バリアフリーに関する世界唯一の国際賞で、「バリアフリー界のアカデミー賞」ともいわれる「ゼロ・プロジェクト・アワード」の受賞が内定してからの社内の動きは非常にスピード感に溢れていました。当社の中静敬一郎社長の号令のもと、社内にコンテンツ戦略プロジェクトが発足。各部署から横断的に集ったメンバーは柔軟な発想のもと、手話放送をきっかけに社内で培ってきた「情報アクセシビリティ」のマインドを、ローカル局の生き残りをかけたブランドとして構築し新規ビジネスに展開しようとさまざまなアイデアが生まれています。
地方にいてはなかなか経験することができない国際舞台を最大限に生かす。賞を主催する財団とも直接の連携関係を築き、世界各地の最先端の取り組みから学ぶイズムは、必ずやこれからの時代のメディアの役割を果たすことにつながると信じると同時に、数年後の自分たちへの誓いの意味でも、これまでの歩みと決意を記せたらと思います。
Okayama Broadcasting,Japan―
岡山放送(OHK)の名前が呼ばれたのは、日本から約9,000キロ離れたオーストリアの国連ウィーン事務所。今回の受賞は世界各地の専門家や研究者による投票を経て決まったもので、私たちが手話放送を通じ構築してきた3つの岡山モデルが、情報アクセシビリティの観点から「ゼロバリア(障壁のない世界)の実現に向け、影響力・再現性が高い革新的な取り組み」と評価いただき、日本のテレビ局としては初の「ゼロ・プロジェクト・アワード」受賞に至りました。
国連障害者権利条約に基づき、オーストリアのエッスル財団などが世界のバリアフリー活動などを称える国際賞である同賞の3日間の国際会議では、授賞式(=写真㊤)のほかにも受賞者や研究者が様々なテーマに合わせ発表や意見交換をする機会が設けられ、私も手話に関するセッションにパネリストとして参加。日本のローカル局の取り組みにここまで注目いただけたことに驚くと同時に、「誰一人情報から取り残されない社会」の実現を目指し、さらなる一歩を踏み出そうと決意を固めるきっかけにもなりました。
<パネリストとしてセッションに参加する筆者>
手話の言語性にこだわる
岡山・香川を放送エリアとする岡山放送で手話放送がスタートしたのは1993年。障害者への認識を高め、障害者施策の質の向上を目指した「アジア太平洋障害者の十年」がスタートした年です。ろう夫婦の家にホームステイをして手話を学ぶ大学生を取り上げたニュースを当事者にも届けたいと手話通訳を付けたのがきっかけで、キャスターも手話を学び、ろう者を取り巻く社会課題や障害者福祉をテーマにニュース特集「手話が語る福祉」を毎月1回放送しています。
「手話が語る」というタイトルが示すように、こだわるのは手話の言語性です。当事者の言葉で伝えたいと、ワイプ画面の手話表現をろう者自身が担当しますが、この取り組みを持続可能にしようと、立ち上げた組織が1つ目の岡山モデルです。
<3月3日、耳の日の情報番組『なんしょん?』>
OHKではろう者や手話通訳者などと「OHK手話放送委員会」を立ち上げ放送の手話表現を検討しています。瞬間瞬間に情報を伝えていくテレビにおいて、一度見ただけで的確に内容を伝えるのは使命であり、当事者・通訳者・テレビ局による議論はテレビだからこその手話表現を生み出しています。また、当事者団体などと連携し専門組織を立ち上げることは、日本語とは文法も違う手話言語の知識が少なく、手話放送に踏み出せないテレビ局側の精神的負担の解消にもつながるはずです。実際にOHKでは昨年9月23日の手話言語の国際デーに夕方のニュースや特別番組の全編手話対応を実施。今年3月3日の耳の日には情報番組『なんしょん?』の全編手話対応も行い、お笑い芸人の漫才も手話で伝えました。複数の出演者がいるトーク中心の番組の手話対応は難易度が非常に高く全国でも珍しいですが、画面に手話を出すことにこだわることは、単なる情報伝達だけでなく、手話を言語として生きるろう者の存在を認め人権を尊重することにつながると考えます。そしてこれは、障害の種類や有無にかかわらず情報から誰一人取り残されないことを目指す象徴になると私は信じています。
新しい形の福祉放送
一方で、手話放送に乗り出そうにも制作コストが課題となることは、ローカル局に身を置くものとして痛感しています。そこで、私たちが実践するのが、2つ目の岡山モデル。手話放送に協力いただける企業・団体に対し「手話協力」として社名などを表示する方法です。制作費を確保し手話放送の継続的な実施と普及につなげることが狙いで、ろう者からも「地元企業などの手話への理解が形となり伝わりうれしい。チャリティやボランティアの枠を出た新しい形の福祉放送だ」 といった声が寄せられています。
そして3つ目の岡山モデルは、記者会見を遠隔で手話通訳する情報保障です。4年前にエリアを襲った「西日本豪雨」や「新型コロナの感染拡大」の中で私たちが行政に提案し実現に至ったもので、記者会見で首長の横に大きなモニターを置き、離れた場所にいる手話通訳者がリモートで通訳するものです。当時、全国各地の記者会見では、首長の隣の手話通訳者がマスクを着けていないことに疑問の声も上がっていましたが、岡山放送では手話での情報伝達は手の動きだけでなく、表情や口の形からも多くの情報が伝わること、感染防止のためにマスクを着けることで情報量が制限されてしまうことを繰り返し放送していて、行政の理解が得られやすかったのだと感じています。
<記者会見で首長の横に手話通訳用モニターを設置>
セッション後には多くのお声がけをいただきましたが、特に「障害者の社会参加を考えると、ろう者だけで番組を制作することも方法だが、ろう者と健常者が一緒になり番組を作る組織を設けることはダイバーシティ(多様性)を考えるうえで非常に先進的だ」と評価いただいたことや、「世界を見渡すと手話通訳者の数が少なかったり、通訳派遣制度がしっかりしていない国や地域もある。非常事態でもきちんと情報を得られることは人としての権利につながるので、遠隔による記者会見の通訳システムは自国でも導入したい」とコメントいただけたことは岡山モデルに新たな視野の広がりをもたらしてくれたと感じています。
新たな一石を投じたい
また、セッションはオンラインでも配信されていたのですが、それを見たウィーンの企業に招待を受けたことは大きな収穫でした。「サインタイム」という名のこの企業はウィーン中心部の一等地にあり、手話の3Dアニメーションを制作しています。現地では企業が新商品の紹介などをする際に手話による説明も取り入れているそうで、人間ではなくサインタイム社が制作するアバターが、ポップなタッチで情報保障をしているのです。国連が定めるSDGsの「誰一人取り残さない」という理念への意識はオーストリアでも高く、年々受注数は増加し売上も右肩上がり。「自分たちの技術をビジネスとして軌道に乗せ社会に貢献したい」と語った経営者の言葉は、ここ数年、DXに取り組んできた弊社の手話放送に、メタバースという新たな分野・市場を描き大きなインパクトを感じました。
OHKでは放送と通信の融合によるテレビの視聴環境の向上を目指し、2021年6月から慶應義塾大学SFC研究所(研究代表者 村井純教授)と「テレビ放送における情報アクセシビリティ」の共同研究をスタートしたほか、ゼロ・プロジェクトと連携し、ゼロバリアの理念を日本国内に発信することにも乗り出しましたが、オーストリアでの学びは大きな刺激となり、情報のバリアフリー化に新たな一石を投じられるのではと考えています。限られた情報にアクセスするのではなく、全ての情報に平等にアクセスでき自分の意思で選択できる環境を目指す。一連の取り組みは、必ずや将来、障害を乗り越えた情報提供だけでなく、地域間でギャップのあるアクセシビリティの均一化としても地域に還元できると信じています。
<イオンモール岡山内「ミルン」>
こうした約30年の手話放送をきっかけとした情報アクセシビリティのマインドは番組制作だけに留まりません。OHKは大型商業施設であるイオンモール岡山内に「ミルン」というスタジオやオフィスを構えていますが、いずれもガラス張りで可視化されていて情報発信の拠点自体も障壁をなくしたいゼロバリアの精神が息づいているのです。さらに、アナウンサーが10年にわたり行う出張朗読会も、読書の多様性を目指し視覚障害者に向けた生活情報紙や絵本の音訳にも取り組んでいます。このように広く情報を発信する「マス」メディアが、情報が届きにくい視聴覚障害者一人ひとりに情報を届けようと努力することは、メディアにおける情報伝達の意識とスキルを必ずや高めると確信していますし、弊社アナウンス室では災害時などに今まで以上の丁寧なアナウンスとなって地域に貢献できるはずだと活動に取り組んでします。昨年度は、この朗読の分野でも日本民間放送連盟賞「放送と公共性」最優秀賞や文字・活字文化推進大賞を頂きましたが、こうしたさまざまな評価を通じOHKの目指す道はより明確になり、地域メディアとしての生き残りをかけたブランド力の向上にもつながるはずです。
受賞が終わりではありません。長年の蓄積と、会社全体で受け継ぐバリアフリーの精神。国際舞台での経験を糧に、OHKだからこそできる歩みをこれからも続けていき、誰にとっても障壁のない世界の実現に貢献できればと思います。