シリーズ企画「戦争と向き合う」は、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていく企画です(まとめページはこちら)。第17回は対談です。ドキュメンタリー映画『黒川の女たち』の公開が7月12日に東京のユーロスペース、新宿ピカデリーなど全国で始まりました。戦時下に国策として実施された満蒙開拓により、中国の東北部・満洲に渡った開拓団はソ連軍の満洲侵攻により、集団自決を選択した団もあれば、逃避行の末に息絶えた人も多かった。そんな中、岐阜県から渡った黒川開拓団の人々は生きて日本に帰るために、敵であるソ連軍に助けを求め、その見返りに、数えで18歳以上の女性たちが性の相手として差し出されました。帰国後、女性たちを待っていたのは労いではなく、差別と偏見の目。しかし、長年伏せられてきたこの事実を証言する女性が現れました。
民放onlineでは、同作の監督を務めたテレビ朝日の松原文枝さんと、25年にわたる満蒙開拓の証言記録とドキュメンタリー番組の制作で放送文化基金賞などを受賞している信越放送(SBC)の手塚孝典さんのお二人による対談を企画しました。手塚さんがディレクターを務めたSBCスペシャル『沈黙の奥底~河野村分村が問いかけるもの~』(2024年8月放送)は、満蒙開拓団を送り出した側の加害責任と向き合う当事者たちの子孫にスポットを当てます。満蒙開拓、ひいては戦争によって起きた出来事から何を学ぶのか、また、証言者の声を伝えるために必要なことなどを中心に話し合っていただきました。(編集広報部)
伝えてくれる人を待っていた
松原 この映画は、もともとテレビ朝日系列のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」の『史実を刻む~語り継ぐ"戦争と性暴力"~』が始まりです。旧満州で性接待を強いられたと、性暴力被害を女性たち自身が告白され、それを戦後の世代が事実を認めて、謝罪し記録を碑文として残すところを取材し2019年8月に放送しました。歴史を残すことに真正面から向き合う行為が非常に尊いと思いました。女性たちが声を上げたいのにできなかったのは社会からの蔑みだったり、卑しめられたりという経験からです。本来守られるべき被害者が黙らされているという現状がある中、その声を受け止めた人たちがいて、性暴力が行われたことが社会に知れわたった。それによって何が起きるのかに関心を持ち、放送後も取材していました。主人公の一人、佐藤ハルエさんの元を多くの人たちが訪ね始めた。小中高の先生たちや、大学生、高校生、一般の会社員らです。声を上げて立ち向かっていったことが人の心を揺さぶり、行動にまでつながるところを目の当たりにしました。
その取材を始めて4年くらいして、ある女性に大きな変化がありました。黒川村の性被害を受けた女性の中でお一人は、2019年に最初に取材した時には、顔も名前も出せず、表情も硬く、誰にも言えない、家族にも言えないと、非常に苦しんでおられた。70年近くもトラウマに苛まれていました。その方がものすごく笑顔になられていた。「性接待の事実」を家族が知ることになり、家族が女性をとても大事にされて、人間性を取り戻しつつある姿を見たときに、何か形にしたいと思ったのが映画化の一つのきっかけです。その後に最も声を上げ続けてきた佐藤ハルエさんが亡くなる場面に立ち会いました。それは私にはとても重たいことで、彼女たちが成し遂げてきたことを何か形にして残さねばといった責務に駆られるような気持ちになりました。女性たちに突き動かされ、映画をつくりました。だから、この映画は、戦時下での性被害を受けた方の生き方、また尊厳の回復を伝えたい思いでつくっています。そして、彼女たちをとおして、戦争の罪深さ――弱者が犠牲になり、戦後も力を持つものは抑圧を続ける、このことを見つめてほしい。女性たちの人生を奪った為政者の判断、満蒙開拓というものも問うてほしいと背景も描きました。
<性被害を証言した佐藤ハルエさん>
手塚 映画の中で、2013年に佐藤ハルエさんが長野県の満蒙開拓平和記念館に来て、黒川開拓団の性被害の話をする場面があります。あのとき僕は取材に行きませんでしたが、記念館からすぐに連絡をいただき、話の内容を知りました。これは絶対に話を聞きに行ったほうがいいと思いながら、一方で、証言のあまりの苛烈さに、受け止めきれないとも思っていました。映画の中でハルエさんのお孫さんが「伝える人を待っていたんだ」ということを言いますね。あの言葉に、ちょっとぐさっときました。日本に引き揚げてきた後に、結局誰も話を聞いてくれないわけじゃないですか。むしろ、周囲はなかったことにしたい人たちばかりで、聞いてくれたとしても世の中に伝わっていかない。そういう七十数年間を生きてきたハルエさんの気持ちを考えたときに、伝えるべき者のひとりである自分のことを問われた気がしました。松原さんはその気持ちに応えたわけで、この映画をつくるべくしてつくったんだと思いました。
松原 そもそも2013年に佐藤ハルエさんの証言をメディアは伝えていないんです。そこから空白があって、2017年になってNHKや中日新聞が伝えるんですが、2013年には何一つ記事にならなかったんですよね。
事実を絶対になかったことにしない
手塚 2017年にNHKのETV特集『告白~満蒙開拓団の女たち~』が大きく取り上げられ、後追いでいろんなテレビ、新聞が取材を始めた印象です。どうしてあのときに取材に行かなかったのかと、やっぱり後悔はあって、この映画を見ると余計にそう思いますね。自分たちのことを分かってもらいたい、伝えたいという人がいたのに、その声を届けなかったわけですから。映画を見て思ったのは、この事実を絶対になかったことにしないという決意、それがあの女性たちにも松原さんにも根底にあって、ものすごく響いてきます。それから、前半のすごい緊張感と少しとげとげした感じの一方、後半の共感が広がるところの対比はすごくいいですね。あの事実を伝えることはできても、それを受け取った側がどうするのか、それをどう先に進めるのかは難しいと思います。僕はそこに戸惑っていたのかもしれないけれども、この映画で描かれているように、受け取った人がまた違う人に違う形で受け渡していく広がり方は、歴史から何を学んで何を教訓にするのか、ということにつながるのではないかと感じました。
松原 なかったことにできないというのは、手塚さんの『沈黙の奥底~河野村分村が問いかけるもの~』も同じだと思います。やっぱり何か残さなきゃいけない。
手塚 誰かがあったことを公にして残さないと、なかったことになっていくのは、それこそ為政者の思うつぼで、事実が埋もれてしまい、真実が覆い隠されていってしまう。そのことに断固として抵抗する、拒否する態度がこの映画の根底にあるのかなと思いますね。
松原 理解して考えてくれる人を、彼女たち、あるいは痛みを持った戦争体験者の人たちは待っているんだと思います。伝えられるところまでいかないかもしれないけれども、そもそも分かるためにはある程度の知識が必要だし、理解しようと努力することも求められます。
手塚 松原さんは政治記者だったわけで、ずっと現代の政治を見てきて、そこであらがってきた人だからこそ話を聞き、取材できたんじゃないかなと思います。
<手塚孝典さん㊧と松原文枝さん㊨ 2025年6月23日 民放連会議室にて>
松原 特にこの女性たちの中でハルエさんは、「みんなのために」と言っていますけれども、実は80年代から声を上げていて、意に反して匿名で書かれた記事には、自分たちが犠牲になり、あるいは帰ってきてからのおとしめられ方に対してとても憤り、二度と繰り返してはいけないという考えを語っています。その後も、地元記者に満洲での体験を書いてほしいと伝えています。結果的には記事になりませんでしたが。彼女は不条理を打ち破ろうとしてきた。その強さや背景をもっと聞きたかった。私が時代背景などを把握し理解していれば、もっとお話しいただけたんじゃないかと思うんです。もう、時は既に遅くて......。彼女の時間がありませんでした。後悔は大きいです。
手塚 あれだけ虐げられてきた人たちが、さらにおとしめられるかもしれないのに、ずっと伝えることを諦めずに生きてきた。それを支えていたものとか、何をよすがにしていたのでしょうか。それは映画を見た一人一人が考えればいいと思いますが、被害の実像を受け止めて向き合う、その奥にある女性たちの姿に近づきたいと、僕も強く感じましたね。
加害と被害の構造
手塚 映画の後半で共感が広がっていく。これは、すごくいいところなんだけれども、それを受け取った側としては、「ああ、よかったね」とは終われないじゃないですか。そこから何を見いだしていくか、見た側が考えなければいけないと思うんです。例えば、構造的なものが背景にあって、戦時下であれば女性が犠牲になっても構わないのかとか、もっと広く言えば何かあったときに弱者を犠牲にして生き延びることが許されるのかとか、いろんな問いかけが浮かぶわけで、犠牲になった側だけでなく犠牲を強いた側の意識とか精神性も考えていきたいなと......。
松原 それはよく分かります。手塚さんの『沈黙の奥底』で、自分たちが国や村のためにと思ってやったことが、侵略に加担することにつながったということが出てきますね。
<SBCスペシャル『沈黙の奥底~河野村分村が問いかけるもの~』(2024年8月放送)より>
手塚 あの時代の判断を今の価値観で語るのはよくないと、よく言われますが、女性たちの犠牲によって生き延びた黒川開拓団の四百数十人は引き揚げることができたという事実がある。それをどう見るかということも一緒に考えていかないといけないと思います。映画の中で遺族会会長の藤井宏之さんがハルエさんに、「あなたがいたおかげで自分の命がある」という言い方で感謝の気持ちを伝えます。あれは本心なんだろうけれども、言うときに少しためらいとか葛藤はないのかなとも思ってしまいました。
松原 彼らが「犠牲になったおかげで」という言葉に私自身も違和感はあります。ただ、その子孫が言葉にするのは自然なことで、第三者が言うのとは違います。国や共同体が尊い犠牲という美談にすり替えるのは問題です。さらに彼らは自分たちの親の世代がおかしたことについて責任を引き受け、事実として認めて、碑文に残し、謝るということ自体は特に今の世相の中でとても大事なことだと思いました。ただ、構造的な問題を考えなければいけなくて、例えば、集団自決か性接待かといった二者択一で、あなただったらどうするか聞かれるんですけれども、もっと手前のところで国は開拓民を疎開させるとか、引き揚げさせるとか、本来やるべきことがあったはずです。こういうことが起きないようにどうするか、為政者の判断というものが問われるべきだと思います。今の時代につながる問題です。
手塚 本作では為政者の判断を直接的に問う描き方はしていませんが、説明的な要素や描き方をすることと、伝わることとは別な気がします。見て、そのことに気づいた人が考えを深めていく、そこからどれだけ多くのことを考えられるか、そうした映像作品でありたいですね。ただ、松原さんが言ったように、究極の選択みたいに考えるのはよくなくて、今でも二つのうちどちらかを選ばなくてはいけないというロジックをよく政治家が使うじゃないですか。だけれども、本当はそうじゃなくて、もっと違う道も探せばあるのではないか、常にそうしたことを考えられる思考のトレーニングが必要で、それも教訓の一つだと思うんですよね。
国策としての満蒙開拓を問う
手塚 映画の後半に高校の授業で、先生が男性目線で歴史が書かれていると言っています。本当にそうだと思うけれども、僕ら描き手もその歴史観に乗って無頓着でいるところがあるんじゃないでしょうか。ジェンダーの観点で、女性の視点で国策を問うみたいなことは、今までないと思います。
松原 ハルエさんたちは国策を問うという姿勢で証言はしていないのですよね。根底にはあったと思います。ハルエさんたちをとおして、当時の政治状況や社会のありようを知って考えてほしいとは思いました。
手塚 当時の天皇制国家主義とか、家父長制とか、そういう社会のベースにあるものがすごく問われていると思うし、黒川開拓団の場合も、そうさせているものにも意識が及ぶというか、それを描くわけではないけれども、一つ一つの事象の中から考えていかないといけないのかなと思います。
松原 それはそうですよね。彼女たちがなぜああやって犠牲になったのか。家父長制の中での女性の位置付けから来てますし、女性の尊厳よりも共同体を守ることが優先される。また、国体を守ることが優先され、軍国主義のもとで「生きて虜囚の辱めを受けず」という教育を受ける。社会のあり方、為政者の判断というのが、いかに一人一人の人生を位置付けるかを考えてもらえたらと思います。
手塚 そして、戦後にそのことへの反省があったのかというと、ないわけです。うやむやになったわけでしょう。だから、もやもやしたまま続いている。それと結び付けていいか分からないけれども、開拓団の男性たちが引き揚げてきた後、女性たちをおとしめるようなことを言ってきたのも、それが許されるという意識があったからでしょう。そういう戦争中の精神性みたいなものは、敗戦によって断ち切れずに、社会の底流に澱んでいて、戦後社会に影響しているんじゃないかと感じました。
松原 映画の中に出てきた高校生たちも、今に続く社会の構造的な問題点を非常に敏感に感じ取っている。だから、女性たちも変わっていないことを訴え続けたかったんだと思うんですよね。ずっと声を上げ続けようとしてきたのがあの力強さにつながっていると思います。
相容れない二つの考え方と伝えることの意義
手塚 「この件は公にしちゃ駄目なんだ」と言う前・遺族会会長の藤井恒さんの話はもうちょっと聞きたいなと思いました。女性たちを守りたいという彼なりの信念があったと思うし、よかれと思って言っている。それは間違いないと思う。一方で、その発想自体が、映画の後半で展開されるような、彼女たちの話を聞いて理解していこうという価値観とはまったく違う。
松原 恒さんは、戦後、女性たちが蔑みであったり、おとしめられたりするのを見ていたので、彼からすると、公にしないことは彼女たちを守ることだと信念を持っていて、今でも考えは変わっていません。ただ、それは、当時の意識をそのまま引きずっている。女性たちが自分たちの言葉で語ることは抑えようとする。女性たちの意志を尊重しているわけではないんですよね。今の時代に理解されるかというと難しいかなと思います。
<2018年に完成した碑文には性被害の事実も記された>
手塚 それ自体がこの問題を隠蔽することにつながっているのではないかということを、正面からは言いにくいけれども、ちょっと問うてみたいなと僕は見ていて思いました。相容れない考えの人同士で対話ができなくなると、わだかまりだけが残り続ける。そうなると共同体が立ち行かなくなるから、結局、みんな黙ってしまいます。黒川はそういう状態が戦後七十数年続いてきたわけでしょう。ようやくそこから一歩踏み出せて、この事実が伝わるようになった。『沈黙の奥底』で取り上げた河野村も、送られた側、送り出した側、引き揚げた人たち、亡くなった人たちの遺族、さまざまな立場に置かれた人々がいて、いろいろな感情があるなかですべての人たちが理解し合えるわけではなかったと思うんですが、開拓団の集団死を生き延びた久保田諌さんがその話をしなかったら、全く何もなかったことになっていたし、当時の河野村長の遺族が『胡桃澤盛日記』を公にしなかったら、送り出した側の苦悩を知ることもなかった。村長の孫の胡桃澤伸さんがいなかったら、中国で当時開拓団に土地を提供させられた蔡さんの証言も世に出なかったかもしれない。
テレビもそうですが、公の場で語ることで、当時の苦しみを分かってくれる人たちが出てくることもあるわけです。証言した本人も、今まで話せなかったことを話してもいいんだと思うようになって、積極的に社会にアプローチし始める。そういう土壌が少しずつ広がってきて、みんなが少しずつ語り合えるようになって、ようやくこの事実の全体像に近づいて、それが残っていくことになった。たぶん、黒川村もそうだと思うんだけれども、女性たちもいたし、藤井宏之さんのように新しい遺族会の立場を代表する人もいた。もちろん女性の家族も大きかったと思うし、高校の先生、研究者といろいろな人がいたと思います。結果的にこの事実がきちんと伝わっていく土壌が耕されてきたのは大事なことで、取材して世に伝えることの意味の一つかなと思いますね。
映画は考える場
松原 映画は『ハマのドン』(2023年5月公開)をつくったときに、思考を促す媒体というか場だと思ったんです。テレビのドキュメンタリーも考えさせられますが、映画を見終わるとテレビと違ってチャンネルをすぐ変えるわけではないし、映画館の中で見ると意識を覚醒させられる、深く考える場だと感じました。議論したり、友達や知人と来ればその話をするし。テレビのほうが多くの方に見ていただける媒体だと思うんですけれども、やっぱり考えることがものすごく今大事だなと思っています。もう一つは、作品として一つの記録として長く残ることになります。こうした歴史の証言としては大きな意味を持つと思います。
手塚 映画は今までやっていないのでつくりたいですけれどもね。ローカル局のテレビは、地域の人にその地域のことを知ってもらうのにいいですね。自分が住んでいる村の開拓団のことを番組を見て初めて知ったという人もいました。それによって地域のことを考えたりという役割もローカル局にはあると思います。一方で、松原さんが言ったように、じっくり考える時間を持ってもらう媒体としての映画も、特に満蒙開拓や戦争に関わるテーマでは大事だと思います。
松原 お金を払って映画を見に来てくださるというのはものすごく大きいことなので、それに足り得るものでないと、なかなか難しいですね。
<映画ポスターを挟んで>
※映画『黒川の女たち』の上映情報などはこちら(外部サイトに遷移します)。
(2025年6月23日 民放連会議室にて)
テレビ朝日 ビジネスプロデュース局ビジネス開発担当部長
松原文枝(まつばら・ふみえ)
1991年テレビ朝日入社。政治部・経済部記者、『ニュースステーション』『報道ステーション』チーフプロデューサー、経済部長を経て現職。『報道ステーション』の特集「独ワイマール憲法の教訓」がギャラクシー賞テレビ部門大賞。『ハマのドン』が放送人グランプリ優秀賞など。映画化されキネマ旬報文化映画ベスト・テン第3位。著書に『ハマのドン 横浜カジノ阻止をめぐる闘い』のほか『刻印 満蒙開拓団 黒川村の女性たち』が8月26日に刊行。
信越放送 情報センター制作部主幹
手塚孝典(てづか・たかのり)
25年にわたり満蒙開拓を取材。『残された刻~満州移民・最後の証言~』が「地方の時代」映像祭で佐藤真賞。『刻印~不都合な史実を語り継ぐ~』が日本民間放送連盟賞番組部門テレビ教養で最優秀。長年の取り組みが2023年同賞特別表彰部門「放送と公共性」で優秀。2025年に「放送人グランプリ2025」特別賞、第51回放送文化基金賞放送文化部門を受賞。著書に『幻の村-哀史・満蒙開拓』(早稲田新書)。