健康社会をつくるための協働とメディアの役割

秋山 美紀
健康社会をつくるための協働とメディアの役割

20代は仙台放送で主にニュース番組を担当していた。18時台のニュース番組のアンカーをしながら、毎日取材に出かけ、企画や特集も制作していた。そうした発信に対する反響や手ごたえを感じる中で、ローカル局の役割とは地域に暮らし地域を愛する人々に光を当て、その人々と手を携えながらより良い地域社会を創っていくことだという信念を持つようになった。折しも地上テレビ放送のデジタル化を目前に、ローカル局の役割が問い直されていた頃である。30代に入ってから英国の大学院でメディアとコミュニケーションについて学び直し、その後は、健康・医療のコミュニケーション(=ヘルスコミュニケーション)を専門とする研究者になった。今は、研究者そして実践者として、住民、行政、メディア等とも協働しながら、人々やコミュニティの健康とWellbeingを実現し、より良い社会をつくっていくことを目指している。

変革のためのヘルスコミュニケーション

筆者が専門とするヘルスコミュニケーションとは、人々の健康の維持・増進のための一つの手段であると同時に、組織・コミュニティ・社会の構成員がさまざまな健康課題に気づき、それを共有し、相互作用しながら、ともに手を携えていくというダイナミックなプロセスをも包含する。社会におけるヘルスコミュニケーションの担い手は、保健医療専門職はもちろん、一般住民や草の根の市民活動家、行政関係者、記者やディレクターなど多様な主体である。コミュニケーションの場も、対面、書面、ソーシャルメディア、マスメディアなどさまざまである。学問分野としても社会学、心理学、文化人類学、公衆衛生学、政策科学、福祉学、情報学などの諸科学を横断するもので、多様な実践と方法論がある。

メディアに対しては、特に保健医療の「専門家」と患者や住民など「一般の人」のコミュニケーションを仲立ちする役割への期待が大きいが、それだけではない。人々が自発的に健康行動を起こしやすいような情報発信や環境づくり、学びと支え合いのコミュニティの形成、さらに難しい病気を抱える人たちの代弁者、保健・医療・福祉・介護等の制度を変革するアドボケーターとしても、メディアだからこそ果たせる役割は大きいと考えている。

たとえば古巣の仙台放送では、2003年より20年にわたり東北大学の川島隆太教授と協力しながら、脳トレに関する番組を放送し、認知機能の低下を予防する脳トレの普及と啓発を継続している。筆者の後輩にあたる太田茂さんらの取り組みで、この「民放online」でも、2022年10月に記事が掲載されている。筆者がまだ現役だった1990年代初頭の仙台放送では、夕方のニュース番組で「シリーズ痴呆症」(注:当時はまだ認知症という言葉はなく痴呆症と呼ばれていた)という特集が組まれ、認知症の当事者の姿を通じて見える社会課題に鋭く切り込んでいた。まだ介護保険制度もなく、社会の中で認知症への理解は低く、社会資源やサポートもなかった時代である。認知症本人や介護者の姿を地元テレビが継続的に伝えることの反響は大きく、より多くの宮城県民が「自分ごと」として考えるようになったという変化を感じていた。2000年に介護保険制度が始まって間もなく四半世紀となるが、最近は認知症があっても幸せに暮らしていける、そんな世の中に少しずつではあるが近づいているように思う。これも全国各地のメディアが、人々の意識を変え、制度やサービスを発展させることに直接的・間接的に貢献してきたからだと考えている。

ミクロ・メゾ・マクロの要因に働きかける

人の健康に影響を与える要因は多元的で複雑である。図に示すように、最もミクロのレベルには、個人の特性があり、次に生活習慣などの個人の行動、そこに影響を及ぼす家族や友人、そして帰属する組織やコミュニティ、社会ネットワークといった要因、その外周に生活環境や労働環境があり、最もマクロなものには公共政策等がある。これらが全て健康に影響することを念頭に、私たちは健康課題を抱える人、その人を取り巻くコミュニティや社会、さらに健康政策や環境政策にも影響を与えるようなさまざまな働きかけを考える。具体的には、地域や職域等の環境を改善するためのコミュニティの組織化、健康リスクに関する法規制や健康増進に関わる政策形成に向けたヘルスアドボカシーなど、よりマクロなレベルでの活動を含むコミュニケーション戦略である。

秋山美紀氏 図表.jpg

<生態学的な健康概念(Ecological model of health)

※出典 Shortell et al.2004)を筆者が改変

特に社会の中での健康格差が注目される今日、単に正しい知識を伝えるだけでは問題を抱える人の状況は改善しないこともわかっている。知識はあっても行動ができないのは、行動を阻むものが存在するからである。たとえば生活習慣病やうつ病等の健康課題は、知識不足が問題なのではなく、家族形態の変化、働き方や職場のあり方、人とのつながりの希薄化といったさまざまな社会的要因が影響していることが、既に研究で示されている。特に健康上の課題を抱える人が行動を改善するには、知識の伝授と平行して、コミュニティを再構築しその課題対応力を育てていく活動や、社会通念や規範を変えて健康政策に影響を与える活動の必要性が認識されるようになっている。

わが国のヘルスコミュニケーションの研究や実践においても、これまでは保健医療の専門家が持っている知識を一般市民にうまく伝えることに焦点が当たっていた。今後はそれに加えて、情報を受け止めた一般市民が他者との相互作用の中でその意味を見出し、行動を実践し、それを周囲やコミュニティに波及させていく営みに注目していくべきと考えている。「啓発」「教育」という上から目線ではなく、住民が主体となる学びの場や支え合いの場を、コミュニティの中に作ることや、自発的な「学び」を支援し強化するような相互作用を、より意識していくことになるだろう。

健康社会の実現にメディアの力を

高齢社会、成熟社会における「健康」とは、身体や精神等の完全な状態を目指すことではなく、一人ひとりが人生の当事者として最期まで自分らしく生きていくことである。健康の実現は本人が主体となるべきであることはいうまでもないが、本人の努力だけではどうにもならないことも多い。ゆえに、課題を抱える個人だけでなく、その人を取り巻く家族や組織というメゾレベル、さらには国の制度や政策といったマクロレベルまでを視野に入れ、その相互作用を考えながら働きかける必要がある。言い換えると、対象者が抱える問題の原因をその個人に帰すのではなく、ピア(仲間)、コミュニティ(組織や地域社会)、システム(制度や仕組み)といった要素との相互作用を踏まえながら、実践を進めていくことが重要なのである。

まだまだ発展の余地がある領域は、メゾやマクロのレベルの相互作用に関する実践と研究である。ステークホルダーを動かし、コミュニケーションとそれ以外の戦略、例えば個々人の健康行動を維持できるようなインセンティブや環境の改善、あるいは地域資源へのアクセスの改善といったことを効果的に組み合わせることで、解決できる健康課題は少なくない。健康政策を好ましい方向に変えるために、ステークホルダーとともに行うヘルスアドボカシーは、今後発展が期待される領域のひとつである。

欧米の公衆衛生の専門職を育てる大学院の教育では、ヘルスコミュニケーションの隣接科目として、ヘルスアドボカシー、ヘルスジャーナリズム、コミュニティ参加型ヘルスリサーチといった実践的な方法を教授している。たとえば、ヘルスアドボカシーの授業には、健康政策を好ましい方向に変えるために、どのようなステークホルダーにどのような働きかけを行っていくべきかという戦略、マスメディアやソーシャルメディアの活用法、プレスリリースの出し方といった具体的な戦術までが、その内容に含まれている。医療や公衆衛生の専門家と、メディアの専門家との協働も活発だ。たとえば、メディアスタディーズで有名な南カリフォルニア大学のアネンバーグ校のHollywood Health and Societyは、ハリウッドの制作者たちが、エンタテインメント作品の中での医療やヘルスケアに関してタイムリーで正確に伝えらえるよう、CDC(米国疾病予防管理センター)も含め多様な主体とパートナーシップを組み、さまざまなプログラムを展開している。

この分野は、日本が欧米諸国に比して遅れている領域であるが、国内でも少しずつ興味深い取り組みが始まっている。たとえばメディアが書く医学記事の質を向上させるために医療の専門家とメディア関係者がチームを組んで記事を評価する「メディアドクター研究会」は、オーストラリア、カナダ、米国、ドイツに続いて、日本でも活動が始まっている。また、「メディアと医療をつなぐ会~Be Creative for Health~」では、メディアが制作するドラマ等の番組で人々の健康・ウェルビーングへの意識や態度、行動に変革をもたらそうと、メディアのプロフェッショナル、医療やヘルスケアの専門家、ヘルスコミュニケーションの研究者らがともに学び合い知見を共有している。

今後はさらに、ジャーナリストやマスメディア関係者と、保健医療や公衆衛生の専門家とが手を携え、人々の健康とWellbeingの実現に貢献していくことを期待する。

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