戦後77年――。民放テレビ各局が2022年に制作した戦争関連の特番や特集について、民放onlineは地上テレビ社にアンケートを実施した。76社から寄せられた回答の一部を複数回にわたって紹介していく。今回は2回目(第1回はこちら)。太平洋戦争の体験者やその子・孫を取材し、戦争の悲惨さを伝える事例が多くみられた。特徴的な4社を紹介する。
岩手朝日テレビは地元に特攻の出撃基地があったことを伝えるべく、テレビ朝日系列局が週替わりで制作するドキュメンタリー番組枠「テレメンタリー」で『私の見るもの~最北の特攻出撃基地~』を、同社では8月30日に放送した。太平洋戦争末期、岩手にかつて存在した通称・後藤野飛行場で若者たちが特攻隊員として従軍していた。その一人だった出谷三治さんは当時、戦友たちの姿や飛行場の様子をカメラに収めており、今も多くの写真が残っている。番組では、出谷さんの孫である木村萌恵さん(=写真㊤)に密着。出谷さんの影響でカメラを始め、大学院では祖父の戦争体験を研究テーマに選んだという木村さんが、祖父のカメラとともに飛行場を訪れて祖父の体験をたどった。
また、特攻出撃基地の真相に迫るべく、関係者の証言も取り上げた。終戦間際の1945年8月9日に飛行場から飛び立った3人の若者が、機体の整備不良により命を落としたことなどが明らかとなった。ディレクターを務めた岸英利アナウンサーは「岩手に特攻があったことを知る人は県内外でも少ないと感じており、その事実を伝えたかった」と語った。2020年のローカル特番でもこの件を取り上げており、関係者の音声テープをもとに飛行場で起こった事実を紐解いた。
今回は取材映像だけでなく、出谷さんや木村さんが撮影した写真・映像などが多くあったことから、岸アナウンサーは「写真や映像が少なく画づくりに苦労する戦争関連の取材だが、今回はたくさんの素材があり取捨選択に苦労した」と話した。視聴者からは「特攻の話を聞いたことがなかった。戦争を知らない子どもにも見せたい」などの反響があったという。
父を戦争で亡くした女性の記憶を取り上げたのは日本海テレビ。6月5日に『イチスぺ!「ごぼうと鉄砲」』を放送した。番組を担当した中海圏報道制作部の伊藤裕介氏が、島根・雲南市に「この鉄砲が牛蒡(ごぼう)であったらナー......」と刻まれた石碑があると知ったことが企画のきっかけ。石碑は、父を日中戦争で亡くした田中初恵さんが建立したものだった。田中さんは、父・景山龍一さんの遺品として90通の手紙を残しており、その言葉や遺志を後世に伝えようと石碑に刻んだという。景山さんは、農業に従事したかったが戦地に行かざるを得なかったという背景から、この言葉を手紙に記した。
田中さんの子どものころの体験や手紙をもとに、多くの若者が犠牲となる戦争の現実を見つめ直した。伊藤氏は「日中戦争期に書かれた文章を読むのは初めてだったので、最初は解読できない文字などがあり苦労した」とコメントした。
遺品の中にあった書籍『戦士の記録』の著者の白神尚彦さん・敏子さん夫婦にもインタビューした。同書は、雲南市から戦地に赴いた1000人以上の日本兵についてまとめられており、番組では白神夫婦の視点から見た戦争の悲惨さも伝えた。放送後、戦争で亡くなった父の遺品を整理したという男性から、『戦士の記録』に似た戦没者の記録を発見したとの連絡があり、8月に特集化に至った。
<田中さんと石碑>
テレビ愛媛は8月15日、夕方ワイド『EBCライブニュース』で、戦争の記憶をノートに書き記した96歳の男性を特集した。ウクライナ侵攻をきっかけに、平和を考える企画を検討していたところ、ノートに当時のことをメモした桧垣静男さんがいると分かった。桧垣さんは数年前に孫から自身の戦争体験を記録するよう提案があり、2冊のノートにまとめたという。
記されていたのは、飛行学校で訓練を受けた後に偵察機の操縦士として朝鮮に渡った体験や、終戦後に目撃した女性への性暴力、子どもへの被害について。取材は編成局長の片上裕治氏と今治支局の宮本征治記者が担当。片上氏は「桧垣さんの記憶と、これまでに書き記したノートを照らし合わせ、あいまいな記憶ではなく確かな事実を拾い上げることを意識した」と、取材の過程で留意したことを明かした。
「FNNプライムオンライン」でもテキスト記事を掲載し、2022年12月末時点で30万PVのアクセスがあった。片上氏は「ノートに整理されていて話す内容に具体性があることから、興味をもってもらえたのでは」と話す。また、ニュースを知った米政府関係者から、今治市役所を通じて桧垣さんに問い合わせがあったという。片上氏は「戦後80年やそれ以降に向け、今回放送した内容以外の話も記録した。貴重な素材としてアーカイブし、今後の放送に役立てていきたい」と展望を語った。
<ノートに丁寧に書かれた桧垣さんの記憶>
テレビ金沢は、夕方ワイド『となりのテレ金ちゃん』でトキの保護活動の第一人者である村本義雄さんの戦争体験に迫った。これまで村本さんを取材したことは複数回あるが、いずれもトキについてで、戦地での経験を取り上げたのは初めて。取材を担当した報道部の荒谷友博氏は「保護活動のイメージが強い村本さんから『18歳で陸軍へ志願して戦地に行った』と聞いて驚き、話をうかがいたいと思った」と明かした。
戦場での体験や、終戦後に中国軍の捕虜となった経験などが、村本さんの活動のきっかけだと分かった。村本さんは仲間や敵兵の遺体を目の当たりにしたとき、「あの姿を見たら二度とこんな戦争はやるべきでないと思った」と話している。視聴者からは「村本さんにこんな過去があったとは知らなかった」「事実と言葉を脚色することなく伝えているのがよかった」といった意見があった。
今年2月24日には特番『朱鷺とともに~97歳 信念の翼~』を放送し、村本さんのこれまでのトキの保護活動や思いなどを伝えた。荒谷氏は「地元・能登でのトキ放鳥に向けて機運が高まる中、保護活動に生涯をかけた人がいることを視聴者に知ってもらいたい」と話した。
<石川護國神社にある遺品展示室を初めて訪れた村本さん>