11年続けてきたデータ収集
戦後70年以来、毎年8月ひと月間、自分に課してきたことがある。毎日その日の番組表を見て、「戦争」に関連のある番組をチェックし、そのEPGデータ(紹介文)をエクセル表に転記する作業だ。その10年前(戦後60年=2005年)から、「戦争とテレビ」の研究を続けてきたが、「とても全て見ることはできない」と音を上げた結果考えた方法だ。一応の基準としてタイトルに「戦争」「平和」などの文字があるものをリストアップした。特集以外のニュースは除外した。目でテキストを見てどれが戦争関連番組かを判断してきたので多少のぶれはある。それでも11年たち、地上波とBSを合わせたデータ数は1,800件を数えるまでになった。
戦時記憶の風化が課題視されるようになった戦後60年以降、抗えぬ高齢化を背景に体験者の中に「語らずには死ねない」空気が生まれ、多くの証言が番組制作を後押した。また米国公文書館の機密解除なども進み、新たな資料の発掘も進んだ。「八月ジャーナリズム」という批判をしばしば浴びながら、それでもテレビは「あの戦争」を伝え、記録するメディアとして矜持を保ち続けた。当然ながら戦後70年、80年といったメモリアルイヤーには多くの番組が放送された。一時、数が少なくなった71~74年目(2016~19年)に比べると76~79年目(2021~24年)の方が多い(図1)。BS枠や終戦の日以降の再放送が全体の数を押し上げている格好だ。アーカイブの掘り起こし番組も目立つようになった。

<図1.放送局と番組数(実数)>
番組のトーンも変わった。継承の危機は長寿に支えられ、70年、75年目を乗り越えた。80年の今年もいくつもの番組で、90歳を超えた方々の貴重な体験が届けられた。しかしそれもさすがに限界が近い。資料や過去の記録映像等にもとづく再構成やドラマも目立つようになった。権力者の判断に迫るドキュメンタリーに加え、エゴ・ドキュメント(日記、回顧録、手紙など個人の視点で書かれた一人称の文書・記録)などを用い、市井の人々の心情や、伝承そのものの課題に光をあてる番組も現れはじめた。しかし一番変わったのは「戦争への距離感」である。2022年ウクライナ、2023年のガザと相次ぐ武力侵攻、あるいは有事を想定した自衛隊配備が「新しい戦前」の予感を響かせるようになった。
民間放送の存在感
もちろん8月の戦争関連番組の多くを送り出してきたのはNHKである(総合とEテレ、BSの合計で)全体の69.8%。しかし民間放送もそれぞれの色を出しながら健闘してきた(図2)。
<図2.放送局と番組数(%)>
この11年間、変わらぬ姿勢を貫いてきたのが「NNNドキュメント」(日本テレビ系列)と「テレメンタリー」(テレビ朝日系列)である。両枠とも今年は「80年目のリアル」に光を当ててきた。シベリア抑留の記憶を継承する画家と演劇化に取り組む大学生(テレメンタリー『沈黙と絵筆(バトン)~シベリア抑留の記憶〜』瀬戸内海放送)、劣化し崩落の危機にあるガマ調査に鳥取から足を運ぶ公務員(NNNドキュメント『ガマが消える前に 埋もれゆく戦争の記憶』日本海テレビ)など、継承者の姿が心に残る。また訓練場として再整備され、再び基地化に向かうテニアン島の"イマ"の映像も衝撃的であった(NNNドキュメント『テニアン 玉砕と原爆の島』広島テレビ放送)。
戦後70年では、TBSテレビが「千の証言」というシリーズタイトルを設け、いくつかの特別番組をつないだ。特に「女たちの赤紙(従軍看護婦)」をテーマにドキュメンタリーとドラマ(「レッドクロス」)を重ね、また20年前の2005年に放送した報道特番『ヒロシマ...あの時原爆投下は止められた...』のアンコール放送など、企画編成で気を吐いた。BSではBS日テレが『深層NEWS』『日テレNEWS24』の枠で連日特集を組んだ。80年の今年は、TBSテレビや日本テレビが早い時期から「プロジェクト」を組んだ。しかしこうした局や系列を挙げての取り組みも、8月だけ見れば分散し、ニュース枠の中に埋もれてしまったようにも見える。その代わりに驚かされたのがフジテレビ系の番組数の多さだった。一昨年は2番組、昨年は一つもなかった「戦争関連」番組が地上波で10番組、BSでも6番組――これもいわゆる「フジテレビ問題」の影響なのかと考えると、少々複雑ではある。
この11年の作業は、あくまで自宅のある東京キー局の範囲で行ったもので、これまでなかなか地方局の取り組みまでカバーできなかったが、今年は民放連の「民放online」編集部を通じその情報にも目を通すことができた(関連記事はこちら:特別番組、特集企画)。各局ともローカルのニュース枠などを用い、「戦後80年」の取材に精力的に取り組んできたことがわかった。その中でも地方空襲に関する番組が目立っていた(テレビ埼玉:熊谷空襲、北日本放送:富山空襲、東海テレビ放送:名古屋空襲、テレビせとうち:岡山空襲、など)――終戦期、都市空襲のターゲットは全国に広がり、200を超える町が焦土と化したと言われるが、その実像はまだまだ詳らかにはなっていない。草の根で証言や資料を収集している団体も多く、継続を期待したいテーマである。
戦争に立ちすくむ心理
番組数は多かったものの、「戦後80年」の番組のいくつかには制作者の「迷い」のようなトーンが感じられた。それは例えば「戦争をテーマに番組をつくる」ことは大事だと認めても、「誰から誰に」「何を、どうやって」が定まらないもどかしさといったらよいだろうか。
例をあげよう。今年も池上彰氏をメインキャスター、あるいはコメンテーターに起用した特番が並んだ。『ザ!戦後80年の映像遺産SP 池上彰×加藤浩次の運命の転換点』(フジテレビ)、『池上彰の戦争を考えるSP2025』『池上彰がいま話を聞きたい30人』(ともにテレビ東京)、『池上彰のニュースそうだったのか‼』(テレビ朝日)など、タイトルに名前がないものやNHKも含めると7番組。池上の存在とペアになって語られる言葉が「(わかりやすく)解説」である。戦後80年が経過し、次々埋もれた事象や検証が重ねられ、単純に「悲惨さ」に焦点化し、「戦争反対」を叫ぶだけではその複雑さに接近できないことがうっすらと皆に共有されてきたと言うべきか。そうはいっても、「彼に託せば、なんとかなる」という発想に流れてしまったのならば、なんとも残念である。
定型化という意味では、特に若い人をターゲットにした番組の言葉づかいが気になる。バラエティ形式のトーク番組もそうだが、体験者の証言が減った分だけ増えたドラマ、映画の紹介などにもよく使われる「大切な人を守る」というフレーズ。さすがにかつての「英霊賛美」は鳴りを潜めるようにはなったが、理不尽な死に意味を与えたいという点においては同じだ。「大切な人を守る→では大切ではない人は殺してもいいのか」「→では自分のことを大切に思ってくれる人の心を踏みにじっていいのか」という想像がなぜ働かないのか――このこと一つをとっても、「戦争」をアジェンダに掲げることには、思考停止の誘惑が常につきまとう。
考察の対象データが「8月」に限られているので、しかたがないことでもあるが、総じてみるとどうしても月前半に原爆を扱う番組が並ぶ格好にはなる(図3)。もちろん広島、長崎の被爆地にはまだまだ掘り起こすべき実相、問われるべき課題があることはわかる。しかし、このデータをテキストマイニング(共起ネットワーク分析)にかけてみると、原爆を扱った番組と他の戦争関連番組の間には、距離がある(関連性が乏しい)ことがわかってきた(図4)。とはいえ、カレンダー的にも平和教育の文脈から見ても「ヒロシマ、ナガサキ」は戦争を思考する入口にあることは間違いない。2024年の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞授与を扱った番組もいくつか見られたが、まだまだわれわれは受難の記憶の場に立ちどまっているように思える。
<図3.放送日と総番組数>


<図4.戦後80年(2025年)のテレビ番組のEPGデータをテキストマイニング(共起ネットワーク分析)>
主体性をもって戦争に臨む
俳優・綾瀬はるかは2005年の「ヒロシマ」のナビゲーターを務めて以降(当時19歳)、TBSテレビ『news23』の戦争特番を支えてきたパーソナリティーである。そのシリーズ「綾瀬はるか・戦争を聞く」は、体験者の言葉に耳を傾ける印象的なシーンとともに重要な証言映像を重ねてきた。戦後70年を越えても、「真珠湾攻撃80年」(2021年)、「日本に避難したウクライナ人」(2023年)とシリーズは続くと思われたが、今年の特番「なぜ君は戦争に?」では、原爆開発に関わる海外取材シーンはあったものの、あまり綾瀬らしい傾聴シーンが見られず、スタジオ内のおとなしい彼女の姿に少し意外な印象を受けた。
同時期、7月から信越放送で放送された『戦後80年 内田也哉子ドキュメンタリーの旅「戦争と対話」』シリーズをまとめ見する機会を得た。「ああ、足りなかったのはこれだな」と思った。これからテレビは「戦争」をいかに扱っていくべきか。体験者なき時代のわれわれは、「戦争とは何か、なぜ過ちを繰り返してしまうのか」という問いに対して、自分から主体的に行動し、情報を集め、対話していく必要があるのだ。9月、あらためて内田が共同館主を務める長野県上田市の「無言館」を訪ねた。残された資料から亡くなった画学生と家族たちの姿が徐々に立ち現れていくような実感を得た。われわれの「戦後」は、いまから始まるのだと思った。

