名古屋テレビ放送・小澄珠里さん「"命を救うテレビ"を目指して」<U30~新しい風>㉗

小澄 珠里
名古屋テレビ放送・小澄珠里さん「"命を救うテレビ"を目指して」<U30~新しい風>㉗

30歳以下の放送局員に「これから」を考えてもらう企画「U30~新しい風」(まとめページはこちら)。第27回は、名古屋テレビ放送の小澄珠里さんです。今年3月に放送したメ~テレドキュメント『救いの時差~ある小児がん医師の呻吟~』がABU(アジア太平洋放送連合)が主催する国際コンクールABU賞2025で今年テレビドキュメンタリー部門の最優秀賞をはじめ、テレビ朝日系列のPROGRESS賞全映協グランプリ2025の番組部門最優秀賞を受賞。入社7年目で現在は医療問題を中心に取材する小澄さんに、命と向き合う現場やドキュメンタリーづくりについて語っていただきました。(編集広報部)


私が愛知県警担当の記者から医療担当記者となり、約2年。それまでの事件・事故の被害者や遺族への取材から、病気の子どもたちや病気で子どもを亡くした親への取材へと対象が変わりました。

この間に、小学校の卒業式に出ることを目標に病院で治療に励む脳腫瘍の子ども、毎日約10回のインスリン注射が欠かせない1型糖尿病の子ども、病気を理由に保育園を退園させられた子ども、義眼で生活する子ども、小児がんで子どもを亡くした親、病室から出られない子どもたちのために活動するボランティア団体など、さまざまな病気を発症した子どもとその家族、支援者を取材させていただきました。

取材した人たちは皆、最もつらい時期が終わり、新しい道へ進もうとしていました。しかし、ドキュメンタリー番組『救いの時差~ある小児がん医師の呻吟~』(冒頭画像)の取材では、あすの命がどうなるかわからない子どもと家族にカメラを向けました。

ちひろちゃん、結衣ちゃんと向き合う

「力になってほしい」――2年前の冬、以前取材させていただいた方から連絡が来ました。そこで出会ったのが、神経芽腫という神経の細胞にできる小児がんが発症した久保田ちひろちゃん(9歳)とご家族です。イタリアで治療を受けるためクラウドファンディングで多額の資金を募るとのこと。ちひろちゃんは、日本国内で受けられる治療や薬がなく、救う手立てはないと告げられていました。私はとても緊張していました。報道しても資金が集まらなかったら......。家族の思いが伝わらなかったら......。たくさんの不安が頭の中を駆け巡りました。

その第一報をニュースで伝えるために原稿のチェックと改稿をした当時の石川智通編集長が「大丈夫。きっと伝わるよ」と背中を押してくれました。夕方のニュース情報番組『ドデスカ+』で特集を放送すると、多くの方がクラウドファンディングに協力してくれました。ちひろちゃんの命が救われるきっかけになったことがうれしくて、テレビ局で働いていてよかったと思えた瞬間でした。

しかし、手放しには喜べませんでした。
同じく取材を続けていた髙橋結衣ちゃん(6歳)は、ちひろちゃんと同じ病気ですがイタリアへ行くことがかないませんでした。病気の進行が早く、治療しても効果が期待できないと判断されたためです。結衣ちゃんは「リハビリの先生になりたい」と言っていました。きっとリハビリの担当者によくしてもらったのだろうと想像しました。結衣ちゃんのお母さんは、最後まで新しい治療薬が日本で開発されることを願っていました。

何もできない自分の無力さを感じましたし、いまでも取材以外に何かできることがあったのではないかと考えています。ABU賞を受賞したときには「同じような子どもがいなくなるように」という結衣ちゃんと家族の願いが審査員の方々に届いたのかなと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

助かる命と、助からない命

ちひろちゃんと結衣ちゃん、2人の主治医で名古屋大学病院の高橋義行医師は、「力不足で申し訳ない。情けない」とカメラが回っていないところで、よく話していました。日本で新薬が投与できるように努力をしているが、その間にも小児がんの子どもが一人また一人と亡くなっていく、とも。後述するように結衣ちゃんが亡くなったとき、悔しそうな表情をしていた高橋さんの姿を鮮明に覚えています。そんな誠実で紳士的な高橋医師に視点をおきながら、番組ではちひろちゃんと結衣ちゃんとそのご家族にも思いを寄せてもらえるように構成しました。

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<久保田ちひろちゃんと高橋義行医師>

『救いの時差』は、ちひろちゃんと結衣ちゃん、2人の命は同じなのに、ほんのわずかな差で助かる命と助からない命があるのはなぜか、という疑問を提示したい一心で制作しました。取材中も、撮影した映像の試写中も、編集中も、私は涙がとまりませんでした。番組制作を振り返っているいまも、ズーンっと暗い気持ちになっています。その理由が、直接命を救えない虚しさなのか、私の不甲斐なさなのか、いまだによくわかりません。

番組の取材中に結衣ちゃんが亡くなりました。
一報を聞いたとき、虚無感に襲われましたが気づいたら村瀬史憲プロデューサーに電話をしていました。「大丈夫?」と心配されましたが、平静を装っていました。結衣ちゃんの死を無駄にしないためにも、現実を伝えるためにも、取材しないといけないと思いました。そのときに撮影したのが、番組の最後にある高橋医師のインタビューです。

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<呻吟する高橋医師>

亡くなった後、結衣ちゃんのお母さんは「結衣のことを伝えていってほしい」との思いから、実名で放送することを許してくれました。酷なことでも人ごとと捉えてほしくないと思い、助かった命と助からなかった命、2つの命を合わせて番組にすることを決めました。

本当の痛み、苦しみ、支援を望む気持ちは本人や家族にしかわかりません。しかし本人たちの表情や仕草、言葉を番組を通じて広く視聴者に伝えることに意義があると思っています。ドキュメンタリーを見た人が、医師や研究者を目指したり、小児がん支援のボランティア活動に参加したり、研究資金の寄付をしてくれたりしたら、とてもうれしいです。

伝えることで何かが変われば

『救いの時差』の取材で、1人でイタリアへ行きました。ちひろちゃんが入院したバンビーノジェス病院は、ヨーロッパを代表する、小児病院のひとつで、世界各国の子どもたちが治療を受けています。ローマの街は観光客でにぎやかなのに、病院はとても静かでした。

病院の医師によると、ちひろちゃんと同じように治療に訪れても、薬の投与ができずに帰国を余儀なくされる子どももいるといいます。帰国した後にはどんな生活が待っているのだろうと想像しただけで胸が苦しくなります。そんなとき私はふぅーと深呼吸をします。また、取材スタッフに心境を聞いてもらうことで、乗り越えてきました。

子どもを亡くしたお母さんが「小児がんはかわいそうじゃない」と言っていました。大人でもつらい検査や治療を受けている子どもたちに「かわいそうだね」と言うのではなく「頑張ってね。応援しているよ」と励ましてほしいと。

久保田ちひろちゃんは、ローマでの治療の1年後に神経芽腫が再々発していることがわかり、いま再びイタリアで治療を受けています。みなさん、どうか、ちひろちゃんのことを応援してください。

子どもは、健康で元気に成長することが当たり前だと思っていました。がんは、誰でも発症する可能性があります。あす命がどうなるかわからない子どもや家族にカメラを向けるのはつらいです。それでも、子どもやその家族のまなざしを見て、役に立ちたいと思う人もいるのではないでしょうか。だからこそ、カメラを向けています。ときには感情を抑えて、「どうしたら視聴者に伝わるのか」を考えて取材にあたっています。子どもや家族の理解があってはじめて取材ができます。その思いを無駄にしないように、頻繁にコミュニケーションを取ることを心がけています。そしてふだんの会話をもとにナレーションやインタビューを選ぶようにしています。

これからも私は小児がんの子どもや家族が伝えたいことをテレビを通じて伝えていきます。伝え続けることが、何かを変えるきっかけになってほしいから。

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