民放テレビ終戦企画2022 戦後77年 託された思いを次世代につなぐ

編集広報部
民放テレビ終戦企画2022 戦後77年 託された思いを次世代につなぐ

戦後77年――。民放テレビ各局が2022年に制作した戦争関連の特番や特集について、民放onlineは地上テレビ社にアンケートを実施した。76社から寄せられた回答の一部を複数回にわたって紹介していく。戦争への人々の思いを記録・継承するための取り組みのほか、ロシアによるウクライナ侵攻や沖縄の本土復帰50年に関連した企画などがみられた。


記録・アーカイブ

テレビ新広島は、これまで拾い切れていなかった思いを取り上げた。平和記念公園に訪れる人々を記録した特番『ヒロシマ 祈りの場の1年~2021年8月―2022年7月~』を8月6日に放送。番組を担当した前田典郎ディレクターは、平和公園を1年間追うことで普段見えていないものが見えてくるのでは、と通い始めた。すると、早朝に集まりラジオ体操をする人々、ボランティアで毎日清掃活動を行う女性(=写真㊤)、原爆ドームの絵を描き続ける画家といった、日常的に公園を訪れている地元住民たちと出会った。特番では、人々の活動やそのきっかけなどを淡々と記録し、前田氏が取材の中で感じたことを視聴者にも受け取ってもらえるよう、ナレーションを入れずに一つひとつのシーンを長く構成した。「観光客の姿は見慣れていたが、地元の人が普段どれほど訪れているかは知らなかった。原爆や平和に対するそれぞれの思いから、私自身も向き合い方を考えさせられた」と前田氏。視聴者からは「(原爆投下のシーンを見るのがつらいため)関連する番組を避けてきたが、久々に見ることができた」、「子どもたちが番組に興味を持っていた」などの感想が寄せられたという。

証言をアーカイブするためにウェブを活用した事例も。ヤフーニュースは、戦争体験の継承を目的とした特設サイト「未来に残す 戦争の記憶」を2015年から開設している。報道機関が所有している記録や、まだ記録されていない体験者の声などをデータとして残すことで、未来の世代に戦争について知ってもらえるよう企画したもの。鹿児島読売テレビ熊本県民テレビテレビ宮崎は8月、同サイト内に特設ページ「南九州、特攻の地から」を開いた。鹿児島読売テレビがデジタル展開のノウハウの蓄積を目的に、ヤフーに打診したことがきっかけ。資料的な価値と内容の深みを出すため、南九州の同じ系列3局で取り組むことになった。これまでも同サイトでの民放局との連携はあったが、一つのテーマで複数社と協力したのは今回が初めて。鹿児島読売テレビの河野修三氏は特攻に焦点を当てたことについて、「先の大戦を語るうえで忘れてはならないテーマ。鹿児島には数多くの戦跡があり、伝え続けるのは地元局としての使命だ」と話す。各社は夕方ニュース枠で特集を放送し、その後特設ページで動画とテキスト記事を配信。ウェブでの掲載にあたり、放送で入りきらなかった内容の追加や、若い世代にも見てもらうことを意識した動画の編集といった工夫を図ったほか、相互に他局のVTRを放送するなどの連携も行った。河野氏は「動画の再生数は多く、域外での反響に驚いた」と手応えを語り、ヤフーの担当者は「報道機関の取材力と、インターネットのアーカイブ性や全国に届けられる特性を組み合わせることで、これから新たな戦争報道ができると思う」と意気込む。

<鹿児島読売テレビが制作した特集のうちの1つ

戦争について再考

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻を機に、今一度戦争について考える企画が目立った。北日本放送は6月26日、ドキュメンタリー枠「KNBふるさとスペシャル」で『父の書斎~百合子の蓼科だより~』を放送し、戦後派最後の作家・堀田善衞が残した言葉から世界の現状を考えた。堀田は、1968年のソ連によるチェコスロバキアへの侵攻の際、戦乱のプラハに向かい取材を行った。現在のウクライナの状況を彼ならばどう受け止めるか......。エッセイ『ただの文士 父、堀田善衞のこと』(岩波書店)を2018年に執筆した娘・百合子さんが語る父との思い出から、世界を駆け巡った作家とその家族の波乱の日々をたどった。番組を担当したフリーのドキュメンタリー制作者の濱谷一郎氏は「戦争や新型コロナなどで不安な時代に、人は何をよりどころに生きるのか、乱世を生きる人間を描き続けた堀田善衞の作品から学ぶことがあると思い企画した」と話す。なお、「KNBふるさとスペシャル」などの放送内容をまとめるブックレポートを同番組も作成し、希望者に送付している。

夕方ワイド『熱血テレビ』で2015年から約3年間、引き揚げ者の性暴力被害をテーマにした「奥底の悲しみ」や、元日本兵による加害行為を取材した「記憶の澱」の2つのシリーズに取り組んできた山口放送。ウクライナ侵攻を機に、その一部を3月に夕方ニュース枠で流し、その後に証言者に追加取材を行い、過去の特集を再構成した特番『侵略リピート』を5月21日にオンエアした。プロデューサー兼ディレクターの佐々木聰氏は「戦争報道に関わってきた者として、やれることをやりたかった」と制作のきっかけを語る。特番では過去に取材した元日本兵や引き揚げ者の生々しい証言から戦争の悲惨さを伝えるとともに、今回追加取材した証言者のウクライナ情勢への思いなどを盛り込んだ。終盤は、ソ連軍の医務隊員が日本人も朝鮮人も分け隔てなく治療する姿に感銘を受け、一緒に患者の治療に携わった女性の言葉で締めくくった。女性が「人間はお互いに尊ぶもの。戦争ではそれができない」と話し、公園で遊ぶ子どもたちを眺めながらロシア民謡を歌う様子を映した。佐々木氏は「『後世に残さなければならない』と絞り出すようにカメラの前で話してくれた皆さんから『託された』と感じている。今後も証言を大切にしていく」とコメントを寄せた。

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<『侵略リピート』 証言する元日本兵の故近藤一さん

県外局から見る沖縄

本土復帰から50年を迎えた沖縄を、県外の局も取り上げた。福井放送は5月31日、地元・越前市出身の国際政治学者・若泉敬を振り返る特番『FBCスペシャル2022「沖縄返還の密使~福井から問い続けた核と平和」』を放送。沖縄の返還交渉の過程でアメリカの核持ち込みの密約に関わった若泉の苦悩を丁寧にまとめた。ディレクターを務めた吉岡弘起氏は「若泉が願った沖縄の平和と核なき世界。託された"平和のバトン"を次世代につなぐために制作した」とし、「『戦争で失った領土を、武力に頼らず取り戻す』という若泉の思いは、沖縄だけでなく日本や世界のあるべき姿を考えるうえで、われわれに多くのことを訴えかけてくる」と話す。番組では、過去に放送した大田昌秀・元沖縄県知事の証言や、1988年に駐日米国大使を若泉宅に招いた際に記録された本人の肉声などに加え、返還交渉に携わった元米高官などを新たに取材。ロシアによるウクライナ侵攻や、東アジアをめぐる情勢が緊迫する今、若泉敬の生きざまから「核と平和」を考えた。視聴者からも反響があり、8月には早くも再放送。越前市で7月159月4日に行われた企画展「世界への架け橋として 若泉敬」で番組の一部を上映したところ、来場者や学芸員にも好評だったという。

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<核戦争の恐ろしさを伝える若泉敬

戦争経験者が少なくなる中、ここ数年は存命の経験者の声に耳を傾ける企画に力を入れている山形テレビ。8月に夕方ワイド『スーパーJチャンネルYTSゴジダス』内で「戦後77年 記憶を刻む」として2回の特集を放送した。このうち1回は、沖縄本島の陥落後に周辺の島々で始まった"もう一つの沖縄戦"を取り上げた。周辺の小島では食料や医薬品の補給が困難なため、戦闘よりも食糧難による栄養失調やマラリアなどの疫病が原因で多くの人が犠牲となった。特集では、宮古島で通信兵として戦った山形県在住の99歳の男性を取材し、当時の話を聞いた。宮古島の戦争に関する写真や映像がほとんどなかったため、編集・構成を工夫。インサートを極力少なくし、男性の口から語られる記憶を際立たせた。取材を担当した報道部の荒木拓美氏は「社内でも宮古島の戦争を知っている人はいなかった。戦後から77年経ってもまだまだ知らなくて、伝えるべき記憶があると痛感した」と語った。また、生存者への取材については「戦争体験者数は減少しているが、生存者やその子孫の横のつながりが強くなっている。そうしたつながりから、これまで多くを語らなかった人も『最後に伝えたい』と取材を受けてくれることが以前と比べて増えた」と実感を明かし、「取材した男性からは感謝の手紙が届いた。記憶を伝えてくれる方々の思いに応えなければならないと改めて感じた」とコメントした。

なお、民放onlineでは2022年7月に沖縄民放各社にアンケートを実施し、各局の特番や取り組みなどを紹介している。記事は以下からご覧いただける。

沖縄民放からみる「本土復帰50年」① 番組アンケートの結果から ラジオ編

沖縄民放からみる「本土復帰50年」② 番組アンケートの結果から テレビ編

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