【新放送人に向けて2024① 淺 忠史・石川テレビ放送代表取締役社長】地域の人たちと共に歩みたい

淺 忠史
【新放送人に向けて2024① 淺 忠史・石川テレビ放送代表取締役社長】地域の人たちと共に歩みたい

2024年の春、放送業界に新たに仲間入りする新放送人に向けて、経営者や先輩たちからのメッセージなどを連続企画でお届けします。1回目は新放送人への期待やアドバイスを、石川テレビ放送の淺社長にご自身の経験を踏まえて寄稿いただきました。(編集広報部)


皆さん、入社おめでとうございます。放送業界に飛び込んでくれたことをうれしく思います。社会人として、放送人として立派に成長されるよう願っています。

石川県で生まれ育ち、地元の放送局に勤める私としては、正月の団欒を襲った「令和6年能登半島地震」を語らないわけにはいきません。マグニチュードは阪神・淡路大震災を超える7.6、輪島市などで最大震度7の揺れを観測しました。3月15日現在、死者241人、負傷者1,188人。住宅被害は約7万4千棟に上ります。この未曽有の災害に、石川テレビの社員たちはどう対応したのか、初動段階を中心にまとめてみました。

 災害が起こったら、何をすべきか

元日午後4時10分過ぎ、私は金沢市内の自宅で経験したことのない激しい揺れに見舞われました。居間や廊下の壁は何カ所もひび割れし、庭の石積みや灯篭は崩落。ニュース速報を見るまでもなく、ただ事ではないと感じ、家族の安全を確認してただちに出社。発災から約40分後には会社に到着したのですが、すでに記者とカメラマン、アナウンサーの取材第一陣が被災地に向かったと聞きました。災害対応は何より初動が肝心です。会社に「どうしたらよいですか」などと尋ねることは混乱を招くだけなので絶対禁物。異変を感じたら全社員速やかに出社する、これが基本中の基本です。

どれほどの被害があったか、ニュースなどでご存じの通りです。多くの記者が「何から取材して良いか分からなかった」と言うほどの惨状。広い範囲で断水や停電が続くなどライフラインはズタズタ、道路も土砂崩れや陥没によっていたるところで寸断され、能登半島は壊滅状態となりました。多いときで3万人以上が避難所生活を強いられました。

当然のことながら、私たちは持てる力のほとんどを被災地に注ぎ込みます。報道の担当局長が「発災当初は皆アドレナリンが出ていた」と振り返るように、現場へ向かうことをためらう記者はいませんでしたが、その取材環境は劣悪でした。平常時なら金沢市から車で2時間から2時間半で行くことができる輪島市や珠洲市まで、半日近くかかりました。断水ですから水洗トイレは使えず、宿泊施設はほとんどありません。やむを得ず、何人かは車中泊が続きました。その間、入浴もできません。飲食店も閉まったままなので、水や食べ物を現地で調達することもできませんでした。被災者の生活環境の厳しさと比べようがありませんが、取材者もいろいろな困難に耐える覚悟が必要です。

自社以外の系列各局の応援も、大災害の報道では重要です。石川テレビはフジテレビの系列で、発災した元日の夜には隣県の同系列の福井テレビからアナウンサーが金沢の本社に駆けつけ、スタジオに入ってくれました。翌2日にかけてフジテレビ、関西テレビ、東海テレビ、長野放送のスタッフも現地入り。この3カ月の間に、FNN(フジニュースネットワーク)各局からの応援は合わせて200人以上に上ります。社員数の少ないローカル局にとって、系列は大変心強い存在です。その応援なしで長丁場を乗り切ることはできません。

人としての優しさと思いやりを忘れずに

石川テレビで放送したニュースで、忘れられない映像とインタビューがあります。発災から2日目の輪島市内。倒壊したビルに押しつぶされた住宅の前に呆然と一人の男性が佇んでいました。妻と長女が住宅に生き埋めになっていました。最悪の道路事情の中、自衛隊がどうにか現場に駆け付けたものの、持ち合わせの装備だけでは救助できなかったそうです。その男性、泣きながらマイクに向かって叫びました。「メディアなら早くレスキュー隊を呼んで来てくれ」。これに対し、記者は何も答えられませんでした。取材では、このような辛い場面に直面し、深い哀しみと無力感に苦しむこともあるのです。

 メディアスクラムという言葉を聞いたことがあると思います。集団的過熱取材とも表現されますが、被災地には取材陣が殺到し、報道合戦が繰り広げられます。被災者の中には同じことをしつこく質問されるので、苦痛を感じている人も多くいました。ベテラン記者も「特に避難生活を送っている人との接し方が難しかった」と言います。普段の仕事や日常生活でも、相手との距離感に悩むケースがよくあります。被災地ではなおさらですが、人としての優しさと思いやりを忘れず、常に「これで良いのか」と自問自答を繰り返しながらも取材報道を続けていくことが、被災地支援に繋がると確信しています。

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 放送局で働くことのプライド

 災害対応に当たるのは、取材陣だけではありません。今回の地震では、複数の中継局が停電し、放送を維持継続するには非常用発電機への給油が不可欠となりました。このうち奥能登地域で最も世帯数が多い輪島中継局への給油については、総務省と自衛隊の協力でヘリコプターも出動して行われました。搭乗したのは技術部の社員たち。ホバリングしているヘリからロープで地上に降り、雪山をラッセルして燃料を運ぶという危険を伴う作業でした。「被災地に情報を送る電波は絶対に止められない」。その言葉に、技術者集団の意地とプライドを感じました。

営業や総務など事務系の社員も、被災地に取材陣が休憩できる場所がないか探し回り、そこへ水や食べ物を届ける作業を担当しました。取材陣は、こうした"裏方"に支えられているのです。正しい情報を速やかに発信するためには"ONE TEAM"。チーム一丸となって戦うことが肝心だとあらためて感じました。

今回の能登半島地震に当たっての当社の対応が、放送の役割は何か、放送人はどうあるべきか考える上で少しでも参考になれば幸いです。

大事なのは"一球全力"

話題を変え、私の経歴を紹介します。入社は1978年。最初の配属でスポットCMのデスク見習いをしていましたが、夕方のワイドニュース開始に伴い、若い人材が必要ということで同年秋に報道部に異動。以来、ニュースと番組制作の仕事に長く携わり、2004年からは管理部門で人事労務を担当し、23年、今の役職に就きました。学生時代に音楽イベントの興行に関わったことがあり、採用試験の面接で「事業か営業に」と希望を伝えていました。それが叶うことはありませんでしたが、もともと物事にあまり執着しない性格もあって、希望通りにならなくても、今日まで各部署で楽しく働かせてもらいました。良い思い出がいっぱいあります。

報道部では、甲子園史上最高の名勝負と言われている1979年夏の星稜高校(石川)対箕島高校(和歌山)戦を取材する機会に恵まれました。星稜の投手の父親に密着していたのですが、延長18回、星稜サヨナラ負けの瞬間の父親の表情を捉えた映像が、当時人気の『プロ野球ニュース』(フジテレビ)で放送されました。入社2年目の私は、何か特ダネを取ったような気分になったことを覚えています。制作部では、当社としては初めての月-金ベルトの情報番組『まちかど元気王』の立ち上げに汗を流しました。管理部門では災害対策の一環として、新社屋メディア館の建設準備も担当し、大仕事をやり遂げた達成感を味わいました。

新しく放送人となる皆さんはそれぞれ目標があり、特にプロ意識がある人はこだわりも強いのでしょうが、気負い過ぎは禁物です。表現が適当かどうか分かりませんが、流れに身を任せることがあっても良いのではないでしょうか。大事なのは"一球全力"。与えられた環境で常にベストを尽くすことだと私は思います。

放送の未来に向けて

民放の中でもローカル局は人口の減少に加えて、インターネットの影響でスポットの売り上げが漸減し、経営環境は厳しさを増しています。やはりスマホの出現と、そのデバイスとしての飛躍的な進化が、ネット関連のビジネス環境を一変させてしまいましたね。そうした中、経営基盤強化に向け、業界一体となって取り組んでいるところです。新たに入社する若い皆さんの自由な発想力にも大いに期待しています。

当社の例を紹介します。ローカル局の新たな事業を考えようと、2年間休職して国際協力機構(JICA)の隊員としてベトナムで活動した男性社員が23年秋復職しました。同5月の「民放onlineでも取り上げてもらいましたが、現地のテレビ局で番組アドバイザーを務める一方で、SNSで自作動画を配信し、フォロワー数は約55万人に上りました。インフルエンサーとしても活躍したこの社員の提案で、ベトナムに情報を届けたい企業や自治体を、動画制作で支援する事業をスタートしました。社員のチャレンジ精神あふれる取り組みを会社は積極的に応援していきます。

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2015年、古い社屋を取り壊し、新社屋メディア館を建設しました。竣工にあたって当時の経営トップは、銅板レリーフに「茨の道を歩むの辞」を刻みました。私のバイブルになっている、その一節を記して「新放送人に向けて」を締めくくることにします。

メディア館の建設は 石川テレビ放送がこの地にずっと存在し続ける との高らかな宣言なのである

民放経営はたとえ厳しくとも 私達は「ローカル局の達しうる高み」をめざし 地域の幸せのため 地域の人たちと共に歩みたい

マスメディアの一角に身を置く自覚と誇りを持ち この時代を一途に ただただ一途に駆け抜けよう


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