各地の放送局と放送文化基金が共催する「制作者フォーラム」が、11月から2023年1月まで、全国5地区(北日本、北信越、愛知・岐阜・三重、中・四国、九州・沖縄)で開催されている。フォーラムでは、制作者同士の交流の場を設けることを目指し、若手制作者によるミニ番組コンテストと、ゲスト審査員のトークセッションが行われる。民放onlineでは各地区の模様を伝える。今回は「九州・沖縄」。
なお、各地区から制作者が集う「全国制作者フォーラム」は23年2月18日(土)、東京の如水会館で行われる。
「九州放送映像祭&制作者フォーラムinふくおか」は11月26日、福岡市のNHK福岡放送局・よかビジョンホールで開かれた。九州・沖縄地区の民放24社とNHK8放送局から約60人が参加。各地区のフォーラムと異なり、今回で45回目を数える九州放送映像祭と2000年から共催している点が特徴的だ。
ミニ番組コンテスト
若手が制作したニュースのコーナーや特番などを5分以内にまとめて上映するミニ番組コンテストも映像祭を特徴づけている。制作者たちは、番組の狙いや取材の裏側、あるいは「戦争企画を手掛けたくて放送局に入った」など、自身の入社動機に至るまで熱心にプレゼン。コロナ禍の困難を浮き彫りにした特集やそれをはねのける人々の活気を描いた番組、会場の笑いを誘うバラエティ色の強い企画から戦争や災害の実像に迫ったものなど、多彩なテーマや切り口の32作品が入賞を競い合った。
審査員は阿武野勝彦氏(東海テレビゼネラル・プロデューサー)、渡辺考氏(NHK沖縄放送局コンテンツセンターエクスパート)、古川恵子氏(長崎放送報道メディア局報道制作部記者)の3人。作品に対する講評では、優れている点だけでなく「ダメ押しのようなスーパーの多用は考え直すべきだ」「取り上げた地域の地図など、俯瞰する情報があればより分かりやすかった」など、具体的に改善すべきポイントも指摘された。
審査員や実行委員会メンバーによる採点と合議により、受賞10作品を決定。このうち、全国制作者フォーラムに招かれる3作品は次のとおり。
▷グランプリ:RKB毎日放送・両角竜太郎氏=『耳で感じる冬 ~"音"風景~』
▷準グランプリ:熊本放送・徳本光太朗氏=『「玉中全力じゃんけん大会」~コロナの不満をふき飛ばせ!~』
▷準グランプリ:テレビ大分・牧野夏佳氏=『墨魂は尽きることなく ~ALSと闘った書道教師の2年間~』
グランプリ作品は、町中に存在するさまざまな音を切り口にコロナ禍の人々の励ましとなることを意識したカメラマンリポート。制作した両角氏は、「報道機関はコロナ禍の嫌な出来事を報じなければならないが、前向きになれるような番組をつくることも役割ではないか」と企画意図を明かし、「番組づくりで九州・沖縄がリードしていけるよう、共にがんばりましょう」と会場に呼びかけた。
<ミニ番組コンテスト表彰式の模様>
トークセッション
「逆境を味方につける」と題した審査員によるトークセッションも行われた。コーディネーターはRKB毎日放送の大村由紀子氏。それぞれの現場での"逆境"経験について、古川氏はコロナ禍で長崎の被爆者取材が困難を極めていることを挙げ、「コロナ禍もあって、取材を断られたら気にせず諦める」と明かした。同時に、「取材を断られても素敵な断られ方をすべき。そこでまいた種が何年も後につながることがある」と、取材先との関係性の重要さを訴えた。2021年4月に沖縄放送局に移った渡辺氏は、沖縄と本土との間にある"壁"の分厚さに触れ、「無理して乗り越えようとせず、長い目でじっくり取り組みたい。今は種をまく時期だと思っている」と見通しを述べた。「本当に逆境なのか?」と問い返したのは阿武野氏。営業担当時代の経験をもとに、その後営業部門と競合しないドキュメンタリーのセールス方法を見いだしたことから、「逆境気分に乗っかるな。どこに行っても"青い山"はある」と喝破した。
第10回日本放送文化大賞テレビ・準グランプリに輝いた14年のドキュメンタリー『人間神様』で、氏子を神様の代役として崇める祭りに密着した古川氏。「取材対象に怒られるのを覚悟してカメラを回した。そこで撮らないと一生撮れないので、やるしかない」と取材を振り返った。早朝から神社の掃除に参加するなど、「(取材対象とは)一時的に険悪になっても盛り返せるような人間関係をあらかじめ作っておいた」と、取材の土台となる工夫も明かした。これを受けて大村氏が、カメラマンと対立したエピソードを披露。「嫌がる人を撮りたくない」「取材相手に喜ばれる仕事がしたい」というカメラマンの事例を挙げ、「そもそも取材とはそういうものではないのでは」と提起。これに渡辺氏は「虎穴に入らずんば......の精神で、あえて怒られに行くような取材相手はいる。避けて通ってしまっては、ピースが欠けるようで後悔することになる」と応じた。阿武野氏は「断った人は見せたくない宝を持っている人。断られることを厭わずにやるべきだ」と説くとともに、「合理的な取材ばかり求めて、逆境を作り出しているのは誰だ」と投げかけた。取材対象に何らかのイベントがある時にだけ撮影に行く実情については、古川氏が「何が起きるかなど前もって分かるはずがない。阿武野さんが言っていたが、たとえ空振りになっても、何でもない一日にカメラを回すべきだ」と述べた。
<トークセッションの模様>
コンテストの参加番組全体を振り返り、阿武野氏が表現手法について注文。「音楽とスーパーをなぜ付ける必要があるのか、考えたことはあるか」と会場に問いかけ、「音楽は『ここで感動して』という制作者の心根を見せてしまう」「スーパーは映像を汚すもの。それを付けて気持ち良いか。そして、それを見せられる側はどう思うのか」と、映像作品としての番組のあるべき姿を訴えた。また、2011年から続く東海テレビドキュメンタリー劇場では、"出演者の年齢を表示しない"といった新たな試みを毎回取り入れていることを明かした。戦争を題材とした番組をめぐる議論も。渡辺氏は、長崎放送局時代に過去の番組アーカイブを掘り下げたことで、「原爆ものは既にあらゆる角度で作られている」と感じたという。しかし、最近沖縄でひめゆり学徒隊の証言テープが眠っていることがわかった事例などから、「証言者が減って取材が容易でなくなる中でも、探せばネタはまだある。勇気を持って進めば見える光景はある」との手応えを語った。古川氏は被爆者取材の複雑な実相を吐露。長い時間を経て被爆者に起きる記憶の混濁を紹介するとともに、インタビューの中で被爆者の抱える心の傷の複雑さを垣間見る瞬間もあり、「本当にあった出来事なんだ」とあらためて気付かされるという。
質疑応答では、若手にいかにチャンスを与えて教育すべきかとの質問が寄せられた。自身も記者である古川氏は、記者やディレクターたちは日々のニュースなどで手一杯のため、自ら若手に「このネタを取材しては」と声をかけているといい、「ニュースや特集は番組の大切な種だ」と述べた。阿武野氏は、社内で若手が企画を提案してくる良い回転ができており、その前提として「時間とスタッフを惜しみなく確保し、体制を整えないと人は育たない」と断言した。
最後の締め括りで、自身が追い続けているネタに「またか」と白い目が向けられることがあるという古川氏は、しかし「動画をウェブに載せると多数再生され、社内の空気がガラッと変わることがある」といい、「難しいネタでも見たい人はいる。そっと種を置き続けていきたい」と語った。渡辺氏は、これからの沖縄での番組づくりを展望し、「困難やトラブルは間違いなくある。恐いけどワクワクしている。沖縄という大きなテーマに臨むのは、エベレストに挑むクライマーの気持ちだ」と意気込みを語った。阿武野氏は、組織と個人のありように触れ、「常に自らに刃を向けて流されないようにする必要がある。このままでは放送はダメになってしまう」と危機感を示すとともに、「われわれは一般の企業ではなく、あくまでもメディア。大事なメッセージをきちんと出していく必要がある。皆さんにはがんばってほしい」と参加者にエールを送った。