人権と放送 差別の問題を中心に【シリーズ「人権」①】

木村 草太
人権と放送 差別の問題を中心に【シリーズ「人権」①】

旧ジャニーズ事務所元代表者による人権侵害行為について、民放各社の意識が希薄であると指摘され、その姿勢が厳しく問われました。民放連は2023年12月に「人権に関する基本姿勢」を策定するなど、今後とも放送が社会で信頼されるメディアであり続けるために、人権への取り組みを喫緊の重要テーマに掲げています。
そこで、民放onlineでは「人権」についていま一度考えるためのシリーズ企画を実施します。第1回は東京都立大学教授・木村草太さんから、基本姿勢の理念を実現するためにどうすればよいのか、差別の問題を中心に寄稿いただきました。(編集広報部)


民放連「人権に関する基本姿勢」

日本民間放送連盟「人権に関する基本姿勢」20231221日)は、その「1.人権の尊重」で「民間放送は、人種・民族、性、職業、境遇、信条をはじめ、性的指向・性自認や障害の有無などを理由としたあらゆる差別を認めない」と宣言し、「特に、社会的弱者やマイノリティの人々、未成年の人権に配慮し、尊重する」と述べる。

自ら差別せず、差別に加担しないことを、その第一に掲げる姿勢は正しく、また頼もしい。では、これを実現するには、どうすればよいのか。

差別とはどのような言動か?

まずは、「差別」の性質をよく知ることが重要だ。

差別discriminationは、さまざまな意味で使われる。「差別を認めない」という時の「差別」は、人間の類型――人種・民族、性、職業、境遇、信条などに向けられた否定的な評価や蔑視感情(差別感情)と、それに基づく行為(差別的行為)を指す。

差別は、感情の一種だ。どんな行為にも差別感情が表れる可能性がある一方、同じ行為でも差別感情の表れである場合とそうでない場合とがある。例えば、ある大学が、合格点に達していた女性受験生Aさんを不合格にしたとしよう。入試担当者が「女性は劣っている」という感情に基づいて不合格にしたのなら、確かに女性差別だ。しかし、ただの点数計算のミスだったなら、もちろん是正されるべきだが、女性差別とは言い難い。

差別には、いくつか厄介な性質がある。

第一に、どんな人でも、差別感情の根絶は難しい。ある国の人から嫌がらせを受ければ、頭ではその人個人の問題だと分かっていても、その国の人に何となく嫌なイメージを持ってしまう。自分と違う宗教や支持政党の人にも、警戒感を持ってしまうことがあるだろう。

だから大事なのは、「差別感情を持たないこと」ではなく、「差別感情を公共の空間や仕事に持ち込まないように気を付けること」、「差別が表れやすい行為を意識して、それを避ける訓練をすること」などだろう。放送の現場でも、個人的に抱いてしまった差別感情を仕事から切り分けるべく、適切な知識を学び、感情を修正した上で仕事することに注力すべきではないか。

第二に、差別感情は、当人には「正しい感情」あるいは「当たり前のこと」と感じられる。例えば、「X類型の人は、犯罪者ばかりで、日本から追い出すべきだ」と主張する人は、日本のために正しいことを主張していると思っており、それが悪い事だとは思っていない。それをとがめられても、本人は心の底から「差別の意図はない。正しいことをした」と言うだろう。そうだとすれば、「差別の意図はない」という本人の弁明には意味がない。放送を含め報道は、「当人が差別と思っているか」ではなく、「その人がどのような事実認識や価値判断に基づいて行動したか」に焦点を当てなければならない。

第三に、差別利得の存在がある。差別感情は、人の心を動かし、動員する力がある。政治家やタレントから見れば、差別発言は差別感情を持つ人から支持を集める手段になり得る。差別利得を求める人にとって、放送は魅力的なメディアだ。だからこそ、放送する側は、差別に加担しないよう、見極めていかねばならない。 

マクロ差別とミクロ差別

次に、差別に加担しないための対策も考えてみよう。経済にマクロとミクロがあるように、差別にもマクロとミクロがあり、対策もそれぞれ異なる。

▶マクロ差別

マクロ差別は、国家や企業の制度、あるいは社会の構造に組み込まれた差別であって、個人の力では容易に変えられないものを指す。

例えば、日本の民法は同性婚を認めていない。これは国家制度による差別だ。市役所の戸籍係の人が同性カップルの婚姻を認めたくても、その一存では婚姻届を受理できない。

あるいは、企業役員や理系学部の大学教授が男性ばかりという状態は、女性のロールモデルの少なさ、女性に対する先入観(ステレオタイプ)の広がり、男性に有利な昇進基準や大学入試の方法などが複雑に絡み合って生じている。これは社会構造に組み込まれた差別だ。この場合、社長や学長ですら、そう簡単に是正できない。

マクロ差別の改善には、多くの人の意識を変えることが必要だ。それには、粘り強く改善に向けた活動を続けていくしかないことも多い。アパルトヘイトも女性参政権の否定も、そうやって改善してきた。放送には、多くの人に届ける圧倒的な力がある。差別解消に向けた役割は大きい。

放送で、マクロ差別を扱う場合、論点設定に注意を払ってほしい。例えば、同性婚の問題を扱うときに、「同性婚に賛成かどうか」という単純な論点設定では、「同性愛者は気持ち悪い」という差別感情が紛れ込んでしまう。これを避けるには、「同性カップルの尊厳のために、国会は何をすべきか」と問題を設定し、当事者の権利が主役となるような議論を展開した方がよいだろう。

▶ミクロ差別

ミクロ差別は、国家や社会全体というマクロな関係ではなく、個人と個人のミクロな関係で生じる差別だ。近年、話題となった「マイクロアグレッション」という概念も、この領域での差別に焦点を当てるものだ(『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション』デラルド・ウィン・スー著、マイクロアグレッション研究会訳、明石書店、2020年 参照)。

ミクロ差別は、親密あるいはごく限られた人の中で生じる。放送局でも、社員やスタッフ同士、あるいは出演者との関係で、差別感情に基づく言動が出てしまうこともあろう。ミクロ差別は、自分自身で差別だと気づくのが難しい。だから、自分だけで差別的かどうかを判断せず、関係者の中で問題を指摘し合える良い関係を築くことが肝要だろう。

▶落ち着いて基本と常識を確認する

また、差別感情は、番組制作に表れてしまうこともある。1996年にNHKが朝の番組で、「妻からの離縁状・突然の別れに戸惑う夫たち」と題して放送した。ある男性が、理由不明のまま妻から離婚を切り出され、戸惑っているという内容だ。この番組は、妻側の事情を取材せず、夫の言い分を一方的に報じた。

妻は、NHKに対し、名誉毀損・プライバシー侵害を理由に損害賠償を求めて提訴した。裁判所は、夫の身勝手で暴力的な行為により、妻は夫の「帰宅の足音を聞いただけでおう吐したり」、夫「が触れたものには一切触れることができなくなり」、「体重も10キログラム減って、精神的にも肉体的にも限界を感じていた」という事実を認定している。こうした経緯からすれば、離婚は「突然」とは言い難いだろう。

この番組が、妻への取材を怠った背景には、「離婚を突き付ける妻は身勝手で、冷たい」という偏見や差別感情があったように思われる。番組に関わった人たちは、その認識や感情が当たり前だと思ってしまったのかもしれない。しかし、裏取りは報道の基本だ。また、離婚した夫婦の双方を尊重する姿勢があるならば、「家を出るには相応の事情があるのではないか?」と考えるのが合理的ではないか。

裁判所(東京高裁判決2001〔平成13〕718日判例時報176155頁)も「離婚の経過や離婚原因は、関係当事者にとっては極めてプライベートな事柄に属し、しかも、通常この点についての関係当事者の認識ないし言い分は必ずしも一致せず、ときには鋭く対立することが多い」として、それを放送する場合には、「関係当事者の承諾を得、双方への取材を尽くし、できるだけ真実の把握に努めることを要する」と指摘している。

ある放送番組の制作段階で、私も、離婚後共同親権制度を導入すべきか否かの議論に関連して、「突然の連れ去りを訴える人」について、取材・相談を受けたことがある。私は今紹介した判例を示しながら、もう一方の言い分や裁判所の判断を取材した方がいいと指摘した。この時のスタッフは、裏取りの結果、放送を避けた。一歩立ち止まって、「裏取り」という基本に立ち返り、関係者すべてを尊重する姿勢を貫くことの重要性を感じた。 

放送・時間・人権

放送には、「時間との戦い」という面がある。社会は、いつだって早い情報を求める。他方で、差別されない権利に限らず、人権に配慮しようとすれば、丁寧な取材や落ち着いた反省のため、十分な時間が必要だ。

その意味で、放送と人権は、緊張関係に立つ。「人権に関する基本姿勢」も、この緊張関係を意識して、適切に運用していってほしい。

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