2024年から続いているコメ価格の値上がりは2025年になっても収まらず、政府備蓄米の放出などの対策が打たれるなど、"令和のコメ騒動"と呼ばれるに至った。そこで、どのようにして現在の状況が生まれたのか、また、コメどころの放送局はどのように報じているのか――リポートとともに報じる視点を中心にこの騒動を考えたい(まとめページはこちらから)。
2回目は、民教協スペシャル『時給10円という現実~消えゆく農民~』を制作した山形放送の三浦重行氏に番組制作を通じて考えたコメ作りをめぐる課題をまとめていただいた。(編集広報部)
「多くの農民がものを言わずに消えていく...」
山形放送は第39回民教協スペシャル『時給10円という現実~消えゆく農民~』を制作、2025年2月に全国で放送しました。企画を立てるにあたり、何が一番差し迫った問題か、思いをめぐらせ、行き着いたのが「消える農民」でした。企画書を書き進めながら、2024年1月、番組の主人公となる山形県長井市の農民、菅野芳秀(かんのよしひで)さん(75)の古くからの友人たちが集う「置賜(おきたま)百姓交流会」の新年会を取材しました。芳秀さん、佐智子さん夫婦のほか、千葉・三里塚の石井恒司さんや新潟・上越の天明伸浩さんら番組の骨格をしめることになる人たちが加わっていました。
感じ取ったのは、農民が消え、農民がつくる作物が消え、村自体が消えゆこうとしている厳しい現状と、菅野さんたちに募りに募った危機感、焦燥感です。農林水産省の統計によると、コメ農家など1経営体あたりの2022年の収入は補助金を含めて378万円。肥料代や光熱費など経営費を除けば手元に残る所得は1万円、平均労働時間で割った「時給」は10円。稲作農家は特に高齢化が顕著で、2040年に今の60代以上が引退してしまうと、現在の1割台にまで数が激減すると見込まれています。
<民教協スペシャル『時給10円という現実~消えゆく農民~』>
農民を取り巻く厳しい現実以上に菅野さんたちを悩ませているのが、その現実があまりに世に知られていないことです。「同じ国に住んでいる農民たちが、どういう悩みを持って、みんなの基本的な食料を作っているのか......都市の"普通の人"に理解してもらうことがたいせつです」――山形県川西町出身の故・井上ひさしさんはこう書いています(「井上ひさしと考える日本の農業」2013年)。菅野さんは井上さんから、農民講談師となって、今の農業、農村の危機を訴えて全国行脚するよう勧められたといいます。
2024年3月、民教協の最終審査で企画が通り、番組づくりが本格的に始まりました。国会議員への講演、福岡での小農学会の総会、そして客員教授を務める大学での講義......。私たちは農と食の危機を説く菅野さんを追いかけました。そして、放し飼いの自然養鶏と水田を中心に、循環を軸とした農業を芳秀さんから受け継いだ息子の春平さん(41)のコメづくりを見つめました。"令和のコメ騒動"は後から追いかけてきました。夏場からにわかに顕在化したコメ不足や価格の高騰に追いまくられながら番組を作っていくこととなりました(=冒頭写真、田んぼの草と戦う春平さん)。
菅野さんを通して見える日本の農業
番組の縦軸にすえたのは、誇りを込めて自らを「百姓」と呼ぶ菅野芳秀さんの「七転八倒」の55年です。減反を拒否して孤立、地域の減農薬栽培を進めるなかでの農薬空中散布の廃止。生ごみをたい肥にし、地域の台所と田畑をつなぐ長井市のレインボープランの立案、実現......。
大学時代に身を投じた成田空港建設に反対する「三里塚闘争」が菅野さんの原点だと思っています。妻の佐智子さんともそこで出会いました。「村がなくなる、農業がなくなる」という当時の危機感は今と重なります。勝手に決めて無理くり従わせようとする国の農民に対する姿勢も一貫して変わっていないように見受けられます。「農民を侮る世論や秩序、政治に怒りを感じていた」と芳秀さん。「国が勝手に決めて言いなりにされることに必死になって抵抗している人たちに共感した」と佐智子さんは振り返ります。
<菅野芳秀さんと佐智子さん>
消費者の理解と共感へ
三里塚闘争で和解への道を模索した国との円卓会議で農民側が示した「児孫のために自由を律す(次の世代のために自らある程度の不自由を引き受けざるをえないのではないか)」という考え方は「今だけカネだけ自分だけ」という現代の風潮の対極にあります。そして、「今だけ......」では農業は成立しないし行き詰ってしまうように思います。菅野さんが敬愛する農民作家の故・山下惣一さんが書いているように百年企業は他産業では「老舗」でも、農家なら「新家」「分家」レベルです。
「私たちは長い間、日本の農業は零細でダメだダメだと言い聞かせられながら、首をすくめて生きてきました。しかし、世界的に見れば決してそんなことはないのです。もっと自信をもちましょう。専業でも、兼業でも、半農半Xでも、日曜百姓でも、家庭菜園でもいいのです。すべて小農です。小農だからいいのです。強いのです。楽しいのです。豊かなのです。そして、強い農業が生き残るのではなく、生き残った農業が強いのです」。2015年小農学会設立総会の基調講演での山下さんの言葉です。
その山下さんが「百姓としての、いや人間としての出発点、原点になった」と書いているのが『山びこ学校-山形県山元村中学校生徒の生活記録』(1951年)。生活をありのままに書く戦後の「生活綴方運動」の記念碑的な作品で、映画、舞台化もされて社会現象ともなりました。その中のある少年の作文に山下さんは衝撃を受けます。少年は母が働いても働いても貧しさから脱却できず、体を壊して亡くなってしまったのは農地がないからだという結論に至ります。自分はうんと働いて田畑を買い集め、大きな農家になろう、と考えます。でも、そうするとほかの誰かの農地が小さくなり、自分と同じ境遇の貧しい農家をつくり出すんじゃないか、そう考えて思い悩むという内容です。大規模化、スマート農業......、国は効率ばかりを追求しているようにみえます。しかし、日本の耕地面積の約4割を占める中山間地で大規模化は成立しないし、大規模化によるコスト削減効果自体にも限りがあります。
番組には盛り込めませんでしたが、全国に先駆け50有余年続けられてきた山形県高畠町(たかはたまち)の有機農業に、初期から消費者として参加したご婦人の話が強く印象に残っています。「消費者も農薬や化学肥料を使わないリスクを負います。作ったものは全部いただきますと、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟で消費者も取り組んだんです。それが50年続いたのは断然おいしかったからです」......。覚悟を持って食べることで消費者も農に参加できます。
番組の最後で芳秀さんは学生たちに問いかけます。「『国民皆農』こそが長続きする農との関係性。国民の無関心が農家を時給10円の世界に押しとどめている」。
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「消費者に『農業・農村はこのままでは消えていくけど分かってる? いいの?』という問いを突きつけてくれた」「『国民皆農』という言葉は大変勇気づけられるメッセージでした」「最大の懸念・問題は『農に対する無関心』であることがひしひしと伝わってきた」......。視聴者からたくさんの感想、意見をいただきました。"普通"の消費者の理解と共感、参加で農と食の景色は変わるのではないか、そう思っています。
(編集広報部注)『時給10円という現実~消えゆく農民~』は2025年日本民間放送連盟賞「テレビ報道番組」で、同じテーマのラジオ番組『農なき国の食なき民~時給10円、消える農民~』は同「ラジオ報道番組」で、ともに優秀に選ばれた。各審査講評はこちらから:「テレビ報道番組」「ラジオ報道番組」。