教師ドラマは教育危機を救う光となれるか「子どもとメディア⑬」(前編)

加藤 理
教師ドラマは教育危機を救う光となれるか「子どもとメディア⑬」(前編)

教師や学校を取り上げたドラマは、医療ドラマ、リーガルドラマと並ぶ人気の職業ものドラマの一つである。最近でも、テレビ朝日系列の『素晴らしき哉、先生(20248月~10、日本テレビ系列の『放課後カルテ』(202410月~12TBS系列の『御上先生』(20251月~3と、教師を中心にしたドラマが3期続いた。そして、放送局も制作者も全く異なるこの3作品は、偶然にも、ホップ・ステップ・ジャンプのような関係で、教育が直面している困難と課題を視聴者に問いかけていたように感じる。

教育荒廃の中から生まれた理想像

これまでも、『熱中時代』『教師びんびん物語』『GTO』『ごくせん』『女王の教室』『ドラゴン桜』など、教師や学校を舞台にしたドラマで、記憶に残る作品は数多く作られてきた。

その中でも、197910月にTBS系列で第1シリーズが放送開始された『3年B組金八先生』(以下『金八先生』)は、中学生の性の問題を取り上げて社会的に大きな反響を呼んだ。その後のシリーズでも、校内暴力、性同一性障害などの問題を取り上げて高い評価を得てきた。何よりも、生徒のために寝食を忘れて奔走する姿は、デモシカ教師と呼ばれて教育への情熱を忘れたかのような教師の姿や、子どもたちが抱える困難や苦しさを理解しようとしない教師の姿に飽き足りなさを感じていた多くの人々から絶大な支持を受けた。

時あたかも、校内暴力の激化、少年非行の増加、そして激しい受験戦争と詰め込み教育の中で「落ちこぼれ」と言われた少年たちを多数生んでしまった"教育荒廃"のさ中である。校内暴力と非行を押さえつけるために、学校内では教師による激しい体罰が日常化し、いまだにブラック校則として痕跡を残す、理不尽で厳しい校則による締め付けも強化されていた。卒業式には教師を守るために警察官が校内に入り、たばこの吸い殻が校舎の陰に散乱する時代だった。

そうした中で登場した『金八先生』は、多くの人々に教育のあるべき姿と理想の教師像を示す一条の光となった。

その影響は絶大だった。自分こそが武田鉄矢が演じる金八先生のような教師になって教育荒廃の中で苦しむ児童・生徒を救うのだ、児童・生徒の苦しみに寄り添い、多くの教育的な情熱と愛情を注ぐのだ、と希望に燃える若者を教育の世界に駆り立てていった。

だが、『御上先生』では、多くの教師に影響を与えてきた教師・金八先生に対して、松坂桃李が演じる御上先生の口から疑問が投げかけられる。「こんな話があるんです。とある有名な学園ドラマの新シリーズが始まるたびに、日本中の学校が荒れて学級崩壊が始まる。...ええ、そうです。あなたもたぶん憧れたあのドラマですよ。...生徒のために奔走するスーパー熱血教師以外は教師にあらず、という空気を作ってしまった。保護者たちの教師への要求はエスカレート、教育の理想を描いた学園ドラマが驚くなかれモンスターペアレンツ製造マシンになるんです。中略)以来40年以上、よい教師像はそのテレビドラマシリーズに支配され続けています」と『金八先生』を暗に示しながら、「そもそも考えてみてください。全国の高校教師は約25万人。その人たち全部がスーパー熱血教師になるのと、よい教師像自体を考え直すのと、どっちが現実的だと思いますか」と述べているのである。

金八先生的な教師が、教師の理想像の一つとされ、定着してきたことは、御上先生の指摘のとおりだが、世代ごとに影響された教育論も教師像もさまざまである。ドラマの世界ではなく、お世話になった教師の姿に憧れて教師を目指した人も多い。金八先生が理想の教師像に影響を与えたことは間違いないが、理想の教師像が金八先生に支配され続けているというのは極論に過ぎる、ということには注意しておきたい。

とはいえ、金八先生によってもたらされた負の側面に目を向けることは、理想的な教師の代名詞とされてきた金八先生を相対化する上で必要なことである。そして、今の時代にあらためて教師について考える多様な視点の一つとして、テレビドラマの中でテレビドラマが生んだ理想の教師・金八先生への批判的な評価を提示したということは意義深い。

理想の教師像と現実の学校現場との乖離の中で 

現在の学校現場は、多くの教師が長時間労働に疲弊し、担任が不足するほどの未曾有の教師不足に陥り、学校教育に深刻な危機的状況が迫っている。教師の離職率も増加し、病休の教師の増加も深刻である。学級の維持が困難に陥るような、歴史上経験したことがないほどの"教育危機の時代"と言っても過言ではない。

教師は授業準備のかたわら児童・生徒の理解に努め、児童・生徒の成長に寄り添おうと昼夜を問わず努力を続ける。児童・生徒は、自分たちを理解し、自分たちと共感的な関係を築いてくれる教師こそが真の教師だと考え、そうした教師をひたすら求める。そして保護者も、保護者の苦しみや不安を受け止め、子どものためにとことん尽力してくれる教師を望み、時に理不尽とも思えるような要求と不満を、教師の勤務時間などおかまいなしにぶつけてくる。その一方で、授業時数は増大し、授業以外の校務に割く時間も膨れ上がっている。それにもかかわらず、増加しない教育予算の中で人員補充は思うように進まず、仕事量はなかなか軽減しない。

こうしたことが常態化する中で、教師の労働時間は過労死ラインを超えることも珍しくなくなり、教師の仕事量は増加の一途をたどっている。文部科学省が行った令和4年度の教員勤務実態調査の確定値(202444日公表)によると、国が残業の上限としている月45時間を超えるとみられる教員は中学校で77.1%、小学校で64.5%とされている。調査の分析結果も公表され、小中学校ともに、年齢が若い教員や、担任しているクラスの児童や生徒の数が多い教員、それに、学年主任や教務主任を担っている教員に勤務時間が長い傾向があったとされている。

このような状況の中で、教師は時には心身を病み、定着してしまったブラックな職場のイメージは、優秀な若者を教育現場から遠ざけ、教師のなり手不足は深刻になり、教師と教育の質は低下していく。金八先生のようにありたいと願ってきた教師が理想の教師像を追い求める一方で、教育は負のスパイラルに陥り、いつしか崩壊寸前になってしまっているのである。

金八先生のような寝食を忘れて児童・生徒のために尽くそうとするスーパー熱血教師を、無邪気に賞賛できる時代と教育状況では、もはやなくなってしまった。そうした中で、『素晴らしき哉、先生』『放課後カルテ』、そして『御上先生』は放送されたのである。

後編につづく)

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