能登半島地震をめぐる取材・報道の課題

山田 健太

正月を襲った能登半島地震。発災から2カ月がたとうとするが、現地ではラジオから給水情報が頻繁に流れ、テレビ画面ではL字が続く。地元ラジオの北陸放送(MROラジオ)も、一部地区のAM局の運用休止予定を「一時延期」することを発表している。こうした放送実態からだけでも、まだ日常が取り戻せない状況であることがわかる。そうした現状の中で現場を回り、どのような取材・報道上の課題があるか、表現の自由と報道倫理の2つの観点から感じたところをまとめておきたい。

NHKのL字.jpg

<NHKが行っているL字放送(2月20日現在、筆者撮影)>

なお、地元各局の状況は「民放online」にレポート が掲載されている*ほか、七尾市には地域放送局がある。1つはコミュニティFM「ラジオななお 」で、NHK放送文化研究所の文研ブログで近況が紹介されている。もう1つは地元ケーブルテレビで、七尾市が運営する「ケーブルテレビななお 」がある。

*「民放online」令和6年能登半島地震 石川各局の編成対応 ウェブでも積極的に配信(2024/02/08) / 能登半島地震 地元局の1カ月を聞く(2024/02/20)

のと里山海道.jpg <2月15日に仮開通した「のと里山海道」の様子(筆者撮影)>

犠牲者氏名等の公表

1つ目の課題は犠牲者の名前の公表だ。全国知事会は2021年6月、政府(内閣府)の協力を得つつ「災害時の死者・行方不明者の氏名等公表に係るガイドライン」 を定めた。そこでは原則「公表」と読める一方で、公表・非公表のパターンを示し、各自治体に最終的な判断を委ねている。

これを受け石川県では、「災害時における安否不明者等の氏名等公表基準」 を定め、死者の氏名公表には条件を付すことで、事実上の非公表という実態がある。具体的には「遺族の同意」があったもののみを、石川県危機管理監室危機対策課が報道機関向けに記者発表するとともに、県ウェブサイト上で公表している。

結果として、最初の公表が1月15日で発災から2週間後、その後も少しずつ増え、2月26日現在で139人の氏名、性別、年齢、居住地(市町村)、死因(家屋倒壊など)が発表されている(1月15日=23人、16日=20人、17日=16人、18日=21人、19日=13人、20日=10人、21日=8人、22日=3人、23日=7人、24日=6人、25日=2人、2月16日=8人、19日=2人)。しかし、同時点の犠牲者数は241人であって、公表数は全体の過半数強にすぎないことがわかる。

前述の氏名等公表基準(22年4月1日制定、23年5月25日改定)で、「県では、災害時に迅速かつ的確な安否不明者等の氏名等公表により救助活動の円滑化を図るため、令和4年4月に公表基準を定めたところです。/  令和5年3月に国より『防災分野における個人情報の取扱いに関する指針』が示されたことから、国指針との整合性を図るため、公表基準の見直しを行いました。」とし、文中で死者の扱いとして、以下の2項目を明記している。

お亡くなりになった方の氏名等について、ご遺族の同意を得られた内容を公表しています。/ ただし、ご遺族からの申出により非公表に切り替える場合があります。/お亡くなりになった方の公表基準は以下のとおりです。
・DV、ストーカー等被害や住民基本台帳の閲覧制限措置等がない者であること。
・氏名等の公表に家族等の同意があること。

NHKのローカル放送.jpg<NHKのローカル枠放送(筆者撮影)>

社会で情報を共有する意味

1つめの条件については、個人情報保護法(条例)上の要配慮情報でもあり、自治体がその取り扱いに慎重を期すことは必要だろう。しかしそれでもなお、死者にどこまでプライバシー保護上の配慮を求めるかは議論があってよい(法律上判例上は、死者のプライバシーは認められていない)。そして、より課題となるのは2つめの「同意」条件だ。

天災によって不幸にもその命を落とした犠牲者の方々の死を悼む面からも、行政が取得した情報をわざわざ秘匿する必要性は見いだしがたい。遺族からすると、氏名等の個人情報を行政が勝手に公にすることは許されず、場合によっては法的手段をとってでも秘匿したいとの思いがあるのかもしれない。その背景には、氏名・住所がわかると、報道機関等の取材が集中して煩わしかったり、ネットに未来永劫名前が残るのは嫌だ、などの理由があろうと想像される。

しかし、誰が亡くなったかは、これまでも社会一般では公共情報(公共的な基礎情報)と考えられていて、たとえば事件・事故が起きた場合、警察はその犠牲者の名前を公表してきている。確かに、被害者氏名の公表が社会的課題となり、とりわけ凄惨な事件による被害者の場合に、その公表については慎重が期される傾向が強い。しかし、それでもあくまでも「公表」が原則だ。被害者等対策基本法やそれに基づく基本計画で、被害者の同意の必要性が謳われつつも、社会としての情報共有の重要性がその都度確認されてきている。

とりわけ大規模天災では、安否不明者の公表(当然ながら、家族の同意は不要である)、犠牲者の公表は一連の流れとして、行政が可能な限り迅速・正確な情報を社会に発信し続ける社会的責任があり、それを報道機関が伝えることで、社会全体において単に「数」ではなく、一人ひとりの存在、命の重要性もまた確認できる。それが今日の日本社会においては、もっぱら秘匿にのみ注力され匿名社会が進むことで、いびつな情報環境が形成されているといえるだろう。

また現実的にも、被災県が該当市町村や警察に調査依頼をしたり、場合によっては県職員が直接当事者遺族に連絡を取り、その同意を取り付けるのは容易ではないことが想像される。まず居場所を探索するのも大変だし、実際に面談や電話等で直接確認作業をする労力や時間の大変さは想像に難くない。そうした業務に割く時間が、今日時点はもったいない。

今回は犠牲者数が200人台に留まっているが、さらに大規模震災が起きた場合、このような手順を踏んでの公表は破綻することは明らかだ。考えられうる対応としては、県での集約をやめ、県警での集約・発表を原則とすることが考えられる。もちろん、そもそもの情報が自治体から上がってくることを思えば、県ではなく各地方自治体ごとの集約・発表にするという考え方も取れる。実際、安否不明者は事実上、自治体ごとで対応している場合も少なくないからだ。

災害関連死の公表

それとの関係で考えなくてはいけないのは、災害関連死に関する情報開示である。こちらは制度設計からして、各基礎自治体に集約・公表が任されている事項だ。そしてこちらの公表は、前述の犠牲者以上に「難航」している状況が見て取れる。2月末現在で約20人が関連死と発表されているものの、その実態は見えない。その大きな要因は、「認定」業務を行う各自治体の余力のなさに起因しているのではないだろうか。

ただでさえ多忙を極める自治体職員が、場合によっては遠方の避難先まで出かけ、その担当医師や場合によっては近隣住民などにヒアリングをして、その死亡原因を特定、震災との「関連」を認定することは大変だ。その結果、実際には亡くなっていても、関連死として公表されることはないまま時間が経過する例が少なくないと予想される。

それからすると、この次善の策は「疑い」事例を報道機関が独自に調査し、報道することだろう。当該関連死は、未然に防止することが可能な場合も少なくない。現在の問題点をより早く指摘し改善に結びつけるためにも、関連死の実態を報じる意味は高い。もし行政でその実態把握が追い付かないのであれば、むしろ報道が先んじて報じる意味は大きいだろう。その際にも、まずは「死亡」の事実を把握することが大切だ。

これについては、少なくとも住民票を管轄する基礎自治体は死亡事実を把握することが可能であって、その氏名等の公表さえしてくれれば、その後の取材の糸口がつかめる。したがって、自治体が死亡の事実を発表すれば、社会全体の関連死を予防することができるということになる。

避難所取材

取材の面では、現地での悩みは避難所取材にあるように思われた。1月中に最初、輪島市で避難所の取材を限定する旨が通達(毎日新聞2月26日付報道によると、発災1週間後に避難者からのクレームを受け市担当者が制限を決めた)され、取材可能な場所を1箇所に限定し、住民インタビューは建物外で行うことなどがルール化されたと聞く。そしてその後は、全地域に同様のルールが慣行化されているようだ。

避難所は、いわば仮の「自宅」であって、取材といえども報道関係者が勝手に中に入ってよいはずはない。当然、そこには節度や自律が求められる。しかし一方で、取材できる避難所を行政側の判断で1箇所に限定することや、内部の取材(撮影)を一切認めないなどの状況はいかがなものか。提供写真や避難者の撮影した映像などを活用して、中の様子を私たちは知ることができるものの、すでに1カ月半以上がたつなかで、いまだに板張りの床に段ボール仕切りの生活がどのような実態なのか、むしろ知らせることで改善につなげられることも少なくないだろう。

自由な取材は無理だとしても、いわゆる「メディアスクラム対応」の延長線上として、地元の報道責任者が真摯に協議し、少しでも実情が伝わる工夫をしていくことが必要だと感じた。この点、今回の震災では地元報道機関の独自ネタ意識が強いせいか、メディア間での調整がうまくなされていないのではないか、との印象を持つ場面があったのは残念だ。

定期的な内部の撮影などによって、避難者の生活改善が具体的に図られているのかの検証や、自主避難所も含めた代表取材等によって、住民の生の声を社会全体で共有するような機会を設けることなど、報道関係者間総体として協働していくことが、こうした長期化する大規模災害では求められていると思う。

このほかにも、津波避難アナウンスや特別番組編成など、放送独自の検証課題もある。とりわけ民放の場合は、キー局を中心としたネットワークの関係の中で、どのように地元住民の要望に即した報道をしていくかは喫緊の問題であり、悩みが尽きないことと思う。しかも、県内でもたとえば金沢は全く平常の生活がなされているように見受けられ、被災地との温度差は大きいようだ。ただし報道機関として、視聴者からのクレームがあったとしても、より被災地を慮る姿勢が放送には求められよう。この点は今後、アンケート調査なども含めありようを議論していくことが必要だと思う。

最新記事