コロナ禍の経験をどう活かすか 検証すべき時はいま~塚田祐之の「続・メディアウォッチ」⑬

塚田 祐之
コロナ禍の経験をどう活かすか 検証すべき時はいま~塚田祐之の「続・メディアウォッチ」⑬

「熱っぽいので病院で検査をしてもらったらコロナの陽性だった」。
昨年7月、新型コロナウイルス感染拡大の第7波がピークにさしかかった時、2日前に食事を共にした知人から突然のメールが届いた。

私は特段体調に変化がなかったが「念のために」と考え、東京都が実施していた駅前PCR検査を受けてみた。結果が届いたのはその日の深夜だ。ショートメールで陽性だったことが告げられた。
「まさか」と思ったが、その頃からみるみるうちに体温が上がり始めて39度に達した。同時にのどに激痛が走り始めた。

急いで、東京都の発熱相談センターに電話をして、自宅から歩いていける距離にある2つの病院を紹介してもらった。朝を待って電話したが、いずれも予約がいっぱいで、きょうも明日も診察できないと断られてしまった。

しかたがないので、自宅にこもって横になっていたが、39度の熱はなかなか下がらず高熱が3日半続いた。その間、食欲もなく、水だけでもなんとか飲もうとしたが、体が一切受け付けなかった。まるでのどの奥に魔物が住んでいて、入ってくるものをすべて弾き飛ばしてしまうような感覚が続いた。

長く不安な時間を過ごしていた間、次々に疑問が浮かんだ。
なぜ、ワクチン接種を受けていたのに、こんな厳しい症状が続くのか。大丈夫だろうか。
医療のひっ迫状況はわかっているが、税金を使ったPCR検査で陽性と判定されても医師の診察が受けられないため、感染者として認定されず、医療的なサポートが全く受けられないのはなぜか......。
実感したのは、国や自治体のコロナ対策が、いかにその場限りの部分的なものにすぎなかったかということだ。

一方でメディアは、夕方4時45分になると競って「東京都の新規感染者数」のニュース速報を連日続けていた。私のように症状があっても感染者数には含まれない人がいるのに、1秒を争って数字を速報する意味は一体何なのか。
メディアはだれの役に立つ報道をしているのだろうか。

高熱が下がり、のどの痛みが収まったあと、数日間は味覚障害が残ったが、なんとか体調は回復できた。わずか数日間で体重は5Kg減っていた。

社会の脆弱さが問われ続けた3年4カ月

国内で初めて新型コロナの感染者が確認されたのが2020年1月。それから3年4カ月が経過した。

「最低7割、極力8割、人と人との接触機会の削減を」。政府の専門家会議が提言し、緊急事態宣言が発令されると街中から人影が消え、これまでの社会生活がことごとく一変した。
オフィスへの通勤が前提だった働き方は、自宅等でのテレワークやリモートワークへと一気に進んだ。その一方で、人の往来に依存していた飲食業界、交通関連業界をはじめ、多くの産業が大きな打撃を受けた。

政府は矢継ぎ早にさまざまな対策を打ち出したが、迅速な対応が求められるあまり、目的が明確ではなく効果が疑問な政策や、制度設計のずさんさ等も目立ち多くの課題を残した。

収入が半減した中小企業や個人事業主らに支給した「持続化給付金」をめぐっては、事業の委託構造の不透明さや不正受給が続発。所管する経済産業省の若手官僚が持続化給付金と家賃支援給付金を詐取したとして実刑判決を受ける事態まで起きている。

デジタル化の遅れも露見した。医療現場がひっ迫する中で、医療機関は当初、120項目にも及ぶ感染者の情報を発生届に記入し、ファクスで送る作業に追われた。その後、ようやく新たなシステムが導入され、項目数を絞って報告する方式に変わった。それまでは何のための発生届だったのか。集まった情報が活かされていたのだろうか。

感染者と接触した可能性をスマートフォンに知らせるアプリ「COCOA」も、システムの不備で通知が届かない等の批判を浴びた。しかし、そもそも個人情報の問題から感染者の入力数が限られており、最初から所期の目的を達成できるシステムだったのか。

こうして積み上がった政府のコロナ対策予算は、2019年度から21年度だけで、総額が94兆4,920億円にも達している。

コロナ禍で浮き彫りになった社会の脆弱さはどこに起因するのか。
私は「日本社会のあいまいさ」にあるのではないかと考えている。何のために、だれのためにという目的を明確に定めず、正確な情報やデータに基づいた冷静な判断よりもその時々の雰囲気や状況が優先され、なんとなく対応していってしまうという姿勢にあるのではないか。その結果、優先順位も決められず、責任も不明確であいまいのままだ。

これはいまの政治が抱える大きな問題だけではなく、メディアが媒介する「国民世論」の問題でもある。

コロナ禍で問われたメディアの役割

メディアの重要な役割は、正確な情報をきちんと伝えることだ。
新型コロナウイルスが確認された当初、"未知の見えない脅威"に対する人々の不安から多くの誤った情報やデマが氾濫した。インターネットのSNSを通じて偽情報やウワサが瞬く間に拡散していった。

こうした時に求められたのが、リアルタイムで多くの人々に同時に正確な情報を伝えることができる放送の役割だ。事実を確認する「ファクトチェック」の役割も求められた。
放送はこうした期待にきちんと応えられたのか。

2020年5月、総務省は緊急事態宣言が出されていた期間に「新型コロナウイルス感染症に関する情報調査」を行った。17項目の間違った情報を見たことがあるか、信じたかという調査だ。
その中の一つ「トイレットペーパーは中国産が多いため、新型コロナウイルスの影響で不足する」について、「正しい情報ではないと思った・情報を信じなかった」が63.2%、「正しい情報だと思った・情報を信じた」が6.2%と、多くの人が「信じなかった」と答えていたが、現実には全国の店頭からトイレットペーパーが姿を消した。

NHK放送文化研究所が、この情報を最初に見聞きした「情報源」を調査した結果がある。「テレビ・ラジオ」と答えた人が37%、「ツイッター」が11%などとなっている。

テレビのワイドショーや情報番組は、「インターネットで話題になっている」としてこの情報をたびたび取り上げた。
番組の中では、トイレットペーパーは国産が98%であり、情報が間違っていて「根拠がない」と伝えてはいたが、店頭でトイレットペーパーが消えた映像が繰り返し流されると買いだめが加速していった。
さらに重ねて、「テレビが取り上げていた」としてSNSで話題になり、誤った情報がさらに拡散していった現実がある。(「フェイクニュースの生態系に呑み込まれるテレビ」2021.9.24 参照。)

テレビとインターネットの間を情報が還流するうちに、事実が間違った方向に展開してしまう危険性をはらんだ時代だ。伝えることと、伝わることの違いをきちんと意識することが求められている。

5月16日、NHK『ニュースウオッチ9』の最後の1分間、キャスターがおわびの放送を行った。前日の番組で、新型コロナウイルスのワクチン接種後に家族が亡くなったと訴えている人たちの発言を、コロナ感染で死亡したと受け取られるように伝えてしまったという。
なぜこうした放送が出てしまったのか。ワクチン接種については、安全性をめぐるさまざまな意見がある。正確な情報をきちんと伝えることが、放送の最大の使命だということを、あらためて肝に銘じてもらいたい。

放送は、コロナの経験をどう活かしていくか

WHO(世界保健機関)は5月、3年余り続いた新型コロナ感染症「緊急事態宣言」の終了を発表した。感染者は世界で7億6,500万人、死者が692万人以上に及んだという。

WHOは「パンデミック(世界的な大流行)」と表明してきたが、日本の放送は、地球規模の感染症にもかかわらず、国内の情報に終始していた感が強い。その結果、政府や自治体が発表する日々の感染者や死者数をもとに専門家がコメントするような番組ばかりが目立った。

世界的な規模で何が起きているのか、一部のワールドニュース時間を除くとなかなか知ることができなかった。ロックダウンが続き、現地取材ができない事情もあったが、視聴者がスマートフォンで日々記録できる時代だ。

リモートで世界中の人々とも手軽に意見交換ができる。"世界の知"に直接インタビューし、解決に向けた知恵を出し合うこともできる。世界の現状や新たな動き、多様な視点も見えてくる。一緒に歌うこともできる。コロナ禍の経験から多くを学んだ。

人々の移動が制限されている時こそ、人と人とを共感の輪でつなぐ、放送だからできる広場の役割があるはずだ。
"内向きな発想"から飛び出そう。それがコロナ禍の経験を活かす一つの教訓ではないか。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざがある。「鉄は熱いうちに打て」ということわざもある。コロナ禍3年4カ月の記憶が鮮明ないま、次に活かすための検証をきちんとすべき時だ。
そのためにメディアが果たすべき役割は大きい。

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