山口朝日放送・高橋賢さん 戦争の空気に覆われる前に【戦争と向き合う】⑦

高橋 賢
山口朝日放送・高橋賢さん 戦争の空気に覆われる前に【戦争と向き合う】⑦

シリーズ企画「戦争と向き合う」では、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていきたいと思います。

第7回は山口朝日放送の高橋賢さん。人間魚雷「回天」とウクライナ人への取材を紹介しながら、戦争とは何なのかを考えます。(編集広報部)


「なぜ、戦争の取材をするのですか」――こう何度も問われてきた。その答えは自分でも明確には持ち合わせていない。1970年生まれの私には、日本で戦争があったということをリアルに感じることができなかった。自分が生まれ育った平和で繁栄した日本と、空から爆弾が落ちてくる日本というものが、同じものに思えなかった。それでもこの国で間違いなく戦争があったのだ。私の戦争取材とは、未知なるものを知りたいという好奇心から始まったと思う。ただ、取材を重ねても、私にとって戦争とは歴史上の出来事であり、今につながる意識はほとんどなかった。ところが、ここ数年で「空気」が変わってきた。戦争が過去のものではなくなってきているような気がする。

 「回天」をめぐる取材から

山口県周南市大津島には、太平洋戦争末期、人間魚雷「回天」の訓練基地(冒頭写真)があった。2019年制作の『回天 二つの心』は、ある回天搭乗員が出撃前に録音していた声の遺書を紐解く番組だ。声の主は学徒出陣で回天搭乗員となった塚本太郎さん。約2分半の肉声は前段と後段で大きく様相が異なる。前段では「僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ」と、現世への未練を述べている。後段では打って変わり、「われわれ青年は余生の全てを祖国にささぐべき輝かしき名誉を担ったのだ。全てを乗り越えてただ勝利へ、ゆくぞ、やるぞ」と出撃への決意を表明する。肉声には普通の青年が、特攻兵士に豹変するさまが謳われていた。やがて、塚本さんは回天で出撃し、21歳で生涯を終えた。

私は番組の最後を、次のコメントと前段の肉声で締めくくった。

【コメント】
「いつまでもみんなと暮らしたい」
「国のために命をささげよう」
二つの心を持たなければ、生きていけない時代がありました。
大津島の海からは今、本当の叫びだけが聞こえてきます。

【肉声】
「こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。
喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって」

放送後、視聴者からこのシーンについてご批判をいただいた。「塚本さんにとって、二つの心は両方とも本当の叫びだったはずだ」と。しかし、私には後段の「特攻兵士」の心は理解できなかった。国のために命を捧げるという行為が理解できなかったのだ。

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<回天搭乗員・塚本太郎さん>

回天をテーマとして2022年に『回天と100人の棺桶』という番組も制作した。回天を搭載する潜水艦の乗組員だった2人は、毎年春に大津島を訪れ、回天搭乗員の慰霊祭を開いている。元乗組員の一人、中村松弥さんは、潜水艦から回天への伝令役を任されていた。回天搭乗員たちは出撃するにあたり、「お世話になりました」「ありがとうございました」「天皇陛下万歳」などの言葉を残して発進していったという。その最後の言葉を聴いていたのが中村さんだ。中村さんによると、出撃するまで回天搭乗員が感傷的になることはなかったという。では、出撃を伝令した中村さんの心境はどうだったのか。「感情的なものは一切湧いてこなかった。ただ間違いがないように、艦長の指示を確実に伝えるだけ」と話した。また中村さんは「わしら潜水艦に乗ったら命はないもの。100人の棺桶に乗っているようなものだった」と話す。「100人の棺桶」という番組タイトルはここからいただいた。もう一人の潜水艦乗組員、清積勲四郎さんも「回天も潜水艦も死ぬのは一緒。回天搭乗員だからといって特別な感情も持つことはなかった」という。

ここで困った。取材のテーマは戦争の悲劇を繰り返さないことだ。中村さんと清積さんから戦争を否定するような言葉を引き出したい。ところが2人からそのような言葉は一向に出てこない。「戦争に行って死ぬのが当たり前だと思っていたから、死ぬのが怖いと思ったことはない」「当時の世の中に疑問を感じるとか、そんなことは考えたこともない」などと2人は口をそろえる。戦争を当たり前のものとして受け入れている2人がいた。

そのほか「戦後掃海」「朝鮮戦争」「ベトナム反戦運動」など戦争に関する番組をいくつか制作してきた。膨大な資料を調べ、数多くの証言者から直接話を聴くうちに、多少は戦争を知った気になっていた。しかし、それが過信だと痛感させられる事件が起きた。ロシアによるウクライナ侵攻だ。

現在進行形の戦争

ウクライナ人の古谷ニーナさん(29)は、日本人の夫と山口県で暮らしている。侵攻後、ウクライナの母親がニーナさん夫婦の家に避難してきた。ウクライナには父親と弟が残っている。弟は志願して軍に入り、戦場で重傷を負った。54歳の父親は今年に入ってから兵士の訓練を受けた。戦地へ赴く日も遠くないという。私は約1年半にわたってニーナさん一家の取材を続けている。ニーナさんのロシアへの怒りはすさまじい。「何の罪もないウクライナ人を殺して、街を破壊して、ロアシ人はただではすまさない」と憤る。さらに「私もウクライナに帰って、兵士として戦いたい」と息を巻く。

侵攻から2年の節目に、ニーナさんの弟にリモートでインタビューすることができた。「戦争が長引き、ウクライナ人は戦争に慣れてしまった。兵士も同じ。当初は仲間が死ぬと悲しんだり、落ち込んだりしていたが、今は何も感じなくなった」という。

私はニーナさんに問うた。「今最優先なのは停戦ではないか。そのためには多少の譲渡も必要なのでは」。ニーナさんは「日本は戦争で負けたが、国はなくならなかった。ウクライナは負けると国がなくなってしまう。ロシアは信用できない。停戦してもいつかまた侵攻してくる。勝つしかない」と、あくまで抗戦の姿勢を崩さない。

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<日本在住のウクライナ人・ニーナさん㊧と母・スヴィトラーナさんを取材>

先ほど「多少は戦争を知った気になっていた」と書いた。しかし、それは全て過去の戦争のことだった。ニーナさんは日本にいながらも、現在進行形の戦争の中にいる。私もニーナさんを取材し、初めて戦争をリアルに感じた。国がなくなるかもしれないのが戦争なのだ。私が理解できていなかった回天搭乗員の塚本さん、潜水艦乗組員の中村さん、清積さんたちの死をいとわない心境は、そういう状況下で生じたものだった。

今なら間に合うことを

日本とウクライナとでは開戦に至る背景が全く異なるものの、戦争が始まった国では、「勝利のために」という一方向に世論が向かう。それは同調圧力をも超えた「空気」のようなものではないだろうか。意識せずに吸ったり吐いたりする当たり前のもの。それが空気だ。戦争は空気、取材を通じてそう痛感した。

日本国民は先の大戦での敗戦以降、ずっと戦争の空気を嫌悪してきた。国が戦争の気配をのぞかせたら、メディアは真っ向から対抗してきた。

しかし、今はどうだろう。私はコロナ禍でこの国を覆っていた空気感に、一抹の不安を感じた。皆が一斉にマスクをし、一斉にワクチンを打ち、"マスク警察"が跋扈した。マスクやワクチンの効果に対する疑念は封殺されていなかったか。「コロナと戦争を一緒にするな」とよく言われる。確かにその通りだ。ただ、日本人は時代を覆う「空気」に抗うことが苦手な国民ではないかと感じる。われわれメディアを含め。

 ロシアのウクライナ侵攻後、日本はもっと防衛力を強化すべきという世論が空気となり、あっという間に防衛三文書が閣議決定された。反撃能力という敵基地攻撃能力の保有も国是となった。その空気に抗う声はノイズ程度でしかない。もし、戦争が始まれば、戦局や国民の戦意にマイナスの影響を与える言論が抹殺されることは目に見えている。そうならないために今ならまだ間に合うことは何か。メディアの一員として常に考えていきたい。

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