「onlineレビュー」は編集担当が気になった新刊書籍、映画、ライブ、ステージなどをいち早く読者と共有すべく、評者の選定にもこだわったシリーズ企画です。今回は、2024年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した関西テレビ放送の上田大輔記者が8年にわたって追い続けてきた「揺さぶられっ子症候群」の取材をまとめた映画『揺さぶられる正義』の9月20日公開を控え、自身も東海テレビ放送で「司法シリーズ」で知られるドキュメンタリーを手がけてきた齊藤潤一・現 関西大学教授に寄稿いただきました。(編集広報部)
テレビ局を退職して4年。
いまも胸の奥で疼く取材がある。
20年ほど前、ある町の調剤薬局で、服用した薬によって数名が健康被害を訴える事件が起きた。薬からは本来含まれるはずのない向精神薬が検出され、警察は何者かが故意に混入した疑いで捜査を進めていた。
夜回り取材で「薬局勤務の若い男性薬剤師が捜査線上にあがっている」との情報を得た私は、スモークガラスのワゴン車を自宅前に停め、隠し撮りを試みた。3日目の夕方、仕事帰りとみられる男性が玄関先に現れる。庭では母親らしき女性が洗濯物を取り込み、「お帰りなさい」と笑顔を向けた。男性も笑顔で応じる。その何気ない家庭の温もりに、私はカメラを下ろしそうになった。
2週間後、彼は逮捕された。
私は予定稿とともに、その帰宅映像を昼ニュースで放送。局内では「特ダネ」と褒められ、局長賞を手にした。しかし勾留期限の20日目に、検察は不起訴を決定する。
「クロとは言い切れなかった」
情報をくれた捜査関係者は口ごもった。
不起訴は夕方ニュースで、わずか30秒のショートニュースとして伝えられた。しかし、顔と名前を晒された彼の人生は、その後どうなったのか。考えるたび、心がざわつく。
映画『揺さぶられる正義』を観て、この記憶がよみがえった。監督の上田大輔さんは、かつて冤罪救済を志す弁護士を目指したが、有罪率99.8%という刑事司法の現実に絶望し、関西テレビに企業内弁護士として入社。7年後に記者へ転じ、社会を騒がせていた「揺さぶられっ子症候群(SBS)」事件を取材し始めた。
2010年代、日本各地で赤ちゃんを激しく揺さぶって虐待したとして、親らが逮捕される事件が相次いだ。
捜査機関や医師は幼い命を守る使命感から動く。一方で、事故や病気の可能性を指摘する弁護士や法学研究者は「SBS検証プロジェクト」を立ち上げ、冤罪の可能性を科学的に検証していった。ここには、虐待を防ごうとする正義と、冤罪をなくそうとする正義が激しくぶつかり合っていた。
作品の中で最も心を揺さぶられたのは、当時2歳の義理の娘が死亡し、父親が傷害致死と強制わいせつなどの容疑で逮捕された事件だ。1審判決は懲役12年。当初、上田監督も「彼がやった」と思い込み、取材に踏み切らなかった。ところが弁護士から冤罪の可能性を知らされ、控訴審では全ての公判を傍聴し、記事を書き続けた。さらに、保釈後は男性の自宅に何度も足を運び、日常の様子をカメラに収めた。
逮捕から6年後の2024年11月、控訴審で無罪判決が言い渡された。判決後の記者会見で、男性は静かにこう語った。
「警察発表をそのまま流されると、僕たちは何も言えないまま、それが事実のように広がってしまう」
この言葉を重く受け止めた上田監督は「彼をクロにしてしまったものと向き合おう」と決意し、男性に関西テレビが当時放送したニュース映像を見せた。
そこには、逮捕前に道路を歩く男性を隠し撮りした映像と、記者に突然虐待について問われ「してないわ。するわけないやろ」と不機嫌に答える姿が映っていた。
映像を見た男性はつぶやいた。
「これを見たら、誰だって僕がやったと思うでしょう」
さらに問いかけた。
「歩いているところをスローにする必要はあるんですか?」
上田監督は言葉を失い、黙り込んだ。
その沈黙の重みが、私の胸にもずしりとのしかかった。
袴田事件、湖東記念病院事件、福井女子中学生殺害事件、大川原化工機事件――冤罪は今も繰り返され、警察や検察が謝罪した事例も出てきている。一方で、実名と顔をさらして報じたメディアが、自らの誤りを謝罪することはほとんどない。
一度貼られた「犯人」のレッテルは、ネットの海からは決して消えない。
報道の正義とは何か。
誰のためにカメラを構えるのか。
『揺さぶられる正義』は、その問いを私たちに突きつける。
20年前、私が「犯人」として報じた薬剤師はいま、どんな生活を送っているのだろう。
母に向けたあの笑顔は、まだ残っているだろうか。
報道は人を救うことも、壊すこともある。
その現実から、私たちは目を逸らしてはならない。