英国の放送ってどうなってるの?part2 ~ハード・ソフト分離のお手本?~「データが語る放送のはなし」㉑

木村 幹夫
英国の放送ってどうなってるの?part2 ~ハード・ソフト分離のお手本?~「データが語る放送のはなし」㉑

ご承知のとおり、日本や米国の地上波放送事業者は、基本的に、制作→編成→送出→送信の全てのレイヤーを自分で行う垂直統合型です。対して英国は、前回見たように、事業者によって程度に差はあるものの、多くのレイヤ―が分離され、他社と統合されている水平統合型です。今回は日本で特に関心がありそうな、送信と送出の部分を中心に、英国の放送の水平統合について、歴史的経緯、背景を含めてやや詳しく見ていくことにします。

なお、以下の大部分は、筆者とRussell Newcombe氏(FCI INC. London:当時)の共著による「英国における地上波放送のハード・ソフト分離~その経緯と現況」(『民放経営四季報2018夏』、2018年6月)をベースにしつつ、2019年に筆者が英国で行った現地調査と、その後の文献調査やオンラインでのヒアリング調査などで得られた情報をもとに改訂し、大幅に加筆したものです。

民放は当初よりハード・ソフト分離

BBCは1936年にテレビ放送を開始しましたが、その後96年までは、日本や米国の放送事業者同様、制作-編成-送出-送信を全て自身で運営するハード・ソフト一致型でした。英国で最初の民放テレビが開局したのは55年でしたが、BBCは自身が全英に張り巡らせた送信網を競争相手となる民放とシェアすることに難色を示しました。そこで、Television Act1954では、民放テレビの開始とともに発足する民放テレビ放送の規制監督機関ITA (Independent Television Authority)に送信網の整備とその運営を行わせることとしました。ITAは(公的な資金を用いて)BBCとは別に送信網を整備し、それを使って最初の商業テレビネットワークChannel3(ITV)が放送を開始しました。

このようにBBCとITAはどちらも公的な資金を財源としながらも、それぞれが送信網を整備して運用していましたが、1964年にUHF帯の利用が開始されたのを契機に、送信網の整備は両者による共建によって行われるようになりました。送信網の建設、整備だけでなくメンテナンスでも両者は協力し、コストはシェアされるようになります。

1980年代のサッチャー政権下では、公営企業民営化の機運が高まり、その潮流は90年のBroadcasting Act 1990に反映されました。IBA(72年にITAから改組)が所有・運営していた地上波民放テレビの送信網は、IBAがITC (Independent Television Commission)へに改組されるのに伴って民営化され、NTL (通称Transcom)が所有するところとなりました。NTLはその後、オーストラリアの投資銀行の所有などを経て、BBCやラジオを含む放送の送信網を一手に所有・運営する現在のArqivaへと繋がっていきます。

BBCはハード・ソフト一致から分離へ

ところで、民営化の要求はBBCが所有する送信網にも及びました。1996年にはBBCの送信部門が分離され、米国の通信ネットワーク運営会社であるCrown Castleに人員ごと売却されました。売却で得られた資金は、その80%がDTT(地上波デジタルテレビ放送)への投資用にBBCに残され、残る20%は政府に納付されてBBCの国際放送BBC World Serviceへの助成に充てられました。その後、Crown CastleはBBC送信部門を英国と北米でエネルギー事業を行うNational Gridに売却し、約2年後、同社はそれをArqivaに売却して現在に至っています。ちなみに、現在、Arqivaの筆頭株主(48%を所有)は、Digital 9 Infrastructure plc(DGI9)というロンドン証券取引所に上場している投資信託です。デジタルインフラへの投資に特化した投資信託会社で、海底ファイバー、データセンター、地上ファイバー、無線ネットワークなどに投資しています。

BBCの送信部門を分離して民営化した理由としては、当時の英国の産業全体の民営化の流れを反映したことに加え、BBCは中核業務である番組の編成・制作に専念してさらに競争力を高めるべきだという考えや、BBCが1998年のDTT開始に備えた資金を必要としていたことなどが挙げられています。売却先が米国の企業であったためあつれきや不都合も懸念されましたが、人員の移籍を伴う民営化のプロセス自体は比較的スムーズに行われ、BBCとの詳細にわたる取り決めの効果などもあり、送信網の運営上も不都合はなかったとされています。現在では、BBCの送信部門民営化は冗長系やバックアップシステムへの投資を増加させ、送信網の信頼性向上にも繋がったと考えられているようです。

マルチプレックス方式を取る英国のデジタル放送

図表1に英国の地上波テレビ放送(DTT)の仕組みを図で示しました。以下、それぞれの事業の概要について述べます。

連載㉑図表1.jpg

*Russell Newcombe作成

<英国の地上波テレビ放送の仕組み

●マルチプレックス事業者

英国のデジタル放送は、テレビ、ラジオともに、複数の放送事業者が同じ周波数帯を利用するマルチプレックス方式です。周波数に対するライセンスはマルチプレックス事業者が保有し、放送サービスを提供する事業者(本来の意味での放送事業者)は放送事業のライセンス(ブロードキャスト・ライセンス)を保有します。マルチプレックス事業者は同時に、マルチプレックス事業を行うためのライセンス(マルチプレックス・ライセンス)も別途必要です。

BBCはマルチプレックス事業も自ら行っているため、放送サービスのライセンスとマルチプレックス事業および周波数のライセンスの全てを所有しています。民放は基本的に放送事業のライセンスのみを所有しますが、ITVとChannel4、S4Cは、使用する周波数帯ごとに共同で運営するマルチプレックス事業者を共同で設立し、運営しています(Digital3&4)。Channel5やそれ以外の民放は、BBCのマルチプレックスやDigital3&4、ITVが運営するSDN、あるいは送信事業者であるArqivaが運営するマルチプレックスを利用しています。なお、マルチプレックス事業者は、PSBsの地上デジタルテレビ放送(DTT)チャンネルについては、(放送対象地域の)98.5%、それ以外の放送のチャンネルについては90%の世帯カバレッジを達成することをOfcomより義務付けられています。

●送信事業者(Transmission)

地上波デジタル放送の送信網は、テレビ、ラジオともにArqivaがほぼ独占しています。送信事業者は、放送事業者との間ではなく、周波数を保有し運用するマルチプレックス事業者との間で送信の契約を結びます。マルチプレックスを兼ねるBBCを除く放送事業者は、マルチプレックス事業者に対して送信のための費用を支払い、マルチプレックスを経由してArqivaへ支払いがなされます。従って、直接の契約関係はないものの、送信費用は放送事業者が、(資産に計上される)設備投資としてではなく、毎期の費用として負担していることになります。なお、Arqivaは自身もマルチプレックス事業を行っていますが、マルチプレックス部門と送信部門は厳格に会計の分離が行われているようです。

送信事業にライセンスは必要とされませんが、Arqivaは独占企業であるため、独占による弊害を排除する趣旨からその事業は公的機関により厳しく監視されています。英国の公正取引委員会に当たるCompetition and Market Authority (CMA)はArqivaの前身企業がBBCの送信網をNational Gridから買い取る際、2年にわたるレビューを行い、2007年に"Undertakings"と呼ばれる一連の厳しい条件を課して買収を許可しました。同時にCMAは送信事業をモニターするためにThe Office of The Adjudicator-Broadcast Transmission Services (OTA-BTS)と呼ばれる機関の創設を命じ、OTA-BTSはOfcomとともにArqivaが行う放送の送信事業を監視しています。

放送事業者・マルチプレックスとArqivaの間には、送信網整備や送信の信頼性確保のためにペナルティ条項を含む詳細に渡る長期的な契約が締結されています。マルチプレックス事業者が送信網の整備計画を変更したり、放送事業者が契約では想定していない技術上の対応を求めたい場合などは、リクエストに応じてArqivaが対応し、追加コストが発生すれば、最終的に放送事業者が送信料として負担することになります。

全ての送信設備(土地、鉄塔、送信機、バックアップ設備、電源機器等)はArqivaが所有し、運用、保守、点検もArqivaが行います。なお、Arqivaは地上波テレビ、ラジオだけでなく、衛星通信やブロードバンド通信の分野にも幅広く進出しています。

アナログからDTTへの移行時には、受信許可料を財源として政府からArqivaに資金援助がなされたこともありますが、今後についてはわかりません。英国では最近、地上波の送信網は、OTT(インターネットでの番組配信)に比べてコスト効率が悪いとの議論が持ち上がっており、Arqivaの株主や金融機関からも地上波放送送信網への投資を疑問視する意見が出されているようです。しかし、Ofcomでは現在までのところ、DTTの送信インフラをIP網に転換することについて正式に検討している兆候はありません。また、Channel3、Channel4、Channel5の次のライセンス(2025年より発効)が切れる34年までに、現在のDTTの地上波送信インフラ網が廃止される可能性はありそうにないと考えられています(もっとも35年以降については全く不透明ですが)。

●送出事業者(マスター業務 Playout Service)

英国の地上波テレビでは、マスターなどの送出業務も、BBC、民放ともに外部の事業者に一括して委託しており、Red Bee Mediaがそのほとんどを引き受けています。放送事業者は信号をRed Beeに送り、Red Beeに設置された放送事業者ごとのマスター設備から送信事業者(Arqiva)に伝送されます。

Red Bee Mediaは現在ではスウェーデンのEricssonが所有していますが、もともとはBBCの送出部門を母体にしています。BBCは2003年に送出部門を全体から切り離した独立部門にした後、04年に完全に分離して民営化しました。これは何らかの規制によるものではなく、コア業務(編成・制作)に経営資源を集中させることと、コスト削減を目的としてBBCが自らの意思で行ったものです。Red Bee(の前身)はもっぱらBBCの送出業務を手がけていましたが、その後、Ericssonが欧州で行っていた事業やITVの送出を請け負っていた会社がEricssonの資本の元に統合され、現在のRed Bee Mediaに至ります。送出業務にライセンスは必要なく、Ofcomの規制・監督権限は及びませんが、放送事業者との契約により、放送事故が発生した場合は、委託する放送事業者とOfcomの双方に詳細に報告することになっています。

Red Beeは西欧、北欧と米国、オーストラリア、中東で事業を展開していますが、英国内だけでロンドンに2カ所、イングランド北部に2カ所の計4カ所、英国の放送事業向けのマスター施設を運営し、BBCを始めとするPSBsは、それぞれ2カ所ずつの施設を利用しています。

Red Beeは地上波テレビ以外にも多くの衛星・ケーブルテレビのチャンネルやネット配信事業者の送出を受託しており、広いスペースにたくさんのディスプレイと卓が並んでいます(画像参照)が、主要な地上波テレビの場合、局ごとに独立した部屋(BBCやITVの場合は独立した建物そのもの)が割り当てられています。英国の番組編成では、番組と番組の間にコンティニュイティ・アナウンスと呼ばれる次回の番組や次の番組を紹介するアナウンスが入ることが多いのですが、それはRed Bee内で入れているとのこと。またスポーツやニュースなど直前まで編集する必要がある素材のための編集ブースもあるそうです。

なお、民放のCMサーバもRed Beeが運営していますが、CM素材は、当日のオンエア直前まで差し替えが可能とのことです。CMサーバは2カ所の施設に全く同じ素材を収容したものがあり、さらに各施設にメインとバックアップの2つのサーバがあって、緊急時に備えています。

連載㉑統合マスタールーム.jpg

*Red Bee提供

<Red Beeロンドン・ブロードキャスト・センターの統合マスタールーム

ITVはRed Beeを利用していますが、スコットランドのSTVは、現在でも自前のマスター設備を保有し、運営しています。また、BBCも全国向けおよびイングランド向けの放送ではRed Beeを利用しますが、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの地域局が送出する地域内向けの番組やニュースについては、それぞれ自前のマスター設備を利用するようです。しかし、それらも技術上は全てRed Beeの規格に準拠しているとのことです。

なお、Red Beeはプライベート・クラウドを利用した100%ソフトウェアベースのフルIPマスターシステムを実用化しています(=画像㊦)。

連載㉑ディスプレイとコンソール.jpg

*筆者撮影(2019年)

<Red Beeのソフトウェアベース・IPマスターシステムのディスプレイとコンソール

放送事業者の競争力強化のための水平統合

ハード・ソフト分離に代表される英国の放送事業の水平統合は、これまで見てきたように、中核業務である編成・制作への経営資源の集中による競争力強化の観点を重視して行われたものです。外部化して複数の事業者間で統合した方が効率的に運営できるものは、全て分離するという徹底した経済合理性に根差しています。

放送事業者の競争力強化を重視する背景には、英国の放送事業者が、言語を同じくする米国製の番組や米国の放送事業者による進出に対抗する体力をつけるためという理由が大きいと考えて良いでしょう。また、英国の地上波テレビはBBC、民放ともに、日本や米国とは異なり、全国放送が基本であるため、全国規模でのインフラ整備や送出業務の統合が比較的容易だったとも考えられます。このように英国の地上波放送の基本的な構造は、日米とはかなり異なるさまざまな背景を反映させたものといえるでしょう。

次回、part3では、英国の放送市場の現況や視聴者の動向を中心にお話しすることにします。

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