民放onlineはあらためて「人権」を考えるシリーズを展開中です。憲法学、差別表現、映画界における対応、ビジネス上の課題、LGBTへの対応などをこれまでに取り上げてきました。8回目は、Netflixの小沢禎二プロダクション部門日本統括ディレクター(=冒頭写真)に、同社が開発・導入し、心理的安全性が高い職場環境づくりに貢献していると注目される「リスペクト・トレーニング」について、インタビューしました。リスペクト・トレーニングとは、クオリティの高い作品づくりのために、スタッフやキャストが安心して働き、制作に携わるすべての人が「リスペクト」を共通認識として持つことを目的としたワークショップ型のトレーニングです。(編集広報部)
――アメリカ版の「リスペクト・トレーニング」を、日本にローカライズして導入されたとのことですが、どのようにローカライズしたのでしょうか
最初にリスペクト・トレーニングを実施した『全裸監督』(2019年配信)では、アメリカから持ってきたトレーニングデッキと言われるスライドを日本語に直して使いました。直訳で意味が通じない部分が多々あり、トレーニングが終わった瞬間に、即変えようという話になりました。社内のチームでブラッシュアップしたのですが、今度は、難しい言葉が多くなりすぎました。さまざまな人が参加する撮影現場で全員に届くように、かみ砕いて、分かりやすくしていくなど、徐々に変わってきています。
――その中で日本独自の内容はありますか
リスペクト・トレーニングでは、撮影現場で問題となるハラスメント事例を共有します。アメリカ版では日本で全く分からない事例が含まれていました。日本版では、撮影後の飲み会について必ず入れるべきだと思い、撮影後の飲み会はハラスメントが起きやすい場として、リスペクト・トレーニング内で注意喚起をしています。やはり日本の現場特有の文化がそこにはあると思います。
――リスペクト・トレーニングでは、講演とディスカッションを交互に行います。意図はなんでしょうか
構成も当初の内容から調整を加えています。始めたころはここまでディスカッションが多くありませんでした。もちろん当初からインタラクティブにやろうとしていました。ただ聞いているだけでなく、しっかりと答えてくださいねと説明し、監督が手上げ発言すると、どんどん周りから手が上がってくるというように、うまくいく回も多くありました。ただ、比較的に静かな回もある。ブレイクアウト(少人数にグループ分け)して参加者全員が必ず発言することがすごく大事だと感じ、ブレイクアウトの時間を多くしていきました。参加者それぞれが発言し、気づいたことを持ち帰ってもらうことが大切だと考えています。
――日本で導入されてから6年がたちます。最初の頃と変化は感じますか
すごく感じます。初期に受講した女性のスタッフから「今まで上司から言われたことは言われるがままにやらなきゃいけないと思っていました。意見があっても言えない。リスペクト・トレーニングをやってくれたことで守られていると感じる」と言われました。それは最初にやっててよかったと思う出来事でした。次に、リスペクト・トレーニングを実施することが徐々に普通になってきました。最近は、他の業界にも広がり、ハラスメント防止の研修・トレーニングとして導入された企業もあると聞いています。知り合いのスタッフから「自分の参加しているNetflix作品では、毎回作品ごとにリスペクト・トレーニングをやり、現場で怒鳴る人はいなくなった。Netflix作品ではない別の現場に参加した時に、怒鳴る人がいて、そのことですごく嫌な思いをしている人を見たときに、これはいけないと思った」という話を聞きました。Netflix作品以外の制作現場にも、もっと届いていかないと業界は変わらないと思いました。このように、「リスペクト」という共通認識を持つことで変われた人がいて、それを実感してる人がいることもすごく大事なところなんじゃないかなと思います。
―― Netflix 製作の日本作品では、『全裸監督』以降に撮影された全ての作品でリスペクト・トレーニングが実施されています。忙しい撮影現場で、いつ実施していますか
基本的には、撮影のクランクインの 1 週間前に 2 回実施しています。2回やればどちらかに参加でき、必ず全員参加してもらえるためです。準備期間が長く、撮影前の時点で30人以上のスタッフが関わるような作品もありますので、その場合は4~5カ月前に準備期間のスタッフだけで実施することもあります。一番多くて 6~7回実施した作品もあります。現場から、「受けられない人がいるので開催してください」との声をもらうのは嬉しいことです。最初の頃に、実施をお願いすると、「忙しいので時間を作ることができません」と重要性を理解いただけないこともありました。
――何回も受講されるケースもありますか
1年以内なら受けなくてよいということにしています。でも1年以内にもかかわらず毎回受けてくださる方もすごく増えています。このトレーニングは「受けること」ではなく、「誰と受けるか」が重要だからです。一緒に働く人たちがどう考えているかを知ることが大切です。 毎回受講されるのは、受講者が開催回によって変わり、 「何を受けるか」よりも「受講者がどんなリアクションをしているか」 がすごく重要と感じてもらっているからだと思います。
監督もスタッフみんなが何を考えてるか知りたいと思い参加しています。監督自ら「知りたい」と思っていると行動で見せてもらうと、みんながついていきやすくなりますよね。リスペクト・トレーニングで監督が発言すれば、スタッフも監督の思いが分かるようになります。
――研修の時間をとるのが、そもそも難しい場合もあると思いますが
プロデューサーの意識だと思います。重要だと意識されてる人は時間を作ってくれますが、そうでない人もいると思います。
最近リスペクト・トレーニングが外に広がってるとお話ししました。とてもいいなと思う半面、"チェックボックス"になってしまうことを気にしています。トレーニングを実施したという実績が重要なのではなく、実際にやって、何を理解したかが大事だと思っています。
――小沢さんはアメリカでの撮影現場を経験されていますが、日米の違いはありますか
例えば、撮影セットを前にして監督が悩んでいる、ある運転手が通りかかり、「監督どうしたの?」と話しかけると、監督は「この登場人物の仕事の所作で悩んでるんだ」、すると運転手が「その職業を昔やったことがあるけど教えようか?」と言って、監督は「ぜひ教えてほしい」と返す。このような会話が起こるのがアメリカです。日本では、助監督であっても、「口を出すんじゃない」と言われてしまうことが結構あります。
意見を言いやすい場、雰囲気を作るというのはリスペクト・トレーニングが果たす役割の一つです。
文化の違いですが、日本はヒエラルキーがしっかりあって、監督が一番上で、下の層は監督としゃべることができない雰囲気があります。日本向けにローカライズするとき、今の日本に何が足りないかをすごく考えました。自分が上司に言えない、言えなかったという状況を打破するためにはどうしたらいいんだろう。自分の意見を言うように促すのが必要で、1回言うことができれば、次につながると思い、その踏み出す一歩を後押しすることがリスペクト・トレーニングの意義だと思っています。
――ハラスメント防止に果たした役割もありますか
とてもいい例があります。リスペクト・トレーニングが終わった後の現場を見に行ったことがあるんです。その際、部下の女性に対してプライベートなことで茶化した男性スタッフがいました。それを見た周りのスタッフが「それってちょっとリスペクト足りないのでは」と言うと、彼は「ごめんなさい。リスペクト足りませんでした」ってみんなの前で謝り、その後、みんなが朗らかに笑ったんですね。スタッフがまとまった感じになりました。もう一つ大事なのは多分、彼は今後同じことはしないと思うんです。そして周りの人たちもこういう時は「リスペクトがない」と言っていいと感じてくれたと思う。これがすごく大事だと思います。
みんながその場をシェアして、言ったことに対して、今のはちょっとまずいんじゃないかと指摘し、嫌な出来事を踏みとどまらせたことは、すごく大きいと思います。
このような輪を広げたい、それには仲間意識が必要と考え、4年前から、リスペクト・トレーニングを受講した人にバッジを配り始めました(=写真㊦)。問題だと感じたとき、一人では言いづらいけど、仲間がいたら発言できる場合がありますよね。その仲間の目印として、バッジがあります。撮影現場で、バッジをしている人同士、リスペクト・トレーニングで実践したのと同じように、意見をシェアし、必要なことをきちんと発言できる、そんなことを期待しています。
<受講者に配付されるバッジ 実際は500円玉サイズくらいの大きさ>
――あらためてリスペクト・トレーニングの意味を教えてください
コミュニケーションの基礎筋肉を養うことが目的です。「和を以て貴しとなす」「自分より他の方」が日本の文化だと思いますが、おかしいと思った時におかしいと言える世の中にしましょうということを示していかなくてはならないと思っています。他業種の方から導入したいという相談があった際も、ぜひどうぞと回答しています。
なぜなら社会全体に偏在する問題だからです。例えば10年後は、おかしいと思ったときにおかしいと言えることを普通にできる人たちがどんどん育ってほしいと思っています。そのために、同じ考えを持つ仲間をいかに増やしていくかだと思います。今は草の根ですけれども、それが増えれば増えるほど世の中が変わってくると信じています。リスペクト・トレーニングを受けても、次の日から変わることはないかもしれないけれど、5年後、10年後、どう変わるか。10年後に、リスペクト・トレーニングをあの時スタートしたから、やっぱり今は良くなっていると言ってもらえる世の中になってほしいので、映像制作の業界だけでなく、いろんな方に受けていただきたいなと思っています。
※記者がリスペクト・トレーニングを体験したレポートはこちらからご覧いただけます。