【メディア時評】なにかが生まれる場に立ち会え 領域横断局員のすすめ

小松 理虔
【メディア時評】なにかが生まれる場に立ち会え 領域横断局員のすすめ

「一人放送局」として動いてみる

2015年に独立し、地元・福島県いわき市で場づくりや情報発信に関わって、今年で8年目になる。地方の民放テレビ局員だった時代は20代のたった3年間だけだったと思うと、民放連のコラムにぼくなんぞが文章を寄せていいのだろうかとも思うけれど、なぜだかどうして、雑多な仕事を請け負う現在のほうが、あのころよりも圧倒的に「メディアで仕事をしている感」を強く感じるようになった。いや、こうはっきり書いたほうがいいかもしれない。ぼくは以前よりも地方テレビ局員的に働いていると。

どういうことだろうか。ぼくの主たる仕事は、ローカルメディア制作や小さなイベントの企画である。もともとは紙媒体の制作が中心だったが、ここ数年、流行も手伝ってか動画に関わる仕事が増えた。アナウンサーのように配信番組の司会を務めることもあれば、映像作家とともに地域を巡り、あれやこれやを撮影して動画にまとめる仕事もある。震災や原発事故がもたらした社会課題を広く伝える仕事は記者の視点が欠かせないし、地域のプレーヤーたちと地元の魅力を発信する仕事は、制作部のディレクターのような働きが求められる。アナウンサー役も記者役もディレクター役も、全部自分でやらなければいけない。それで、ますますテレビ局っぽい仕事だと実感するようになったのだろう。

それだけではない。地域の皆さんと一緒にイベントを企画して賑わいを生み出していくには、多方面での段取りやスケジュール管理が欠かせないし、予算が適正に処理されるかもマネジメントしなければいけないから「事業部」のような動きが求められる。一方、メディアを活用して地元企業のブランディングを進めていくには、適切なメディア露出を考えたいところだし、テレビや雑誌への広告出稿を検討することもしばしばあるから、その意味で「営業部」的な役割を求められることも少なくない。

もちろん、実際のテレビ局とは人数も予算の規模も、社会に対するインパクトも大きく異なるし、ぼくの場合は、どの仕事もプロフェッショナルと呼ぶにはほど遠く、すべてにおいて中途半端ではある。けれど、自分を「一人放送局」に見立て、さまざまな職能やスキルをいくつかの部署に分けるようにして動いてみると、個々の役割が明確になり、やるべきことが把握しやすいのだ。しかも、結局はぼくという一人の人間なので、自分の中の制作部と事業部なら簡単にコラボできる。部長や課長にお伺いを立てる必要もなく、番組とイベントを連動させたり、広報キャンペーンを展開しながら複数のイベントを走らせることもできる。規模はミニマムだが、自分を放送局に見立てることで圧倒的に仕事がしやすくなったのだった。

たとえば、地域のある食品会社からざっくり「新商品を売り出したい」と相談を受けたとする。どれほど魅力的な商品が完成しても、多くの人たちに商品の魅力を知ってもらわなければ商売にはつながらないから、名前が露出するよう、さまざまなプランを考える......。シンプルにCMを検討してもいい。社長に出演してもらって、自らオンライン配信を企画してもいい。SNSをフル活用して自ら発信してもいいし、プレスリリースを流して報道機関に取材を促してもいいだろう。あるいは、地元の人たちに認知してもらうために、地域の生産者や料理人とコラボし、食のイベントや料理教室を何度も企画したうえで、その取り組みをメディアに取り上げてもらうこともできる。デザイナーと組んで地道にブランディングする道もある。クライアントの課題に向き合うために、「一人放送局」のリソースを総動員していくわけである。

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<魚を使った商品開発の現場に立ち会う筆者(左)

地方局員に求められる領域横断力

クライアントに「これをやってみたい」という思いが生まれたとき、アイデアはまだ形を持っておらず、したがって相談内容も大変ざっくりとしている。どの程度の予算がかかるのか、どういう仕事が生まれるのかも未知数だ。そのような状況でクライアントに多様な選択肢を提示するには、自分にあるリソースだけではなく、地域や企業が持つさまざまなリソースを領域横断的に結び付けながら、なにとなにを組み合わせたら最大効果を発揮できるかを具体的にイメージする必要がある。もちろん、予算やスケジュールについても頭に入れておかなければいけない。そこで求められるのは、まさに「プロデューサー/仕切り役」的な存在だ。

これまでは、そのような「仕切り」の業務の多くを広告会社が担ってきたと思う。自治体が発注元になる大型事業などは、特にそうだろう。規模が大きいゆえに地元企業ではさばき切れず、広告会社が仕切り役として動いてきたわけだ。ぼくの地元福島県でも、風評払拭事業や地元産業の再生プロジェクトなどで「億」を超えるようなビッグプロジェクトが生まれてきたが、そのような事業の仕切りは、やはり首都圏の広告会社が担ってきた。

ところが、最近は地元の目線も厳しくなり、「地方創生を掲げたプロジェクトなのに、結局首都圏の企業にお金が落ちるだけじゃないか」といった批判や不満の声が寄せられるようになっている。また、複雑な地域課題の多くは、そこに暮らしていないと見えないものだ。そんな事情も手伝ってか、コンペの参加条件に「地元に本社のある企業であること」が加えられることも増えているようだ。地域に根差したメディア企業である放送局が広告会社を絡めずに事業を請け負うことが増えたことは、ぼく自身はいい流れだと思っている。いや、広告収入が減り続けているローカル局にとって、数千万円規模の自治体プロジェクトは貴重な収益源になりつつあるのかもしれない。

放送局は前にもまして、ローカルに向き合わねばならなくなった。自分たちで地域課題に向き合い、さまざまなアプローチでチャレンジしなければいけなくなった。言い換えれば、これまで以上に地域を知り、地域とつながり、歴史や文化、生活様式、地域のキーパーソンや専門家たちと共に動かなければいけなくなったということだ。ますます領域横断的な、ゼネラリスト的な、営業や制作というセクションの壁を超えてコラボレーションできる「地域編集者」的な人材やチームが求められる。

領域横断的な取り組みとしては、民放onlineでも紹介されているが、熊本県民テレビのドキュメンタリー映画『人生ドライブ』が好例かもしれない。記事の中に、約20人の社内横断チームが広報、制作、イベントなどの得意分野で作業を進めたとある。局の宝物ともいえる21年間もの密着素材から映画をつくり、領域横断的な動きで連携し合うことで「再編集」できたことが、作品につながったのではないだろうか。地域に根差したテレビ局の存在価値を地域に示す、理想的な動きだと思う。

 種が生まれるところに、「ただ、いる」こと

もうひとつ重要なのは、地域の課題や魅力や、それをなんとかしようという機運が生まれる場に立ち会えるかどうかだ。もし事業化される前に立ち会えたら、市民の「こうなったらいいのに」「これが課題だよな」「これをなんとかしたいな」という思いに触れることができる。キーパーソンたちと密接な関わりが生まれるし、自治体のビックプロジェクトにダイレクトにつながることもあれば、そのまま番組づくりにつなげることもできるだろう。なにかが決まったあとではなく、決まる前の、報道にも制作にも事業にも、あるいは営業にも姿を変え得る仕事の種があるところに、立ち会ってほしい。

局員が地域の現場に関わるのは、いつだって「なにかが生まれたあと」だ。だが、「なにかが生まれようとしているとき」に、そこに立ち会えるだけの関係を地域と築けていたら、なにかが生まれたあとの初動も違ってくるはずだ。新商品がリリースされる前、新たなスターが誕生する前、住民運動が組織される前に、その現場にいる。そんな人間関係を地域でつくってほしい。すでに有名になった人たちだけでなく、これから有名になる、大活躍するかもしれない人たちに頼りにされるような局員であってほしいとぼくは思う。そうなれば、地域のさまざまな情報が勝手に寄せられるようになる。おもしろそうなプロジェクトは独占取材できるし、地域とつながっていればこそ、局がビッグプロジェクトに参加するというときに、頼れる仲間が集まってくれる。

なにかが生まれる瞬間に立ち会うことは、いい番組づくりにもつながると思う。前のコラムにも書いたけれども、長時間、地域のプレーヤーと共にそこにいて、カメラをオンにし、ペンを走らせる。時間をかけて、地域の人たちから信頼を得、そこに同席してはじめて、なにかが生まれる瞬間や、なにかが変化した瞬間、プロセスに立ち会えるのだと思う。「そこにいること」。それが記者の、カメラマンの、とても大事なミッションだ。

だが、ぼくの知るかぎり、地域のプレーヤーとの接点を多数持っている局員は、そう多くない。なにかイベントがあったり、目立ったトピックが生まれたときには取材に来てくれるが、その「前」から、もう少し、地域との接点をつくってもいいのではないか。地域で生まれた人づきあいやネットワークは、業務だけでなく、人生を豊かにすることにもつながるはずだ。もう一歩地域に踏み込むためにも、プライベートな時間をぜひ活用してほしい。買い物をする場所、食事をとる場所を意識するだけでも違うだろう。

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<学生インターンのツアーではガイドも務める

現場に行くことが難しければ、局舎そのものを現場にしてもいい。本来は、局舎自体をもっと地域に開き、コミュニティのハブとして機能させてもいいはずだ。ワークショップや講演会、交流会、地域の未来を考える構想会議、シンポジウムなど、なにかが生まれるかもしれない場を局のなかに作ってしまえばいいのに、そういう発想も乏しいようにぼくには思える。

いまだに旧態依然としたCSRを続けている局もあるようだし、SGDsを掲げてさえおけば地域貢献になるだろうという思惑が透けるような安易なプロジェクトも見受けられる。重要なことは、CSRをCSVに転換していくことだ。つまり、社会的な責任「Responsbility」ではなく「Value」を目指す。課題解決のための突破口を開くような価値を生み出すことができれば、地域に関わる役職は、放送局の「花形業務」になる可能性だってある。

そのためにおすすめなのなのが、本稿で書いたように、自分を「一人放送局」だと認識してみることだ。「一人放送局」として動いてみることで、領域横断的な編集力や、地域に密着できる力を育てる。そうした試みの先に、局員一人ひとりが実感する放送局の価値が浮かび上がってくるのではないだろうか。

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