TOKYO FM・野元翔平さん 「新聞記者からラジオ局員に。推進あるのみ」<U30~新しい風>⑬

野元 翔平
TOKYO FM・野元翔平さん 「新聞記者からラジオ局員に。推進あるのみ」<U30~新しい風>⑬

30歳以下の放送局員に「これから」を考えてもらう企画「U30~新しい風」(まとめページはこちら)。13回は、エフエム東京(以下、TOKYO FM)の野元翔平さんです。新聞記者から転職し、ラジオ番組の制作者となった野元さんにラジオ局で働いて見えた風景を語ってもらいました。(編集広報部)


みなさま、はじめまして。
ちょうど1年ほど前に中途採用でTOKYO FMに入社しました。

前職は新聞社で記者をしていたことから「何かしら書けるだろう」と依頼がありましたが、私はまだまだ見習いの立場。業界に物申すような視座は当然なく......、異業種から転職してきた私がラジオ局で働いて見えた風景を書いてみます。

私は小さいころからラジオリスナーで、オンエアの裏方を知りたいと思っていました。そんな方にも興味を持ってもらえたらうれしいです。

転機はラジオ制作者募集の投稿

ラジオとの出会いは小学生の頃。
汽車がトコトコ走る九州の田舎に住んでいたので、きっかけは親の車だったと思います。ローカル番組や、地元FM局を通じ『SCHOOL OF LOCK!』(SOL!)は小学生の頃から聴いていました。初代パーソナリティのやましげ校長・やしろ教頭の世代ですね。いまだに同世代とは『SOL!』の話になることもあります。

大学進学後もラジオは聴き続けていましたが、就職活動の際、「まさかラジオ局には入れないだろう」というイメージが強く応募はしませんでした。新卒採用がない会社や採用しても数人程度なので門戸は狭すぎだよなと思っていました。とはいえ、ニュースやメディアにはずっと興味があったので、テレビ局、新聞社などを受けて新聞記者になりました。

事件や経済ニュースを中心にたくさんの現場を取材し、転機はたまたまツイッター(現X)で流れてきたラジオ制作者募集の投稿。記者もやりたかった仕事で、最後まで悩みましたが「今しかないかも」と応募して、TOKYO FMでお世話になる運びとなります。

ちなみに、転職を悩む背中を押してくれたのは、ラジオで流れた乃木坂46の「人は夢を二度見る」でした。「まさに自分のための歌!リリースのタイミングも同じで、これは風が吹いているかも!!」などと調子づいて思っていましたが、今振り返るとただトライしてみる理由が欲しかっただけかもしれません。

試行錯誤の番組作り

私が所属する制作部は主に番組プロデューサー、ディレクター、ADと、部員が番組制作に直接的に携わっていて、見た目もコミュニケーションもカジュアルです。入社間もない頃、担当番組の収録スタジオで準備をしていると、サンダルにTシャツ短パンの中年男性が手ぶらでフラっと訪れて、「ヤバい人が迷い込んできた」と焦っていたら、番組のプロデューサーだったこともありました。今ではかなり尊敬する先輩です。

今はADとして生放送中心に携わっています。1つだけディレクターを担当する番組が『NIGHT DIVER』(木、28:00〜28:30)。小説家のカツセマサヒコさんがリスナーと交流したり、アーティストと対談したりする番組です。私自身が元々リスナーで、公開収録を観に行った半年後にまさかスタジオでお会いするとは思いもしませんでした。聴いていた番組とはいえ、実際に制作するのはまた別の話。普段は注意せずに聴いていた間の作り方やトークのつなぎ方――など、たくさんの決定で30分の番組が成り立っているので、試行錯誤の日々です。

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しかし、リスナーから作り手となった喜びも束の間、番組終了が議題にあがる危機に......。他番組との差別化、番組とリスナーの間で築き上げてきた関係――などをあらためて見直し、番組設計を少しリニューアルしつつ、ここでは書ききれない先輩方のたくさんのサポートを得て、現在も番組が続けられています。番組開始から4年目に入りましたが、長く続ける難しさと、続いている番組へのリスペクトが生まれた経験でした。カツセさんにはこの文章が見つからないことを祈りつつ......。

チームワークが醍醐味

ほかにも主に平日午前の生放送でADを担当しています。情報番組の『ONE MORNING』(月〜金、6:00~9:00)は朝からひたすらに元気。『Blue Ocean」(月〜金、9:00〜11:00)は本当に多様なリスナーが聴いて、毎日異なるメッセージテーマから新しい世界をのぞかせてもらえる番組です。生放送はリスナーと共同作業で番組が作り上げられるので、新聞記者時代の発信が主となる記事の公開とは異なるダイナミックさを感じています。

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アポ入れから執筆まで基本的には一人で行う記者の仕事に対して、番組はチームワークで制作します。演者、構成作家、ディレクター、AD、ミキサー、など分業制なのは新鮮でした。帯番組の番組会議は10~20人前後のスタッフでアイデアやネタを持ち寄り、もんでいくというスタイル。テーマをピックアップしたり、ゲストを決めたり、原稿を準備したりと、何気ない普段のオンエアがチームワークで成り立っています。

また、入社したての頃に「ラジオって人が少ないから......」とテレビとスタッフ数を引き合いに出した説明がありました。テレビが情報番組を生放送する際のスタッフ数に対し、ラジオはその10分の1以下ほど、1曜日あたりは5人程度です。こじんまりしたチームで毎週の放送を作っているのも、コミュニケーションを取りやすくて楽しい部分です。

そして、記者時代は編集と営業は完全に分離されていましたが、民放では番組を売ってくれる人がいて、一緒に番組を作るのが、一番の仕事の感覚の違いかもしれません。職種なのか、当社ならではなのか分かりませんが、「やっていきましょう!!!」と前向きで明るく積極的な人が多いのも特徴です。特に不思議だったのが、「推進」の使い方。スポンサーの考えと番組内容の方向が一致して、実際のオンエアの成功に向かって動くときに、ある営業部の社員が「推進お願いします!!」と話してきました。30年間生きてきて聞いたことのない言葉でしたが、ポジティブで、明るい勢いがあって、妙味ある響きです。面白おかしく聞いていながらも、この表現でしか伝わらないパワーがあると今では思っています。

ラジオの未来へ「推進」

とりとめもない、ラジオ局の観察記になってしまいましたが、こんな私でも1年たつとラジオ業界の厳しさも少しずつ知るようになります。誰しもの生活のそばにラジオがある世界には多分戻らないし、観たいコンテンツにも優先順位を付けなければ追えない時代。新たに習慣的にコンテンツを聴いてもらうのも大変です。

そんな中でも、実際に番組イベントではリスナーの愛を感じ、身の周りにポッドキャストを日常的に聴く人が増えてきた実感もあります。社内でもたくさんの部署が音声コンテンツを軸にリスナーに愛され、ビジネスとしても盛り上がるよう日々働いています。

ラジオの未来について提言はできないですし、私自身の中にもまだ答えはありません。でも、ひたすらに「推進あるのみ」だと思っています。個々の持ち場で推進アンド推進。言葉にするのが難しいパワーをもって、前を向いてやらねばならぬことを日々やっていくのです。

推進の極地にラジオの未来の鍵があると信じて、今日も生きていきます。

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