BPO放送人権委員会での12年間の経験からみた「放送と人権」【シリーズ「人権」⑪】

曽我部 真裕
BPO放送人権委員会での12年間の経験からみた「放送と人権」【シリーズ「人権」⑪】

民放onlineはあらためて「人権」を考えるシリーズを展開中です。憲法学、差別表現、ビジネス上の課題、ハラスメントの訴えがあったときの企業としての対応、などを取り上げてきました。11回目は、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送人権委員会で長く委員・委員長を務めた曽我部真裕教授(=冒頭写真)に、委員会での12年間を振り返っていただきました。なお、本文中のリンクは外部サイトに遷移します。(編集広報部)


筆者は2025年3月、BPO放送人権委員会から「卒業」した。2013年に委員に就任し、2018年から委員長代行、2021年から委員長として、2003年からのBPOの20年余りの歩みのうち、半分ほどを内部から見ていたことになる。また、放送人権委員会がこれまで公表した77件の「委員会決定」事案※1(もっとも、初期には決定には至らないものも事案として公表されている)のうち、32件に関わったことになる。

本稿では、筆者の12年にわたる放送人権委員会の経験を踏まえ、「人権」との関係で放送に何が求められているのかを考えてみたい。法学の領域では「人権」という言葉はある程度定義されたうえで用いられているが、ここではもう少し広く「一人一人を尊重すること」といった意味で捉え、この12年間での放送界の成果と課題とをみてみよう。

「人権」尊重の取り組みは進展してきている

BPOの各委員会から公表される決定や勧告なども踏まえ、各局において番組制作上のルールやチェック体制が着実に充実してきており、その意味では「人権」尊重の取り組みは進展してきているとも言える。特に、事後的に問題が指摘された場合の対応はかなり改善したのではないか。つまり、問題が指摘された場合には速やかに確認や話し合いが行われ、番組に問題があるとなれば謝罪や放送対応が行われるようになってきている。

その背景の1つとして、放送人権委員会や放送倫理検証委員会での審理・審議入りを避けたいという各局の意向があるだろう。もっとも、放送倫理検証委員会では、各局が速やかに検証を行って公表した場合であっても審議入りするケースがあるようである。他方で、放送人権委員会に関して言えば、申立てがあった場合でも、まずは申立人と放送局との話し合いを促している。審理入りするかどうかを判断するのは、話し合いが相容れない状況になってからである(運営規則5条1項4号)。実際、こうした話し合いによって解決がなされ、申立ての取り下げに至るものも一定数みられる。

また、こちらは近年の取り組みであるが、2020年4月に運営規則が改正され、5条に2項が追加された。ここで注目すべきは同項の1号である。そこでは「申立てに係る放送の内容、権利侵害の程度および実質的な被害回復の状況に鑑みて、審理の対象とすることが相当でないと認められる場合」には、形式的には審理入りの要件を充たしていても、放送局の事後対応によっては、委員会の判断により審理入りしない場合があることを規定している。これは、放送局の自主的・自律的な事後対応を促すものであると言える。

見方を変えれば、放送人権委員会の存在そのものによって、各局の本来求められる自主的・自律的な解決が促進されていると言える。このような進展がみられる一方で、これまで十分対応されてこなかった人権問題が、放送人権委員会への申立てを通じて明らかになってきた。

出演者への人権侵害と新たな放送倫理規範

その1つが、2021年3月30日の「『リアリティ番組出演者遺族からの申立て』に関する委員会決定」(決定第76号)によって提起された。本事案は、リアリティ番組に出演していたプロレスラー木村花氏が、番組内の過剰な演出がきっかけでSNS上に批判が殺到した結果、亡くなったとして、遺族が出演者への人権侵害を訴えたものである(なお、ちょうどこの寄稿が公表されるのと前後する5月23日は、木村氏が2020年に亡くなって5年目となる。あらためてご冥福をお祈り申し上げる)。

本決定の重要な点は、出演者の身体的・精神的な健康状態に放送局が配慮すべきことは、もともと放送倫理の当然の内容をなすものと考えられるとした点である。このような倫理規範は、放送倫理基本綱領にも民放連の放送基準にも見当たらなかった。しかし、委員会は、これらの文書に間接的に関係する規定はあることに加え、こうしたことは社会通念上当然のことであり、また、場合によっては法的な義務ともなるとして、そのような判断を行った。こうした判断には放送界から異論も出されたが、放送倫理とは固定的なものではないはずであり、委員会が事案に応じて熟慮のうえで動態的な判断を行うことは許されると考える。

なお、2023年5月に民放連の放送基準が改正され、「放送内容によっては、SNS等において出演者に対する想定外の誹謗中傷等を誘引することがあり得ることに留意する。また、出演者の精神的な健康状態にも配慮する」(第56条)という規定が新設された(2024年4月1日施行)。

委員会の放送界全体に向けた問題提起に、民放連が真摯に対応された結果として感謝したい。ただ、出演者の人権尊重は、誹謗中傷対策だけではなく、各局においてはその他の面でも取り組みを進めることが求められる。この点、近年はインティマシーコーディネーター※2の導入が一部ではあるが行われていることや、ハラスメントによる処分事例が目立つようになっていることなどが注目される。もっとも、ハラスメントによる処分に際しては、適正な手続を経て適正な判断がなされなければ、かえって「加害者」の人権侵害となる点にも注意が必要である。

放送とジェンダー

2023年7月18日の「『ローカル深夜番組女性出演者からの申立て』に関する委員会決定」(決定第79号)も、放送界全体に対する問題提起を含んだものである。本件も出演者によって申立てがなされた事案であり、他の出演者からの度重なる下ネタや性的な言動によって人権侵害を受けたとの主張がなされた。委員会の結論は、人権侵害は認められず、放送倫理上の問題があるとまでは言えないというものであったが、これは、前述のような事実認定の限界や、本件の個別事案の特殊性を踏まえたものであり、委員会が本件のような番組を積極的に容認したものでは決してない。むしろ、本決定の核心は、次のような要望・付言にある(決定概要より引用)。

フリーアナウンサーとテレビ局という立場の違い、男性中心の職場におかれた女性の立場というジェンダーの視点に照らし、本件において申立人は圧倒的に弱い立場にあった。しかし、あいテレビは、申立人が構造的に弱い立場にあるという視点を欠いていた。あいテレビに対しては、降板するほどの覚悟がなくても出演者が自分の悩みを気軽に相談できる環境や職場でのジェンダーバランスなどの体制を整備したうえで、日ごろから出演者の身体的・精神的な健康状態に気を配り、問題を申告した人に不利益を課さない仕組みを構築するなど、よりよい制度を作るための取り組みを絶えず続けるよう要望する。ここでの指摘事項は放送業界全体に共通する面があり、放送業界全体が、本事案を自社の環境や仕組みを見直し改善していくための契機とすることを期待する。

このようにBPOの委員会決定では事案を通じて放送界全体の取り組みを求めることがあり、「問題なし」という結論だけを見るのではなく、具体的な事案を踏まえた問題提起を受け止めていただきたいところである。

一般企業並みのガバナンスを

以上でみてきたことは、実は一般企業では、ハラスメント対策、働き方改革、多様性の推進、「ビジネスと人権」、さらには全般的なコンプライアンスの推進といった旗印のもと、すでに進められている取り組みである。放送局は公共性を担う存在として、こういった流れを先導することを期待したいところではあるが、実際には必ずしもそうではないことは、最近の旧ジャニーズ事務所問題やフジテレビ問題でも示されている(もちろん、これらでもって放送界のすべてを語ることはできないことは言うまでもないが)。

放送局はこれまで、非上場であったり安定株主があったりして株主の圧力が小さかったこと、寡占市場であって競争圧力も小さいこと、芸能界は特殊だといった社会的な認識があったことなどで、人権尊重の企業社会の流れにも鈍感だったのではないか。一方ではグローバルなストリーミングサービスにおける大型番組のクオリティ、他方ではショート動画の多種多様な魅力に挟撃されて独自の存在意義の発揮を求められる中、信頼を確保し人材を引き寄せるためにも、一般企業並みのガバナンスを確立することが、人権尊重という観点からも、まずは期待される。

(編集広報部注)
※1 BPO放送人権委員会の「委員会決定」は、1997年に設置された「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」における決定を含みます。決定一覧はこちら、BPOの歴史についてはこちらからそれぞれご確認いただけます。

※2 インティマシーコーディネーターとは、映像作品の性的なシーンにおいて、俳優の安全を守り、監督の演出意図を実現できるようにサポートする専門スタッフのことです。

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