テレビ新広島・吉村美紀さん "被爆地・広島"を知ってもらうために【戦争と向き合う】⑧

吉村 美紀
テレビ新広島・吉村美紀さん "被爆地・広島"を知ってもらうために【戦争と向き合う】⑧

シリーズ企画「戦争と向き合う」は、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていく企画です。
第8回はテレビ新広島(TSS)で著作権やアーカイブを担当する吉村美紀さん。原爆をテーマにした番組を活用し、被爆者の証言に英語字幕を付けて世界に配信する「TSSアーカイブプロジェクト」を紹介いただきました。(編集広報部)


私たちがいなくなったら、誰が語るの?

テレビ画面の向こうから、被爆者が真剣な目で語りかけます。その言葉を聞くたびに、私はいつも、心の中で、こうつぶやくのです。
「被爆者である、あなたが語るのです。あなたの声や姿を、私たちが未来に伝えます」と。

2025年に被爆80年を迎える広島。「あと数年で被爆者はいなくなる」。この現実を前に、被爆地の報道に携わる私たちの心は焦ります。1945(昭和20)年8月6日午前8時15分。およそ35万人が暮らす街に落とされた原子爆弾は、すべてのものを焼きつくしました。

 「被爆70年の企画を考えてくれ」

2015年の春、突然、上司から声をかけられました。「被爆70年に関する企画を考えてくれ。ジャンルは問わない」と。

私は著作権やアーカイブの担当者で、企画書なんて書いたことがありません。母方の親族や母は被爆者で、幼い頃から広島の学校で平和教育を受け、毎日、テレビからは平和関連ニュースが流れ、祖母から原爆の話を聞いて育った私にとって、「原爆」や「平和」はあまりにも日常の出来事で、被爆地の放送局にいるにもかかわらず、何も思いつきませんでした。

必死に被爆に関する情報を調べ、何とか手探りで、『ひろしま百景~被爆70年・奇跡の街~』というミニ番組の企画書を書き上げました。被爆後、歴史の表舞台に出ることなく、絶望の中から‟平和都市ヒロシマ"をつくりあげた、名もなき人たちへの感謝を込めた番組でした。放送後、このまま倉庫に眠らせるのはもったいないと思い、留学経験のある後輩や制作経験豊富な先輩方に助けていただき、小規模ながら、初めて英語版の世界配信を行いました。

広島では、被爆70年を機に、NHK広島放送局と在広民放が協力して、各局が制作した核・平和関連番組を上映するイベント「NHK・民放番組上映会~テレビが記録したヒロシマ~」が始まりました。このイベントには、広島在住の方をはじめ、国内外の観光客が来場します。期待して客席を見ていましたが、日本語版の上映だったため、外国人観光客は、すぐに会場から出ていってしまいます。

来場者アンケートには、「英語字幕をつけてほしい」「知ることはとても大切。配信で若い世代へ継承してほしい」等が書かれており、英語版制作や配信が求められていることを痛感しました。

毎年8月に広島平和記念資料館で開催されるこの取り組みは、現在も続いており、英語版を含め、各局の見ごたえのある番組が、多数上映されています。また、YouTubeでは、「ヒロシマからのメッセージ 原爆の記憶と記録」という在広民放共同の平和動画サイト(こちらから同サイトに遷移します)も実施しており、各局、活発な情報発信を行っています。

原爆投下年月日を知らない?!

被爆70年にはNHKが全国で原爆意識調査を実施し、「広島・長崎への原爆投下年月日を正しく答えられたのは、およそ割だった」という報道に衝撃を受けました。被爆の実相を伝えないといけないのは、海外だとばかり思っていましたが、国内にも知らない人が数多くいたのです。

「毎年制作する原爆特別番組を、本格的に国内外に配信してはどうか。でも、英語の知識も編集技術もない自分にできるはずがない。無理だ、諦めよう......」と思った瞬間、被爆して亡くなった祖父を、ふと思い出しました。祖父は、8月6日の朝、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)へ向かうために乗った電車の中で被爆しました。結婚して3年。29歳。愛する家族に見送られて仕事へ向かう、いつもと変わらぬ朝でした。

「本当に、それでいいのか?」それは、亡くなった祖父や被爆者の方々の声なのか、倉庫に眠っている映像たちの"声なき声"なのかは、わかりません。その言葉が、静かに心に広がりました。「できることから......やってみよう」

こうして、「Hiroshima Peace Program TSSアーカイブプロジェクト」は始まりました。

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<1942年に結婚した祖父(当時26歳)と祖母(当時20歳)
広島市中区三川町にあった祖父の実家の山田旅館で挙式>

被爆地の放送局の使命として

2018年から開始した同プロジェクトは、"被爆地・広島"を知ってもらうため、原爆をテーマにした報道特別番組やミニ番組、被爆者証言に英語字幕を付けて世界配信をする、平和推進プロジェクトです。世界中の方々に原爆の恐ろしさを知っていただき、映像の力で平和な世界を実現することを目指しています。

同時に、紛争によって街が破壊され、愛する人たちを失った方々にも、戦禍を乗り越え、緑に包まれた現在の広島を観ていただくことで、未来への希望を見いだしてもらいたいという、祈りと願いを込めています。紛争で瓦礫と化した街が、被爆直後の広島の風景と重なって見えたからです。

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<「Hiroshima Peace Program TSSアーカイブプロジェクト」では
英語字幕付きの番組やニュースを100本以上公開中(特設サイトはこちら)>

大切なのは、戦争や原爆の被害について、興味のない人たちに知ってもらうことだと思い、公式サイトのデザインは明るめにして、文章もあまり難しいことを書かないようにしました。サイト冒頭には、広島と長崎の原爆投下年月日も表示しています。

何かのきっかけで、少しでもこのサイトを見てくださったら、いつか争いが起こりそうなときに、「そういえば、原爆のサイトがあったな」とか、「戦争はいやだな」とか、思い出してくださるかもしれません。同プロジェクトは、‟平和について考えるきっかけを作るサイト"でもあります。最近では、日本語字幕も併記し、高齢者や聴覚障がい者の方にもご視聴していただきやすい工夫をしています。

番組の二次利用は とても大変

原爆特番のような大型の番組になると、多くの国内外の素材や音楽などがあるため、配信を行うための権利確認や申請作業に大変苦労します。昔の番組は、ほとんど権利情報が残されておらず、さまざまな著作物や肖像を利用するためには、高度な法律知識と経験が必要です。正解がない中、日々、試行錯誤をしながら制作しています。

また、取材対象者も、時間がたつと生活環境や考え方が変わり、「もう使わないでほしい」という方もいらっしゃいます。被爆者だけでなく、アメリカ人の方や、旧ソ連の核実験場があった地域の方など、さまざまな理由で利用を断られるのです。これは、取材対象者やその家族が受ける差別や偏見への恐れだけでなく、「つらい記憶がよみがえるから」という、取材対象者自身の心の問題もあります。利用できないシーンは、泣く泣く諦めるのですが、最悪、番組自体が、二度と利用できなくなることもあります。

この企画は、世界配信だけでなく、平和教材としてさまざまな利用をしますので、基本的に、音楽は、すべて著作権フリーの音源に差し替え、ナレーションは、自社のアナウンサーで読み直して再編集をします。翻訳も、戦争や核に関する文言は専門的で難しく、数秒でそのシーンの趣旨を伝えるための高度な翻訳技術が必要なため、毎回、完成までに時間がかかります。番組の二次利用は、大変な労力と費用がかかるのです。

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細かい修正が入る日英台本 特別番組の場合、日英字幕は約600枚にもなる(写真㊧)。著作権フリーの音楽や自社のアナウンサーのナレーションに差し替える(写真㊨)

TSSアーカイブプロジェクトを自社の文化に

当社では、毎年、知られざる貴重な情報を丁寧に取材し、8月6日に特別番組として放送しています。今年は、被爆体験伝承者に関する番組を放送する予定です。みんなが苦労して制作した番組が、放送後、倉庫に眠ることなく、英訳され、世界に向けて配信されるこの仕組みは、当社の文化になりつつあります。

このプロジェクトを始めてから、広島原爆のことに詳しいネイティブの翻訳家や各分野のプロフェッショナルの方々が次々と協力してくださり、現在では、日本をはじめ、核保有国、オーストラリア、韓国、タイ、スペイン、カナダなど、世界中から視聴されています。

2022月からは、ロシアによるウクライナ侵攻に関する広島のニュース配信を開始し、2023年度は、当社と大学が共同で被爆証言を英訳し、被爆の実相を世界に伝える「次世代継承プロジェクト」を、被爆地にある広島大学、長崎大学と協力して実施しました。

2024年1月からは、この継承プロジェクトがアメリカ・アイダホ大学の公式教材となり、今後、毎年実施されることになりました。参加した学生からは、「忘れられない経験になった」と好評です。また、このプロジェクトに参加した学生たちの代表が原爆の日に合わせて広島を訪れ、学生たちが英訳した映像を広島市内で上映し、国内外の観光客に観ていただくイベントも実施する予定です。

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<「次世代継承プロジェクト」の授業風景(アメリカ・アイダホ大学)>

2024年秋からは、アメリカ・ニューヨークにある大学の歴史学の教材として、「TSSアーカイブプロジェクト」の動画が利用される予定です。かつて戦争をした両国が協力して平和を考え、メッセージを発信することは大変意義のあることであり、被爆地の放送局として、伝えることの大切さを、あらためて感じています。

映像の力で 世界に平和を

原爆は「負の遺産」ですが、被爆者の映像は「人類の宝」です。被爆者は、あと数年でいなくなります。被爆の実相の映像や資料は、「もう二度と、こんな思いを誰にもさせたくない」という被爆者たちの想いを形にし、未来を生きる人たちが危険な道を選ばないように教えてくれる"平和への教科書"です。世界中から争いをなくし、核兵器が廃絶されるまで、当社は ‟平和の種"を撒いていきます。

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<G7広島サミットで各国首脳に唯一、被爆証言を行った被爆者・小倉桂子さんを追ったドキュメンタリー『アイ アム アトミックボム サバイバー~小倉桂子が伝え続ける理由~』より>

「いつかの時代、どこかの国の誰かが、この映像を観て、世界を大きく変えていくかもしれません」

この言葉を、現実のものとするために。

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