテレビに分けて紹介する。まずはラジオ各局の取り組みをまとめた(テレビはこちら)。


5月15日、エフエム沖縄はタイプの異なる2本の特番を続けて放送した。『オキナワミュージックカンブリア』は、独自の発展を遂げてきた沖縄の音楽シーンに着目。バンドやライブハウスなど音楽関係者のインタビューを通じて、その多様性を描いた。続く『ライセンス~米国と日本のはざまで~』(=写真㊤)は、同社の前身で、宗教法人が運営していたAM局「極東放送」を知る人々に取材を重ね、自社のルーツを深掘りした。復帰によって変更が生じた"免許制度"に着目した異色作だ。

琉球放送は同日、シリーズ企画「音で綴る復帰50年」の一環として『聴いた!見た!話した!アナウンサーたちの沖縄復帰』を編成。復帰前は県出身者が多数を占め、復帰後は県外出身者が多くなった同社のアナウンサーたちが、それぞれに経験した「復帰」を当時の音源を交えて語った。また、14時からは宜野湾市で開かれた復帰50周年記念式典の生中継特番を組んだ。

ラジオ沖縄は当日の生ワイド『おひがらサンデー 月下笑人』内に特別枠を設け、同式典での玉城デニー知事や岸田文雄首相らの式辞、高校生の合唱の模様などを生中継した。また、5月29日には杉原愛アナウンサーが企画・制作・ナレーションを担当した報道特番『"復帰"を二度経験した奄美人(しまっちゅ)』を放送。1953年に奄美が日本に復帰したことで、沖縄在住の奄美出身者は"外国人扱い"となり、さまざまな差別を受けた。番組はその苦難の歴史を綴った。31日の『想い(ウムイ)未来へ』は、琉球王朝時代からの伝統文化に光を当てた特番。歌や踊り、工芸などが復帰の過程で沖縄の人々の心をいかに支え、進化を遂げたかを伝えた。

復帰関連の番組をさらに見てみると、琉球放送は前記の「音で綴る復帰50年」シリーズを5月9日から15日にわたって連日オンエア。お笑い、街歩き、高校野球、観光地などの切り口で沖縄の歴史を辿った。また、4月中旬からは「番組で振り返る復帰50年」と銘打ち、復帰10年、20年、40年といった過去の周年特番をピックアップして放送した。特に、72年5月14日から26時間にわたって放送したという『世替わりの島』は、深夜0時の復帰の瞬間を伝えるカウントダウンの音源を含む貴重な番組だ。

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<琉球放送『音で綴る復帰50年 歩いて見つける那覇マチグヮ―の歴史』(5月10日)の模様>

エフエム沖縄は5月13日、「OKINAWA 50」と題し、『Fine!』『ハッピーアイランド』『ゴールデンアワー』『For PM』『Connect』の生ワイド5番組で終日連携。復帰後の沖縄エンターテインメントを「ディスコ」「先島(宮古島・石垣島)のエンタメ」「復帰関連書籍」などとジャンルに分けて振り返った。また、リスナー投票で決定した沖縄の歌のトップ50作『OKINAWA SONG 50』を5番組でカウントダウン形式で発表。さらに同日20時からは『Radio dub』を拡大し、ライブハウスOutputでの音楽イベントの模様を生放送した。

ラジオ沖縄は8月21日、戦前から活動を続け、沖縄ジャズ界を代表するドラマー・上原昌栄の生涯に迫るドキュメンタリーを放送する予定だ。


次に、6月23日の慰霊の日の動きを紹介する。琉球放送はレギュラー番組の枠を縮小し、糸満市の平和祈念公園で開催された沖縄全戦没者追悼式の模様を生中継した。レギュラーの各ワイド番組では例年、式典で朗読される児童生徒の平和の詩を生徒本人が読みあげる企画を行っており、子どもたちが戦争について考えたきっかけなども尋ねている。また、リスナーが身近な人から聞いた戦争体験談をアナウンサーが紹介する特別企画「語り継ぐいくさ世」も放送した。さらに、毎年慰霊の日に合わせて、県内の平和関連の施設などと協力し、アナウンサーによる平和朗読会を行っている。今年は対馬丸記念館で実施し、番組でも放送した。

戦争体験者が減る中、ラジオ沖縄は「戦後生まれの私たちができること」を当日の全生ワイドで探った。『BALLOON』では、40代のパーソナリティ・玉城美香が子どもに戦争を伝えるために読み聞かせたい絵本と詩を取り上げた。リポーターの前徳比嘉優は、若者13人が自決した地元うるま市の具志川城祉の壕などをめぐり「子どもたちにも伝えていきたい」とリポートした。正午に1分間の黙とうを捧げた後、平和祈念公園から式典を生中継。また、『華華天国』などでは慰霊の日にまつわる楽曲のリクエストを募った。

ラジオ沖縄 杉原愛 プロフィール写真.jpg<『"復帰"を二度経験した奄美人』を制作したラジオ沖縄・杉原愛アナウンサー>

エフエム沖縄は『ハッピーアイランド』内の正午の時報の後、毎年恒例となっている黙祷のアナウンスを実施。各番組では、MONGOL800の「himeyuri~ひめゆりの詩~」など平和を願うリクエスト曲を中心に採用し、メッセージも9割が慰霊の日に関するものだった。戦争を知らない世代のパーソナリティは、親族から聞いたエピソードをトークに盛り込み、平和を願う構成とした。『Connect』では選曲テーマを"Peace"とし、ロシアによるウクライナ侵攻と沖縄の現状を重ねる内容や、体験者の声を聞くことが難しくなる中で記憶の継承を課題に挙げるメッセージなどが寄せられた。また、『Radio dub』では、20代のアーティスト・Rude-αが次世代に語り継ぐべき平和への願いを等身大の言葉で発信した。

このほか、ラジオ沖縄は6月22日の『ROKアーカイブ』で、集団自決を含む渡嘉敷島での戦没者のために建立された白玉塔を扱った2002年制作の『けらま渡嘉敷・美ら島紀行~白玉の塔慰霊祭57年目の証言』をダイジェストで再放送。さらに25日には、『てるてるソーレ』で日常や平和、戦争をテーマに県内外で歌い継がれる楽曲を紹介した。

これらの番組に対し、琉球放送ではSNS上で多くの反響があったほか、復帰50年関連の企画には「趣旨に賛同した提供社が予想以上についていただいた」としている。また、アナウンサーによる平和朗読会に対しても、一緒に企画したいという施設が多く、県内の認知度に手応えを感じているという。

ラジオ沖縄は「復帰50年は祝福ムードではなく、沖縄の今を見つめ直す」ことを念頭に置いた。radikoを通じて県外のリスナーから「ラジオ沖縄で慰霊の日を知った」「非常にためになるし、心が揺さぶられる思い」との声が届いたほか、上記の前徳比嘉リポーターからは「私が戦争を伝えられるのか不安だったが、取材を担当し意識が変わった」との感想もあがった。

エフエム沖縄も、リスナーの反応は「当事者インタビューが満載で濃厚な中身だった」(『オキナワミュージックカンブリア』)、「歴史の一端を知り、なるほどと思った」(『ライセンス~米国と日本のはざまで~』)などと上々。また、「OKINAWA SONG 50」に関連して、沖縄の象徴的なアーティストや楽曲をまとめた年表「沖縄音楽年表五十年史」を特設サイトで公開しており、こちらも「沖縄と音楽の歴史を俯瞰できる」などと好評だ。

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