さまざまな国や地域で、ネット中立性規則をめぐる動きが活発化してきた。トランプ政権によって撤廃された同規則を復活させようとする米国。ブレグジットによりEU規則から解き放たれ、独自の規則制定を目指す英国。また、韓国では『イカゲーム』人気で爆発的に増えたトラフィックへの対応コストをネットワーク使用料(以下、ネット使用料)としてNetflixに負担させようとするSKブロードバンド(SKB)と、ネット中立性を盾にこれを拒否するNetflixの闘いが注目されていた。ネット使用料はEUでも、その妥当性が俎上に載っている。ここでは、それぞれの政治やICT産業の動向を背景に、どのような議論がなされているのか、みてみよう。
米国:ネット中立性規則復活か?
米国の連邦通信委員会(FCC)は10月19日、トランプ政権下の2017年に覆されたネット中立性規則の復活に向けた手続きの一環として、意見募集を開始した。回答期限は12月14日。空席が続いていたFCCは民主党系委員の席が埋まり、この党派性を帯びた問題はバイデン政権成立3年でようやく動き出した。現状、1934年通信法における「タイトルⅠ」の情報サービスに分類され、比較的緩やかな規制下にあるインターネット・サービス・プロバイダー(ISP)を、「タイトルⅡ」の公益事業的な電気通信サービスに分類し直し、厳格な規制を課そうとするものである。
今回、FCCはネット中立性規則を正当化する論拠として、新たに国際情勢の緊迫化を挙げ、国家安全保障の面からも、規則復活の必要性を主張している。例えば、中国の国営企業から米国での事業の権限を剥奪した際、FCCに規制権限がなかったためブロードバンドサービスについては対処できなかったことを「国家安全保障の抜け穴」だと指摘している。また、個人情報保護の面からも、「FCCはタイトルⅠの音声通話には対応できても、ブロードバンドに対応することができない」として、サイバーセキュリティ対策の面からも正当性を強調している。
米国では党派的な対立により反転を繰り返してきたネット中立性規則だが、共和党を中心とする反対派は2018年の同規則廃止以降も、推進派が危惧していたようなISPによるコンテンツのブロックやインターネットの速度を低下させるスロットルなどの事態は起きず、「推進派は根拠のない主張に基づいて、規制権限の帝国を築こうとしていた」「事実無根だからこそ民主党を中心とする推進派は、新たに国家安全保障を論拠として持ち出した」と批判している。
反対派によれば、その国家安全保障については、外国企業による投資を審査・阻止する権限を持つ対米外国投資委員会(CFIUS)があり、民間の弁護士や技術者などで構成されるFCCが、他機関の機密情報を知ることはできないし、知るべきでもないとしている。またネット中立性規則の核となる「無差別」の概念により、テロリストや米国の国家安全保障に害悪を及ぼす意図で情報発信しているウェブサイトについてもブロックすることができなくなり、かえって国家安全保障を脅かす可能性すらあるという。
またFCCの管轄権について、ISPを情報サービスと電気通信サービスのいずれかに分類する権限を連邦議会から与えられているかどうかは、これまでも事あるごとに議論が蒸し返されてきた。これまでFCCは、「法的にあいまいな部分がある場合は、裁判所は行政機関の解釈に従う」とするシェブロン法理を根拠にこの権限の正当性を主張してきた。シェブロン法理をめぐっては、行政の介入をできるだけ排したい共和党と、行政権の弱体化を懸念する民主党の間で長く対立が続いている。24年には(他業種についてではあるが)シェブロン法理にかかわる審理が予定されており、場合によってはFCCの主張を揺るがす可能性もある。保守派が多数を占める現在の最高裁でどういった判断が出されるのか注目される。
一方、推進派の代表的な見解は、マイケル・コップス元FCC委員長(民主党)のシアトル・タイムズへの寄稿に凝縮されている。コップス氏は、「重要な社会インフラであり民主主義の広場となっているインターネットを、少数のISPにゲートキーパーとして支配されてはならない」「決して強権的な規制を推進したいのではなく、市民生活の中心にある公益的なものに対する監視があることを確認しておきたいのだ」と述べている。
また、「寡占状態にある巨大IT企業が市民の言論を検閲することを許せば、民主主義に対する直接的な脅威となる」「ISPがここで勝利すれば、その力はますます強大なものとなる。コムキャストによるNBCUの買収のように、すでにISPはコンテンツ・プロバイダー(CP)を買収しており、配信とコンテンツの両者をコントロールする組み合わせは独占の本質だ」として、ISPの力を抑制する段階にきていると主張している。
政権交代のたびに揺れる米国のネット中立性規則だが、司法の動きも絡んで、恒久的な規則となるまでは遠い道のりとなりそうだ。
韓国:ネット中立性は無関係?
Netflix対SKブロードバンドは訴訟取り下げ提携へ
韓国のISP、SKブロードバンド(SKB)とNetflixは9月18日、相互に提起していたすべての訴訟を取り下げると発表した。いわゆるネット使用料の「二重取り」か、それとも「ただ乗り」か、を争うネット使用料問題は欧米でも争点となっており、韓国の動向に注目が集まっていた。
両者の争いは、2019年にSKBがデータトラフィックの多いNetflixにネット使用料を支払うよう求めたことに始まる(1)。Netflixのトラフィック増加への対応で増大した設備投資やメンテナンスなどのコストについて、SKBは同年11月、Netflix韓国法人およびNetflix(以下、Netflixと総称)にはネット使用料を支払う必要があるとして通信委員会(KCC)に裁定を申し立てた。これに対してNetflix側は、20年4月、ソウル中央地方裁判所にSKBを提訴、NetflixにSKBとネット使用料について交渉および支払いの義務がないことを確認するよう求めていた。
同地裁は21年6月、「Netflixはネット使用料を支払うことが合理的」「金額は当事者間で交渉・合意するべき」とする判断を示した。Netflixはこれを不服として控訴、SKBもソウルの高等裁判所にネット使用料の額を決定するよう求める反訴を起こした。
Netflixは一審ではネット中立性を根拠にネット使用料の支払いを拒否していたが、地裁が「ネット中立性はこの紛争とは無関係」と結論づけ、さらに「インターネットはブロードバンドとCPが対価の授受を伴う企業間取引を行う双方向市場モデル (2)に適合している」という見解を示したため、Netflixは控訴審で新たに「ピアリング」の原則を持ち出し、論陣を張っていた。ピアリングとは、同規模のISPの相互接続によって生じたトラフィックについては、互いに料金を請求しないという慣例だ。
2020年には電気通信事業法改正(通称、Netflix法)により、一定基準以上のOTT事業者にネットワークのトラフィックの混乱を避け、安定的なサービスを提供する品質維持や管理が義務付けられた。今国会では、ネット使用料絡みの法案が8本提出されており、この議論は収まりそうにない。
SKBとその親会社SKテレコム、Netflixの共同声明によると、今後は共同で製品を開発し、SKテレコムが開発したAI技術をNetflixで活用する機会を探る。会話型ユーザーエクスペリエンスやパーソナライズされたレコメンデーション機能などが含まれるとみられる。また、2024年前半に、SKテレコムの定額制サービス「Tユニバース」に、Netflixの広告付きベーシックサービスをバンドルするとしている。
控訴審でも敗訴し、世界中に同種の訴訟が飛び火することを恐れたNetflixが、SKBに対し、ネット使用料相当の補償金を支払うとみられるが、両者は交渉の詳細を明らかにしていない。こうして注目の論争は回避されたまま、幕引きとなった。
12月5日、韓国市場におけるネット使用料の意味が問い直される事態が起こった。Amazon傘下のゲーム・eスポーツ実況配信サービスTwitchが、韓国市場から2月27日に撤退すると発表したのだ。ネット使用料が他国の10倍かかるため、Twitchは韓国で多額の赤字を計上していた。画質を落とすなどの企業努力では吸収しきれなかったとしている。デジタル経済に対する規制の一つの結果として受け止められている。
Twitchの撤退で、400人の従業員の今後はもとより、21年には800万人超となったストリーマーや国際的プレーヤーの離脱、視聴者コミュニティの分断による視聴者数の減少など、エコシステムの中にいたすべての人が影響を受けるとともに、同国のデジタル経済に多大な影響を与えるとみられている。特にTwitchに出稿するなどしていた中小企業にとってはマーケティング機会の減少や財務損失につながる恐れもある。
さらに、投資家やIT企業に、現在の韓国の規制枠組みの下での韓国市場への参入を躊躇させ、デジタル経済の成長を遅らせる可能性がある。
それでも韓国が近い将来、ネット使用料を見直す可能性は低く、大統領選を間近に控えた米国との間で、貿易摩擦の火種にもなりうる。より広範な経済圏の参加者への影響を考慮した政策が必要との声もある。
英国:現実路線に踏み出す
英国では放送通信分野の独立規制機関・放送通信庁(Ofcom)が、「ネット中立性規則運用ガイドライン」の改訂案を発表した。需要の拡大、NetflixやAmazon Primeなど大手デジタル配信事業者の台頭、5Gなどの技術の進展を踏まえ、見直しが必要と判断したもの。英国は2016年にEUのネット中立性規則「The Open Internet Access (EU Regulation) Regulations 2016」を国内法制化したが、これを緩和する方向で22年10月からOfcomが意見募集を開始していた。規則自体は法律で定められており、修正は議会の手に委ねることになるが、「すべての関係者に最善の利益が継続的にもたらされるよう規則の解釈を明確化」し、ネットワーク事業者のより柔軟なサービス展開を期待するもの。
Ofcomは、「ネット中立性規則は概ねうまく機能している」と評価する一方、ネット中立性が新たなサービスの開発や効率的なネットワーク管理を制約している可能性に触れ、「CPに加えて、ISPやモバイル事業者によるイノベーション・投資・成長を確実にサポートしたい」としている。
これによりISPは、ユーザーのニーズに応じて(サービス内容について十分説明したうえで)、低遅延を必要とするゲームユーザーにはプレミアム品質のブロードバンドやモバイルサービスを、ウェブサイトの閲覧をメインとするユーザーには廉価版のサービスを提供することが可能となる。例えば、バーチャルリアリティをはじめ、遠隔手術や無人運転車などのアプリケーションのための新しい専門サービスを開発することができる。
また、提携関係などにある特定のウェブサイトやアプリで使用されるデータ量を、ユーザーの使用量としてカウントしないという「ゼロレーティング」が認められる。
ただし、ネット使用料については、CPにネットワークコストの「公正な負担(Fair Share)」を強いるに十分な根拠がないとして、認められなかった。
British Telecom(BT)グループのハワード・ワトソンCEOは今回の改定について、「どのような革新的ソリューションが認められるのかが明確になったので、投資がしやすくなる」とコメントしている。ただし、ネット使用料については、「場合によってはCPと交渉することを認めてもいいのではないか」と主張している。
英国の携帯電話会社4社で構成する業界団体Mobile UKも歓迎の意を示す一方、「Ofcom自身が認めているとおり、彼らは法律に制約されており、既存の規則の範囲内で可能な限りのことをしたにすぎない」「投資とイノベーションを妨げている規則の撤廃を政府に働きかける」とコメントした。
それでも今回の改訂は、「ネット中立性推進派と反対派の間の現実的な選択」と一定の評価がなされているようだ。
その英国が離脱したEUでは、ネット使用料をめぐるISPとCPの攻防が10年ほど続いている(3) 。欧州のISPは、送信者負担の考え方を「Fair Share」と称して、一時は欧州委員会で支持を集めていた。当初、EU幹部は2024年の任期終了までに法案を提出するとして検討していたものの、直近の報道によると、いまだ法案を提出していないという。送信者負担に賛同する議員の中でも、具体的な運用については意見が分かれていること、消費者負担が増える可能性があることなどが原因だ。こちらも、次期委員がどう対応するかは未知数とされている。
韓国では所与のものとなりつつあるネット使用料だが、その他主要国では「送信者負担はネット中立性に根本的に違反する」「技術的差別に加えて経済的な差別を生む」「データ配信に課金が行われれば、途方もない取引コストが発生し、インターネットのエコシステムが崩壊する」といった見解が主流となっている。ネット中立性規則も技術進展など状況の変化を受け、当初の原理主義的な厳格さを脱し、現実的な対応に移行する動きがみられる。
いずれにしても、エンドユーザーがオープンインターネットを享受できる環境整備をすることが肝要である。
(1)「接続料金訴訟でNetflixがSKブロードバンドに敗訴~韓国でもネット中立性が論点に」(民放online 2021/10/20 田代範子)参照。
(2)各ユーザーグループのプラットフォームの利用の程度が互いに影響を与え合う「間接的ネットワーク効果(indirect network effect)」が認められる市場のこと。(出典:「双方向市場の経済分析」砂田 充・大阪府立大学経済学部准教授、大橋 弘・東京大学大学院経済学研究科准教授、競争政策研究センター)
(3)両者の攻防については、「欧州でネット中立性規則をめぐる議論が再燃 ~ネット接続料めぐりIT企業とISPが対立、5G見据えた議論へ」(民放online 田代範子 2022/11/22)参照。
<主な参考資料>
〇FCC moves ahead with Title II net neutrality rules in 3-2 party-line vote(ArsTechnica 2023.10.20)
〇Restore net neutrality, crucial to democracy(Seattle Times 2023.11.20)
〇Ofcom net neutrality update dismisses calls for big tech contributions(IT Pro. 2023.10.30)
〇Twitch's exit highlights costs of South Korea's insular digital strategy(KOREA PRO 2023.12.6)